9−56 パパにクラスチェンジ
「……お邪魔します、っと。ハーヴェン、いる?」
孤児院へ差し入れもしたいと思いつつ、ギノ達が帰ってきたらどうしようかなと迷っていると、想定外のお客様がやって来る。けれど……彼の登場に盛り上がるダウジャとハンナの姿に滲む、嫌な予感。
あっ、そう言えば。土産話、まだしていなかったっけ……。
「お邪魔します〜」
「ここが人間界ですか?」
「明るいです……おいら、クラクラしそうです」
「人間界って、とっても眩しいんでしゅね」
そんな事を口々に言いながら、ついてきた小悪魔達を諌める間も与えずに……早速、マモンを質問責めにかかる猫達。いや、ちょっと待って。頼むから、マモン相手にそのテンションはやめて。
「あ、マモン様! お嫁さんと無事、再会できました?」
「あ? えっと……うん、お陰様でリッテルと一緒に暮らせるようにはなったけど……」
「クゥぅぅ〜! きっと涙なしには語れない、感動的な再会だったんでしょうね〜! 憎いね、コノコノ!」
あぁ! コラコラ、やめなさい! 大悪魔様相手に、なんでそんなにフランクに話しかけてるの!
「憎いねって……ハーヴェン。これ……どうすればいいんだ、俺は」
「ごめん。すぐにおやつを出すから、とにかくお席にどうぞ。ほら、ハンナにダウジャも! いきなり魔界の真祖様を質問責めにするんじゃありません! 失礼でしょう!」
「あ、そうですね……すみません」
「あはは、つい……」
結局、孤児院には行けなさそうだと判断し、お客様のおもてなしついでにギノ達の帰りを待つことにした。プランシーはすぐに帰って来れるのだし、必要があれば向こうからアクションがあるだろう。
「ちょっと早いけど、お客さんもお見えだし、おやつにしような。で、おやつはミックスナッツのクッキーとチョコチャンクスコーンです。更に……趣向を変えて、お茶じゃなくてコーヒーにしてみたぞ」
「コーヒー?」
おやつのご紹介をしつつ、人数分のマグカップとサーバーポットをテーブルに並べる。以前にアフォガートを作った時以来、コーヒーを淹れた事がなかったが……考えたら、ドリッパーはちゃんとあるんだよな。そんなわけで、そいつの有効活用がてら、コーヒーに相性のいいお菓子を用意したんだけど。小動物ちゃん達の舌にはコーヒーが苦すぎる可能性も考慮し、砂糖とミルクも一緒に並べてみる。
「……マモン様。おいら、これ初めてかも……」
「僕も初めてです……」
「いや、俺も初めてだし。……どんな味がするんだろうな?」
「でも、とってもいい香りがしましゅよ?」
焦げ茶色の液体に、警戒心丸出しの真祖様ご一行。そんな彼らを他所に、コーヒーの知識があるらしいハンナが、俺の代わりに的確な説明をしてくれる。その辺りは流石、元お金持ちの飼い猫様と言ったところか。
「コーヒーはコーヒー豆を焙煎して、砕いた物をお湯で抽出した飲み物です。紅茶に比べると、とっても苦いですけど……独特の香りと風味には、神経をリラックスさせる効果があるとか。ですので、紅茶に負けず劣らず、人間界では一般的な飲み物みたいですよ。でも……さっきも言いました通り、とっても苦いので、ミルクや砂糖を入れて調節してもいいと思います」
「へぇ〜、そうなんだ。……俺としては、甘くなければ何でもいいかな」
「マモンの基準はそこなんだな……。何つーか、ウチの親玉がご迷惑をお掛けしたようで、申し訳ない」
「それはお前のせいでもないだろうし、今となっては別にいいし。しかし、人間界には甘くない物もあるんだな……」
「ミルナエトロラベンダーのお茶も、砂糖漬けを煮出したものだもんな。保存も兼ねて、そういう事になってるんだろうけど。そもそも、魔界は食のレパートリーが乏しいからなぁ……」
人間界に出れば天使に即刻退治される経緯もあって、今までは余程の目的がない限り、自分から魔界を出て行く悪魔はいなかった。マモン程の実力があれば、天使を返り討ちにするのは造作もないのだろうけど。極端に他との交流を避けてきた彼にとって……それは煩わしい以外の何ものでもなかったのだろう。
「……イケるな、これ。この間のお茶もなかなかだったけど、こっちの方が舌に合っているかも」
「お、悪魔の兄ちゃんはコーヒー派ですかい?」
