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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−3 防具の枕

 オフィーリアとエメラルダを見送った後のリビング。ハーヴェンが新しく淹れたお茶を受け取りながら、新しい情報を確認しようと、精霊帳をめくる。


【ユラン、魔力レベル8。竜族、地属性。拘束型の大蛇。攻撃魔法・補助魔法の行使可能】


「ほぉ〜。あの美女、本性はこんな感じなんだな」


 そう言いながら、ハーヴェンがエメラルダの精霊情報に興味津々と、私の手元を覗き込んでいる。

 精霊帳の挿絵には真っ赤な長い牙を持つ、角の生えたエメラルドグリーンの大蛇が描かれている。拘束型と言う事は、相手を締め上げるのが得意な補助型の精霊ということか。祝詞に「鞭」という言葉があったが……なるほど。大蛇の彼女には相応しい表現だ。


「さて、今日はもう休むとするか。片付けはやっとくから、先に休めよ」

「あ、あぁ……」


 最近の傾向だと、また押し倒されるのかと身構えていたが……今夜のハーヴェンには、そんな気もないらしい。何だかちょっと拍子抜けだ。しかし……素っ気なくされると、却って気になって仕方ないではないか。湯を浴びてから部屋に戻ってベッドに横になっても、妙に気分がモヤモヤしてなかなか寝付けない。


(ハーヴェン、ゲルニカはいなかったと言っていたな……)


 という事は、ハーヴェンの相手はテュカチアがしたのだろう。竜界一の美人と、エルノアが胸を張っていただけあって、テュカチアは確かに花のように嫋やかな女性だった。しかも、今日やってきたエメラルダも相当の美女だろう。どうして竜界の女性は綺麗で、その上……。


(何を食べれば、あんなに出るところが出るんだ?)


 アーニャもそうだったが、なぜ彼女達の体つきはしなやかで、しっかりと凹凸があるのだろう。自分の何もない胸元を見下ろすと、虚しくなってくる。しかも……私は未だに、笑うこともできないままだ。相変わらず、幼女体型で可愛げもない。……もしかして、私は飽きられてしまったのだろうか。


(だとしたら、どうしよう……!)


 そこまで思い到ると、居ても立っても居られなくて。気づけば、ベットを抜け出していた。

 忍び足で2階に上がり、廊下の突き当たりにある部屋をこっそり覗く。明かりが漏れていたので、まだ眠っていないようだが……こんなに遅くまで、何をしているのだろう。そうして、ドアの隙間からこっそり覗けば。ハーヴェンは机に向かって、何かを書き留めているらしい。その横顔はいつになく、真剣な様子だ。時折、こめかみや眉間に手を添えながらペンを進めているところを見ると、少し難しい内容なのかもしれない。

 彼の横顔を見つめながら、今日の出来事をボンヤリと思い出す。オフィーリアがゲルニカに劣らず男前と、ハーヴェンを褒めていたが。確かに、彼の方は男性として魅力的な部類に入るのだろう。それに引き換え……私はどうだ?


(……邪魔をしては悪いし、帰ろうかな)


 多分、ハーヴェンはレシピの整理と記録をしているのだ。そうだ……きっと、そう。しかし、そんな風に無理やり思い込んで、私が納得しようとしていた矢先に……彼が予想外のことを呟き始めたではないか。


「よし、これで封をして……と」

(ふ、封?)


 レシピに封は必要ないだろう……という事は、あれは手紙だろうか。……誰に? 何の……手紙だ?

 ドアのわずかな隙間からでも、ハーヴェンがシーリングワックスを落として、封蝋を施しているのが見える。一体……誰宛だろう? そんな事を言われたら、立ち去ろうとしていた足が止まって……彼の手紙の相手が気になって、帰るに帰れなくなってしまうではないか。

 もう少し、よく見えないかな……そんな風にしていたら、思わず前のめりになってしまったらしい。そう言えば……ベッドを飛び出した勢いで、枕を抱いているのをすっかり忘れていた。存在を忘れかけていた枕の厚みも手伝って、ドアが不自然な軋みの不協和音を奏でて。間抜けに立ち尽くしている私を庇うこともせず、向こう側に開かれる。


