9−54 何かご用ですか、チビ天使
情報の対価を粛々と準備しているが。お渡しするからには、きちんとした物を用意したい。しかし、まだ時間がかかりそうなのだが……そうだ。今日は折角リッテルが来ているのだし、本人に確認してみてもいいかも知れない。
「リッテル。そう言えば、是光ちゃんとお話できたりする?」
「え? 待ってくださいね。是光ちゃん、出番ですよ。ちょっとお話、いいかしら?」
手慣れたように白鞘の刀を呼び出して、優しく話しかけるリッテル。しばらく彼女が意識を集中していたかと思うと……リッテルよりも先に、本人が口を開いた。
(何かご用ですか、チビ天使)
「チ、チビ天使……」
「是光ちゃん! この方は私の上司になる大天使様なの。それは幾ら何でも、あんまりだわ」
(左様で? 某には、大層な存在には見えませんが。まぁ、いいでしょう。愛しの妻君がそう仰るのであれば、この場に限り、そういう事にしておきましょうか)
ミシェル様からも何となく、聞いてはいたが……是光ちゃんはリッテル以外の天使には、かなり手厳しい相手のようだ。博識で饒舌な割には、用心深さもあるという事だったが。……毒舌家の間違いではなかろうか。
「えぇと……貴殿からご要望頂いていたこちら側の人員リストなのですが、もう少々時間がかかりそうなのです……。今しばらく、ご猶予を頂けないでしょうか?」
(ふん! その程度で妻君の上司とは、甚だ情けないにも程がありますな! しかし、神界の時間の進みは遅いようですし……いいでしょう。次に妻君が来る時までには、仕上げておいて頂きましょうか)
「承知しました。こちらの時間であと2日程あれば、お渡しできると思います。寛大なご配慮、ありがとうございます」
(よろしい。チビ天使にしては、いい返事です。ところで……妻君はこの後、如何するので? すぐにお館様のところにお帰りになりますか?)
私との話は冷たい態度でサッサと切り上げ、リッテルに言葉をかけた途端、妙に嬉しそうな声色に変わる是光ちゃん。私よりも遥かに豊かな膨らみに身を預けながら、ウキウキしているのを……どことなく悔しく見つめる。まさか刀までもが、美女に弱いなんて。
「そうね……今日は必要なお金を換金したら、帰ろうと思います。主人にもお礼をしないといけないわよね」
(おぉ! それはそれは。お館様もさぞ、お喜びになる事でしょう)
「換金? リッテル、お金が必要なの?」
「えぇ……。主人が人間界に買い物に行ってみたいなんて、申してまして。『愛の紡ぎ方』の影響みたいです」
「……マモンもあの小説、読んだのか……?」
「一通り、目を通したと言っていました。その上で……外の世界をあまり知らないせいもあるのでしょう、人間界の風景に好奇心を刺激されたみたいです。それでなくとも、私のお仕事に協力してくれていたので……お礼も兼ねて、人間界に連れ出そうかな、なんて思っています」
リッテルが持ち帰ったあの小説をマモンが読み耽るなんて、想像もしていなかったが。神界に対して変な解釈をされていたら、どうしよう。それに……「あっちの方」は大丈夫だったんだろうか?
「えぇと……要するに。マモン本人はラベンダー系も含めて、前向きに捉えてくれたと……?」
「うぅんと……『恋するラベンダー』はやっぱり、恥ずかしかったみたいですけど……。ただ、私の視点から自分がどんな風に映っていたのかを知れるのは、参考になると申していました」
「あぁ、なるほど……。そういう解釈で冷静に納得してくるのは、流石は魔界第1位の真祖様ってところなのかな……」
(当然です。お館様は本来、非常に真面目で理知的な方なのです。チビ天使にそんな事を言われる筋合いはありません)
「もう! 是光ちゃんったら! ルシエル様はハーヴェン様……エルダーウコバク様のお嫁さんなのですよ? 私と主人を結ぶキッカケを作ってくださったのに、どうしてそうも、ツンツンしているの?」
(ほぉ〜。あのエルダーウコバク様が……確かに? 妻君程ではありませんが、顔は及第点ですか?)