「あ、うん……多分。と言うか……結局、俺は兄ちゃん呼ばわりされるんだな? 急に押しかけて、ご馳走になっている手前、仕方ないんだろうけど……」
「もぅ、ダウジャったら! それは失礼だって、マスターからも言われたでしょ?」
「あ、そうでした……すみません」
マモンを兄ちゃんと言い放つダウジャを、きちんと横から嗜めるハンナ。そうして、そのやり取りで俄かに騒ぎ出す小悪魔達だけど……あ、もしかして。マモン兄ちゃんが定着した感じか、これは。
「マモン様、兄ちゃん!」
「おいら、今度から兄ちゃんって呼ぶです!」
「アチシはきちんと、パパって呼ぶでしゅよ?」
「あ、僕もパパにしようかな……」
「……お前ら、ちょっと黙れ」
「は〜い、お兄ちゃん!」
「……何だか俺、自分がどんな存在なのか、分からなくなってきた……」
……積もり積もって、色々と悩んでいたらしい。そうしてとうとう、頭を抱え始めるマモン。方向性が迷走して悩んでいるのは、何も天使だけじゃないんだな……。
「あ……ウチの子が変な事を言いだして、ゴメン……。ところで、今日は何かご用事があって、こっちに来たのか? ベルゼブブじゃあるまいし、お菓子をねだりに来たんじゃないんだろう?」
「あ、えっと……」
「うん?」
妙にマズい話の流れを変えようと、用向きを聞いてみると……急に照れて赤くなるマモン。この様子はもしかして、リッテル絡みの質問だろうか?
「あの、さ……人間界で買い物する時って、ドレスコードとかってあるのかな、なんて思って」
「へっ?」
「……買い物に行ってみたいんだけど、人間界で目立つのはよくないと言うか……。呼び出された訳でもない以上、堂々と出歩くわけにもいかないし。衣装って、どこで調達したらいいんだろう? ほれ、魔界はその辺のセンスがまともな奴はあまりいないだろ? サタンの所のヤーティに頼んでも良かったのかもしれないが、アイツはアイツで年代が古いし。今の人間界基準でってなった場合、よく分からなくて……」
……これは、魔界あるあるだな。たまに堕ちてくる人間がいるとは言え、基本的に人間界に出禁だった悪魔に、人間界の世相を感じるのはかなりの難題だ。しかし……マモンは本当に細かい所に気が回るな。ベルゼブブはいつの時代でも浮きまくる奇抜な出立ちで、人間界にホイホイ出かけていたぞ。
「そういう事……。基本的にはシャツにスラックスが無難だろうから、ヤーティのセンスがあれば大きく的外れなものにはならないと思うけど……。でも、格式張っていると却って浮くだろうし。確かに、仰々しいと目立つのは間違いないかな」
「だよなぁ……。で、ハーヴェン達は洋服をどうやって調達しているのか、教えて欲しいんだが」
「リッテルには相談した? 生前は近代の人間だったはずだし、知ってるんじゃないの?」
「アイツは元姫様だから、その辺の知識はないみたいだったぞ。買い物は知っているみたいだったけど、肝心の本人はオーダーメイドのドレスを着ていたそーで。俺もある程度は小説で把握したつもりだけど……今ひとつ、ピンとこないんだよな」
「小説、ね……」
その知識の元ネタを深追いする必要はない……よな、この場合。それはともかく、彼の話から最低限の知識はあると思って間違いないだろうか。
「だったら、俺達がよく行くカーヴェラの地図を渡しておくから、活用して。ほら、マモンとリッテルが初めて出会ったのも、カーヴェラの時計台だったろ? で……その時計台はここ、と」
市役所でもらった地図を広げて、街の中央……時計台に印をつけた後に、赤色で引かれている道沿いにある店にも印をつける。
「……レディ・ノーブル?」
「うん。いつも俺達がお世話になっているお店です。高級店みたいだが、似合う物をきちんと見繕ってくれるし、品揃えも豊富だから、ここにお邪魔すれば間違いないと思う」
「パパ、洋服買うです?」
「おいら達はなくても平気ですよ?」
「あぁ〜ん、パパは裸でも素敵だと……」
「このエロ羊が……! こんな時に下らない事、言ってんなよ……! 大体、その呼び名は変な誤解を招くだろうがッ!」
「いや〜んッ! パパ! ギブギブ! ギブでしゅ〜!」
「パパのお仕置き、お仕置き!」
