9−53 申し訳ない気分で一杯
今日も例の課題を済ませようと部屋に籠っていると、部屋の外が騒がしい事に気づく。そうして、喧騒がこちらに向かってくるらしい事に耳を欹てていると、その原因がヒョッコリ顔を出した。
「ルシエル様、経過報告に来たのですが……あ、すみません。今日はご報告に上がっただけですので……」
「えぇ〜? そうなの? ちょっとはお話を聞かせてよ!」
「そうそう! マモン様と普段、どんなお話をするの?」
「あ……」
ミーハーな天使達に捕まり、困っているリッテルに声をかけて、強制的に扉を閉めることを提案する。……ここはさっさと私が切り上げた方がスムーズだし、後腐れもない。
「あぁ、リッテル。来ていたの? 扉は閉めてしまっていいから、こちらに来て座って」
「はい……!」
私自身は変な壁を作るまいと……それこそ、ティデルの事もあったし……可能な限り、扉は開け放しているのだが。来客があった場合は別だ。そうして扉を閉めた途端に訪れる静寂に、リッテルがようやく安堵の色を見せる。きっと魔界に興味津々な天使達に質問責めにされながら、辿り着いたのだろう。彼女の顔には、困惑と疲労がじんわりと滲んでいた。
「……大丈夫? ここに来るまで、大変だった?」
「いいえ……ルシエル様のお姿も拝見していましたし、そこまで苦ではないのですが……」
「あぁ、それもそうか……」
かつての状況を引き合いに出され、情けないかな、妙に納得してしまう自分がいる。
「ただ……今日は新しい小説が発刊されたとかで、皆様のテンションも少し高めと言いますか……」
「はい?」
しかし、納得していたのも束の間。彼女の言葉に、今度は酸っぱい何かが込み上げてくる。胸騒ぎを努めて落ち着かせたところで、少々覚悟をしながらチケット交換リストの「新着」部分に目を落とすと……そこには、未確認物体でしかない乙女趣味全開のタイトルが踊っているのに、今更気がつく。
「……恋の色に染められて……」
「皆様のお話ですと……ルシエル様達がこちらにいらした時のハーヴェン様と主人のやり取りを中心に、内容をまとめたものらしいのですが……」
表紙の色が紫である事を見ても、恋のラベンダー系統の続編と思われるが……「染められて」のフレーズに、そこはかとなく自分がハーヴェン色に染まっているとかナントカ……なクダリがあった事を思い出し、軽い焦燥を覚える。
「これ……リッテルは確認した?」
「いいえ、まだ……。そもそも、交換すらしていません……」
「そ、そう……」
一応は報告書な訳だし、目を通さないわけにもいかないか。そんな事を考えながら、リストに交換希望数「2」と入力し希望送信を実行すると、すぐさま呪いの書が2冊手元に現れる。
「あぁ、そう言えば。先日気になるものがあったから、リッテルにと思って取っておいたよ。一緒に持って帰って」
そう言いながら、手元に現れたばかりの最新刊と例の魔王人形を手渡す。何やら、魔王人形の面立ちに……思うところがあるらしい。マジマジとその姿を見つめていたかと思うと、彼女が予想外のことを言い出した。
「これ……もしかして怪盗・グリードでしょうか?」
「あ……。リッテルはその小説、知ってるんだ?」
「えぇ。生前は私もグリードみたいな格好いい怪盗さんに、退屈な日常から攫って欲しいと夢見た事もありました」
「そ、そう……」
どうしようかな。その人形は怪盗・グリードではなく、元ネタ本人を象ったモノなのだけど……まさか、リッテルが小説側を知っているとは思いもしなかった。そんな事を考えている矢先に、詳細が気になるのだろう。彼女が早速、交換リストカタログを見つめていて……しばらくして、驚いたように目を丸くしていたかと思うと、こちらに向き直った。
「こんなに高額な物をいただいていいのでしょうか? それと、魔王って一体……?」
「それ自体はルシフェル様に強引に渡されたものだから、私は悪魔の方だけあればいいし……魔王人形は持ち帰って構わない。で、その魔王なんだけど。仮面姿は“真祖様お仕事中”の出で立ちで……マモンがかつて、ヴァンダートに降り立った時の姿を再現したものらしい」
「……でも、それにしてはグリードにソックリと言うか……」
「だよね、そうだよね。……ハーヴェンに聞いたのだけど。こっそり生き延びたヴァンダートのお姫様が、マモンをモデルにして書いた小説が『怪盗・グリード』らしくて。だから、元を辿れば……」