「ん?」

「……!」


 私に気づいたらしいハーヴェンと勢い、目が合う。


「……ルシエル、何やってんだ?」

「……」


 気まずい。とにかく気まずい。私が覗いていたのを、ハーヴェンは怒ってはいないみたいだが……多分、呆れられている。どうしよう。本当に私は……どうしようもない。


「どした? 眠れないのか?」

「……」


 私を責めるわけでもなく。怪訝そうな顔で見つめる彼に、返す言葉が見つからない。


「大丈夫か? 何か怖い夢でも見たのか?」

「……そ、そういう訳ではないんだが……その、あの……」

「ま、いいや。とにかく入れよ。そんなところに立ってると……風邪、引くぞ?」


 天使は風邪など引かないのだが。そんな修正は……今ここで、必要ないだろう。


「……」


 そう言われて、おずおずと中に入るが……考えたら、初めて彼の部屋に入った気がする。別に鍵がかかっているわけではないので、入ろうと思えば簡単に入れる場所ではあるのだが。不思議と今まで、足を踏み入れた事はなかった。

 見渡せば、本棚には色々な地方や国の名前が背表紙に書かれた冊子が並んでいる。背表紙が手書きなのを見る限り、ハーヴェンが書き溜めているレシピ集だろう。そう言えば……今日の夕食に出てきたアヒージョという料理は、オリーブの生産が盛んな地方の料理だと言っていた。


「で、どうしたんだ? 枕まで抱いてきて。1人で眠れないお年頃でもないだろう?」

「いや、それはそうなんだが……」

「ほれほれ、お兄さんに正直に話してみなさい!」

「……無性にお前が何をしているのか、気になってしまって」


 本当に……みっともない。自分でも自覚はしているが、どうしてこうも……私はみっともないのだろう。


「気になるって……今まで、そんなこと気にもしなかったじゃないか。今更、どうしたよ?」

「どうした、って仕方ないだろう……気になるものは、気になるんだから」

「ふぅ〜ん? それじゃ、何してたか教えてやるから……今度はお兄さんの膝の上に座りなさい!」


 そう言われて、仕方なく彼の膝の上に腰掛ける。もちろん……防具の枕はしっかり握りしめたままだ。


「す、座ったぞ」

「ったく。相変わらず素直じゃないな、お前は」

「……」

「ま、いいや。俺が書いてたのは、アーチェッタ行きの手紙だ」


 そうして、隠すこともなく彼が差し出した手紙の宛先は……ローウェルズ地方・アーチェッタ、リンドヘイム聖教本部付プランシー様、となっている。


「プランシー?」

「あぁ、ほれ。前さ、俺が孤児院に差し入れしているって話が出たことがあったろ? ……で、孤児院で子供の面倒を見ていた神父がプランシー。……実はちょっと前にな、教会の本部が子供達を引き取ってくれる事になったんだと。で、あいつらと一緒に神父も呼ばれたらしくて。……ガキどもも含めて元気かなと思って、手紙を書いていたんだよ」


 そうか、別に恋文とかじゃなかったんだな……。思わず、枕に顔を埋めて泣き出してしまいそうになる。そんな事にさえ自信を持てないのが、本当に情けない。


「……あぁ、何か? もしかして、その様子だと……またお前、変な誤解してたか?」

「……ゔっ。それは……」

「仕方ねぇな。ったく、その心配性なんとかならないのか?」

「だって、今夜は……えぇと」


 いやにハーヴェンがそっけなかったから、なんて口が裂けても言えない。そうして口を噤んでいる私の様子に、呆れたように漏れる彼のため息が、耳をかすめる。……どうして私はこうも、素直になれないのだろう。


「そういや、お前ってさ。何か欲しいものとか、やりたい事とかないのかよ?」

「……急に何を言いだすんだ?」

「いや、さ。お前は人には欲しいものはないのか、って聞く割には……自分は何か欲しいなんて、ねだったこともなかったし。お前は何を求めて毎日生きているんだろうと、ふと思ったりしたわけ」


 欲しいもの……? 私の、欲しいもの……? どうしてだろう? ……何1つ、何も思い浮かばない。


「……分からない。ただ、また奪われるのは嫌なんだ。……また失くすのは嫌なんだよ……今の私に……」


 手に入れたいものはない。ただ……。


「……この当たり前の毎日を失いたくないんだ。……お前に嫌われるのも、お前がいなくなるのも。……それだけは、嫌なんだ」

「……そっか。だけどな、お前はもうちょい欲張ってもいいと思うぞ?」

「欲張る? ……何を?」

「それは……お前自身で見つけないとな?」

「結局、教えてくれないのか? ……ハーヴェンの意地悪……」

「ふっふっふ……それじゃ意地悪ついでに、1人で眠れない子羊ちゃんを食べちゃおうかな?」


 やっぱり、そうなるよな。

 枕まで抱きかかえて、部屋に押しかけて……これでは却って、添い寝してくれと言わんばかりではないか。今夜は最初から最後まで、自業自得だ。そうして防具として持ってきたつもりの枕は結局、最後の最後まで私の足を引っ張る事しかしなかった。

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