是光ちゃんの辛辣さを考えると……及第点をもらえただけでも、満足しないといけないだろうか。
「あ、ありがとうございます……? 第一、リッテルに見目で敵う天使はまずいませんよ」
(そうでしょう、そうでしょう! やはり、最強の魔王の妻君は花の様に美しいお方でないと! そして某は今、そんな妻君の胸元に包まれて……あぁ、何と幸せな事でしょう……!)
きっとこの刀に表情があるならば、今まさに鼻の下を伸ばしているに違いない。恥ずかしげもなく言われると、胸の包容力は大きな利点になる気がして……更に悔しい。
「まぁ! 是光ちゃんのスケベ! もぅ……そんな事を言っていると、主人に言いつけちゃいますよ?」
(あ、それはご堪忍を! そんな事を言われたらば、某はお館様にへし折られてしまいます)
いっそ、へし折られてしまえ。
「まぁ、そういう事なら……その給金は私の方で賄うよ。リッテルは今、減俸中でしょう? チケットはリッテル自身が使える様に取っておいて。えぇと……買い物だと、この位あれば足りるかな……?」
確か、銀貨1枚でブラウス6枚程度、ケーキセットは銅貨3〜4枚だったと思う。なので、ちょっと買い物に行くのであれば、金貨1枚で事足りるだろう。
ただ……真祖様相手に金貨レベルの給金では申し訳が立たない気がするし、何よりマモンですらあまり外の世界を知らないというのは、きっと今まで私達が悪魔にしてきた事も影響していると思う。埋め合わせも兼ねて、自由に気兼ねなく買い物を楽しめる額を渡した方がいいだろう。
そこまで考え、白銀貨10枚を交換し、リッテルに手渡す。もちろん、人間界で買い物をする上での心得も添える事も忘れない。
「はい。それじゃぁ、これ。大切に使ってね」
「ありがとうございます。……でも、こんなに甘えてしまっていいのでしょうか?」
「別に構わない。この間も言った通り、彼らの協力を仰ぐ上で必要な物品は私の方で用意します。特にさっきまでの話だけでも、向こうでマモンがかなり力を貸してくれていることは分かったし、このくらいは良いと思う。で、リッテルも分かっていると思うけど……お金は全額マモンに渡す様に」
私の場合は金銭感覚がハーヴェン頼りだったので、財布も彼が握っているのだが。その方が気が楽だし、甘える口実にもなる。何より……人間界はなんだかんだで、まだまだ男性主導の社会だ。無駄に目立たないためにも、旦那主導で行動した方が無難だろう。
「そうですね。お金は出所に関わらず、殿方の財布から出た方がスマートです。その上で私も彼にタップリ甘えて、楽しむことにします!」
「うん。それで良いと思う。あ、そうそう。更に1つ助言をしておくと、人間界の街で買い物する場合はちょっとしたプロフィールを用意しておいた方がいい」
「プロフィールですか?」
「出歩く先はカーヴェラなんだろうけど……白銀貨だけでなく、銀貨以上の金額を持っている客というのは、かなり目立つみたいなんだ。要するに、“お金を持っている理由”を作り上げておかないと、ボロが出かねない。……私はハーヴェンに任せっぱなしなんだけど。例えば、私達は上級貴族出身の奥様と精霊落ちの元王宮騎士、という組み合わせで人間に接している。買い物をしていると、意外と出自を聞かれることも多くて。だから、人間界で買い物を楽しもうと思うのなら、波風を立てない意味でも、人間界用の自己紹介文を作っておくのは無駄じゃないと思う」
「そういう事ですね。でしたら、私達は怪盗と攫われたお姫様の組み合わせにしようかな」
マモンが例の怪盗のモデルだったことが余程、嬉しかったのだろう。彼女が楽しそうに呟くけれど。……常識的に考えても、怪盗もお姫様も街に出歩いている時点で完全にアウトだと思う。
「えっと……リッテル。流石にそれはちょっと……」
「もちろん、冗談ですよ。フフフ、そうですね……彼の適性で考えると、大成した武器商人とその奥様だと自然かしら?」
「武器商人? また、どうして? マモンって、その辺りの知識もあるの?」
彼がほぼ全ての武器を使いこなすらしいことは、ハーヴェンからも聞いていたが。まさか、素材や構成自体の知識もあるということか?
