9−60 怪盗紳士グリードと深窓の令嬢(3)
「……ロヴァ親父に、数日後に見返りを受け取りに来ると伝えておけ。本来、俺を呼び出すには1000人単位の生贄が必要だ。差分も含めてそれなりのものを要求するから、覚悟だけはしておくように言っておけよ」
「悪魔殿は……この状況を見ても、何も感じられないのですか?」
そう言い捨てて、これ以上は巻き込まれまいとしている俺の背に……器用に回復魔法を施しながら、アグリッパが話しかけてくる。詰るような口調に苦しいものを感じながらも、努めて平静を装い、仕方なしに悪魔的模範解答をしてみるが。どうして自分がこんなにも辛いのか、よく分からないのが、とにかく気持ちが悪い。
「別に? 他所様の家庭の事情に踏み込むほど、お節介焼きでもないんでな。人間のする事なんざ大なり小なり、俺にしちゃ取るに足らない事だらけだ。……その程度の事に巻き込まないでくれるか」
「……もう、遅いですわ。だって、さっきの魔法陣は……」
「あぁ、その事? さりげなく呪縛式も盛り込んであったな、あの魔法陣。さっきから言っているように、俺は小物じゃないんでね。あの程度の鎖で従属させようたって、無駄だぞ」
「……⁉︎」
「ったく。言われなかったら、許してやろうと思ってたのに。人間ってのはつくづく、一言余計だよな」
「どうしても……この先のご助力も願えませんか?」
「やなこった。今日はもう帰る。で、数日後に見返りを受け取りに来る。俺の残りのタスクはそれだけだ。それ以上サービス残業する気はねーし、第一……」
仕方なしに、ご丁寧に俺が説明してやっているのに。怖いもの知らずもいい事に、俺の横腹に何かが飛びついてくる。おぉ、おぉ。元気なことはなりよりだが。……相手を間違えてるぞ、それ。
「……何だよ?」
「私も悪魔さんと一緒に行きます」
「却下。お前みたいなクソガキを飼う趣味はない」
「クソガキじゃありません! 私はルヴラ・ヴァン・クレ……」
「ハイハイ、自己紹介はいらねーし。……とにかく離れろ。1000年以上生きている俺にしたら、お前ら人間は漏れなくクソガキなんだよ。せいぜい70年程度しか生きられない弱小生物が何、言ってやがる」
「……それじゃぁ、責任を取ってください」
「責任?」
俺、何かしたっけか? そんな風に言われて腹のあたりがゾワゾワするのを堪えながら、姫様の言う責任とやらの中身をお伺いしてみる。どうせ、大した内容じゃ……。
「さっきの、私のファーストキスだったんですけど。だから悪魔さんが責任を取って、私のお婿さんになって下さい」
「……あ?」
ファーストキスって、何? まさか……さっきのアレのことか? いやいやいや、あれは助けるためだったんだぞ? どうして、俺が責任を取らないといけないんだよ⁉︎
「私をお嫁さんにして、ここから連れ出してほしいんです! お願いだから……」
……そういう事。
姫様の言う責任とやらは建前であって、悪魔に嫁入りするのも止むを得まいという程に、結婚相手から逃げたいという事なんだろう。姫様にそこまでの覚悟をさせるお相手が、どれ程までに酷いのかはちょっと興味があるが。それどころじゃないな、これは。
「はい、あり得ないので辞退しまーす。悪魔には結婚なんて概念はねーんだよ! いいから離れろ! このクソガキが!」
「いや! 死ぬまで離れない!」
「あぁ、そう……! それじゃぁ、この場で殺してやれば気が済むか……?」
「それでも……構わないです。本当はアグリッパにお願いして、病死するつもりだったのだし……」
「フゥン? だったら、どうして俺に治療を頼んだりしたんだよ。そのアグリッパさんは」
彼女の必死さに結局、一思いに斬り伏せることも出来ないまま、渦中のアグリッパの答えを待つ。しかし、どうして俺は思い切り相手を振り払えないんだろう。殺さないにしても、手を捥いでやれば事足りるのに。強引に抱き付かれているのに、妙な心地よさを覚えながら……それでも、必死に悪魔らしく振る舞おうと抵抗してみる。
「ま、理由を聞いたところで、俺が帰るのは変わらないんだけど。いい加減、離れろ! ほら、帰れないだろうが!」
「どうしても、ダメですか……? グスッ……どうしても、助けてくれないの……?」
って、ここで泣くのかよ⁉︎ 冗談抜きで卑怯だろうが、それは! どうすればいいんだ……これ?