そうして性懲りも無く、いつかと同じようにこめかみをグリグリされるハンスと、周りで本人が意図しない呼び名でキャッキャとはしゃぐ小悪魔達。いつの間にか……兄ちゃんがパパにクラスチェンジしているけど。……大丈夫か、コレ。
「あ……色々、すみません……」
「ダウジャ、流石に今回は……それどころじゃ済まないわ……」
「そう、ですね……。今から気をつけても……ダメですよね、これ……」
一頻りのお仕置きの後、戦闘不能になったハンスを横目に……眉間に深いシワを寄せて、マモンがこちらに向き直る。ダウジャを必要以上に責めないところを見ると、かなり我慢してくれているみたいだが。これ以上の失礼は間違いなく、許されないだろうな。
「ダウジャが大変な失礼をかました様で、本当に申し訳ない……。後で俺からもキツく言っておくから……本人に悪気はないみたいだし、許してやってくれると嬉しいんだけど……」
「……今更、怒っても仕方ないだろうな。完全に手遅れだろうし……それに、こいつらの躾は俺の役目でもあるから……もういいよ。色々と面倒だし、諦める事にする」
「う、うん……」
いつもながらに諦めも早いマモンが浮かない顔をしつつ、気を取り直す様に地図を見つめ始める。そうして、きちんと段取りを確認したいと思ったのだろう。かの小説を読んでいるのなら、当然の質問を投げてくる。
「で、ついでと言ってはなんだけど。……いつも寄っているカフェって、どの辺?」
「あぁ。カフェはここ。カフェ・アンジェラっていうんだけど……ケーキの種類が豊富で、ウチの子達やルシファーお気に入りの店でな。嫁さんは擦った揉んだがあって、この店に寄るのを嫌がるけど……落ち着いた雰囲気の店だから、買い物の合間に休憩するには、ピッタリだと思う」
「そっか。俺はともかく、リッテルはきっとケーキも喜ぶだろうし、候補に入れておこうかな……。何となく街の様子も分かったし、あまりお邪魔しても悪いだろうし……今日はこのくらいで引き上げる。何だか妙な事になったが……まぁ、助かったよ。ありがとう」
「エルダーウコバク様、ご馳走様でした〜!」
「また来た時は、よろしくですぅ!」
「うん、どういたしまして。こっちとしては留守でなければ、いつでも来てくれて構わないよ。またおいで」
最後はきちんと挨拶をしつつ。相変わらず戦闘不能のハンスを小脇に抱えて、ヨルムゲートで帰っていくマモンと小悪魔達。そうして、彼らを見送った後で……お待ちかね、お仕置きの発表と行きましょうか。
「……ダウジャ、覚悟はいいか?」
「は、はい……」
「今日は事なきを得たから、いいものの。マモンは人間界の国を一瞬で滅ぼした程の大物だ。本気を出されたら、全員まとめてあの世行きにもなりかねない。……こればっかりは、冗談では済まされないぞ」
「ゔ……。本当にすみませんでした……」
「で、空気を読めない悪い子には……お仕置きを実施します!」
「お、お仕置き……ですかい? えっと……あ! 尻尾だけは、勘弁してください!」
「尻尾って……痛い思いをさせるわけじゃないよ。そうだな……この先1週間、ダウジャはおやつ抜きの刑にします! お昼のお茶と、夕食のおやつはナシでよろしく!」
「えっ……」
俺の発表に、深刻な顔で固まるダウジャ。そして、その横で妙に澄ました顔でコーヒーを啜っているハンナ。……これは姫様的にも、当然の判決なんだろうな。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、悪魔の旦那! 1週間は長すぎやしませんか? せめて3日で……!」
「ブッブー! 情状酌量の余地もナシとします! 刑期の短縮は認めません!」
「……ダウジャ、諦めなさい。間違いなく、あなたが悪いもの。今回のことを教訓として、次からはきちんと気をつけなきゃダメよ?」
「姫様まで……そ、そんなぁ……」
しおらしく耳を垂らして、シュンと意気消沈するダウジャ。彼にお仕置きを言い渡したところで、これからの事に思いを巡らせるが……未だに帰ってこないことを考えると、奥さんの出産はまだ終わっていないのかもしれない。ゲルニカの鍵をギノが持っている以上、俺達はこちらで待っているしかないのだが。……向こうは向こうで、大丈夫だろうか。