(チビ天使にお館様の事を教えてやるには少々、勿体ない気がしますが……いいでしょう。お館様は元からどんな武器でも使いこなせるわけではありません。理念に基づいて、武器の扱いと知識を習熟しただけです)
「理念……?」
(お館様は何かにつけ、勤勉なお方です。特に力を得るためには努力をしないことには成り立たないと、よくご存知なのです。……武器は振るうだけで、使えるものではありません。性能と特徴に素材、そして弁え方を知って初めて、使いこなせたことになるのです。お館様にはかつて、某らを振るう事を極端に嫌がっていた時期がありました。おそらくヨルムツリーの息が掛かった某らから、口煩く言われるのが気に食わなかったのでしょう。まるで親に反抗するが如く、他のありとあらゆる武器を使って……自分に合う武器を模索していましたが。結局、刀が1番合っているという結論に至った様ですな)
他の悪魔に稽古を付けていると、言ってはいたが。集まって来た悪魔達の得物は確かに、剣だけではなったように思う。それこそ、槍とか斧とか。果ては、弓を持っている者もいた気がしたが。数多な種類の武器に対して、マモンは的確な指導をしているということか。妙にジェイドに対する指摘も細かい気がしたが……その知識が彼自身の反抗期と努力の結果だとは思いもしなかった。
(お館様はその結果、あらゆる武器を使いこなす技術と、武器の構成に関する知識を得ることになりました。ですので、武器商人はかなりの名案かと某は思いますよ。とは言え、お館様をただの武器商人にするにはあまりに軽々しいというもの。某らの存在もありますし……いっそのこと、魔力遺産専門の武器商人を名乗った方が、都合が良いかと)
「魔力遺産ですか。ウフフ、そうね。大物の商人さんを名乗るのでしたら、その位の肩書きはあってもいいですね。魔力遺産が商材であれば、お金を持っている理由としてもバッチリですし……。万が一があったら、是光ちゃん達に力を借りれるかも知れませんね」
なるほど、魔力遺産か。大悪魔ともなれば「人間界で魔法を大っぴらに使わない」というルールも難なく守れるだろう。しかし、揉め事があった時に武器を使ってやり過ごそうにも……彼の武器はどう頑張っても、普通の代物ではない。考えてみれば、ハーヴェンのコキュートスクリーヴァも一般的な武器じゃないだろうし……悪魔達の武器は軒並み魔法効果込みの貴重品なのだから、その程度の予防線を張っておくのも悪くない。
(その通りです。某らは歴とした魔法道具。そして、人間界で某らを振るう事がないとは限りません。そういう意味でも、特殊な武器を持っている理由も含めて……多少の誇張をしておくのも、一興でしょう。それにしても、流石はお館様の奥方。某が皆まで言わずとも、お見通しですか。ここまでお館様を理解してくださる方が現れるなんて……あぁ! 某はただ感動するのみでございます……!)
最後はリッテルへの称賛で締めくくり、鼻の下を伸ばしているっぽい是光ちゃん。散々、チビ天使と小馬鹿にされてしまったが……年代的には、私の方がリッテルよりも先輩なのだけど。しかし……彼の言う「お館様」がそもそも齢2500年越えの大物だという事を考えると、なけなしの先輩風はきっと、どこ吹く風と流されてしまうだろう。……いつまでも見た目がお子様というのは結構、辛いものがある。