「……申し訳ありません。……本当は姫様の病死を偽装するつもりだったのです……」
「病死を偽装……?」
「はい……」
俺が退くに退けない状況なのを慰めるように、アグリッパがポツリポツリと事の次第を説明し始める。……どうやら、彼女達にとっても俺が来たことはかなりの想定外だったらしい。こうなると、興味本位で応じたのは失敗だったかな……。
「先程、悪魔殿がご指摘されたように……姫様のあの状態は病気ではありません。私が意図的に仕組んだもの……少しずつ病気を装いながら、最後は仮死状態に行き着くように作り込んだものでした」
「聖痕を刻んだのも、お前か? 言っとくが、聖痕の偽装はかなりの大罪だったと思うけど。そんな事が神界に知れたら、お前だけでなく……場合によっては、姫様も天使共に刈り取られるぞ」
「はい……勿論、承知しております。ですが聖痕さえ出てしまえば、姫様の死は神に望まれた事なのだと、王もご納得されると思ったのです。その上で、悪魔を召喚して……治せないと分かれば、諦めていただけると。それに私達の他に悪魔がいれば、天使様の目もそちらに向くでしょう。そうすれば……私はともかく、姫様は逃げられるかも知れない……。そう考えて、先ほどの召喚儀式を執り行ったのですが……」
「やれやれ……それで中途半端な悪魔を召喚して囮にする事で、天使共の目を逸らそうとしたってところか。聖痕があれば天使共が助けてくれないのも、明白だし……それを口実にロヴァ親父に生贄を用意させて儀式を執り行った、と。つまり……さっきの呪縛式は悪魔を生け捕りにするためってことか?」
「その通りです……」
「あっそ。だったら、残念だったな。俺は軟弱な術に引っかかる程、間抜けでもないんだよ。ま、今回は結構な退屈しのぎにはなったし、その辺はまとめて忘れてやるから。生贄について、ロヴァ親父に伝えとけよな。それじゃ……」
話はここまでと強制的に帰ろうとするが、やっぱり姫様が俺から離れない。こうなったら……!
「……いい加減にしておけ、クソガキ。さっさと離れないと、本当に叩き斬るぞ」
「グスッ……どうして? どうして、普通に生きることも許されないのですか? どうして……」
「仕方ないだろ。生まれた場所が悪かったんだよ、お前さんは。別に、いいんじゃない? 相手は不細工だろうが、最悪だろうが、王子なんだろ? だったら、贅沢も好きなだけできるだろうよ。そこまで悲嘆する程、状況は悪くないと思うけどな」
「どうして、そうなるの? この……悪魔さんの馬鹿! 人でなし! ロクデナシッ! 絶対、何が何でも離れない! 絶対にお婿さんになってもらうんだから!」
「あのさぁ……俺はバカでもないし、人でもないんだけど……。あぁ、もう……分かったよ、分かりましたよ。ハナから、暇つぶしで来た部分もあったし……。しばらくおままごとに付き合ってやるから、ギャンギャン泣くな。ったく。面倒なことになったな……本当に」
「聞いた、コルネリウス⁉︎ 悪魔さん、一緒にいてくれるって!」
仕方なしにそんな事を言ってやると、泣き顔から綻ぶような笑顔になった姫様が、アグリッパに向き直る。アグリッパもどこか安心したような表情を見せるが……姫様はともかく、アグリッパの腹の底がやはり見えてこない。姫様への忠誠はあるように見えるが、魔法陣に呪縛式を組み込んでくるところといい、さっきの回復魔法の手際といい。……ただの呪術師でもないだろう。正体を探る間は、こっちにいてやっても構わないか。
そうして、自分が押しに弱い事を自覚しつつ。彼女達のお遊びに付き合う事にしたけれど。……こんな格好悪い状況が知れたら、魔界の奴らになんて言われるだろう。