私がしどろもどろで説明していると、頬を赤く染めて歓声をあげるリッテル。なるほど。彼女は自分の旦那様が有名人なのには、迎合できるタイプか。
「なんて、素敵な事なんでしょう! 生前に夢を見せてくれた怪盗さんが、こんなに近くにいるなんて! ウフフ。帰ったら、お話もジックリ聞かなきゃ!」
彼女の浮かれ具合に、今度はマモンに申し訳ない気分で一杯になる。
顛末を今の今まで話してこなかっという事は、マモンにとっては公表したくない内容なのだろう。いくら相手がリッテルとは言え、それが原因でマモンの協力を仰げなくなったら……どうしよう。
「リッテル……マモンへの追求は程々にね? これから彼らには協力をお願いしなければいけないのだから、あまり嫌がることはしないように」
「あ……そう、ですよね……。そう言えば、ベルゼブブ様にも同じ事を言われました……」
「そうなの?」
「はい……私の何気ないお願いが主人を苦しめたり、かなりの無理を強いるかもしれないのだから、嫌がるようなことはさせないでと言われました。自分の興味本位で、彼がお話ししたくない事を根掘り葉掘り聞くのは、ダメですよね。断られたら、触れない事にします」
「うん、それがいいと思う。彼らはあくまで、私達に合わせて付き合ってくれているだけなのだから。そんな彼らが嫌がる事をしないための情報収集も兼ねて、リッテルを魔界に派遣しているのだし……そのあたりも忘れないようにしてほしいな。で、お仕事は順調? 悪魔の情報は集まった?」
「はい! 主人のお弟子さんの情報は一通り、網羅できたのと……向こうでいろんなところに連れ出してもらったので、ベルゼブブ様やサタン様の所の悪魔さん達ともお話しできました。あ……そう言えば。サタン様の所のヤーティ様からお手紙を預かりましたので、お渡ししますね」
「ヤーティから?」
リッテルが預かってきた手紙を受け取ってみれば。明らかに高級そうな深緑の封筒には、孔雀の羽を象った鮮やかなブルーグリーン色の封蝋がされていて……手紙1通でさえもここまで趣向を凝らしてくるその姿勢に、頭が下がる思いだ。綺麗な封筒を傷つけるのが憚られる気がしたが、中身を読まないほうが失礼だと思い直し、思い切ってペーパーナイフを滑らせる。
「えぇと……?」
“レディ・ルシエル様
いつも大変お世話になっております、サタン配下のヤーティでございます。
レディ・ルシエル様におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。こちらは配下一同、平素通り主人の粗暴さに頭を悩ませつつも、元気に過ごしております。
レディ・ルシエル様にお手紙を差し上げたのは、他でもありません。素敵なランプのお礼をぜひしなければと思い、こうしてペンを走らせている次第です。カイムグラントによれば、そちらのランプは人間界で見つけた一級品とのことで、ルシエル様とハーヴェン様からの御心のこもった贈り物だとお伺いしました。
人間界にここまで状態のいいアンバーグラスが残っていたのも奇跡ですが、そのランプが私の手元にあるという事実が運命に思えて、ただただ感動しております。
柔らかな黄昏色と、哀切を漂わせる闇夜色とのコントラストはまさに1つの芸術品。琥珀色の灯りは、主人への苛立ちも優しく解してくれる慈愛に満ちているようにも見え、天使様方の神聖さの一端を預けられたような気がして、身が引き締まる思いです。
この度は、本当に素敵なお品物をありがとうございました。
サタンないし、レディ・リッテル様のご主人を通じて、我々にご助力できる事があれば、是非にご相談頂ければと思います。
またお会いできる日を、心より楽しみにしております。
ヤーティ”
雑貨屋で見つけたランプをヤーティへの返礼にと、ハーヴェンがコンラッドに持たせていたのを、俄かに思い出す。私自身は品物を実際に見てはいないので、あのヤーティを感動させた芸術品を確認しなかった事を後悔していた。……そんなに美しい物だったのなら、一目でもいいから、見ておくんだった。
何れにしても、ヤーティがランプを無事気に入ったということと、主人を差し置いて実権を握っているらしい彼と友好的な関係を築けたことはかなりの収穫だろう。
「そう。サタンは相変わらずなんだ……」
「フフ、そうみたいです。主人に連れられてお城にお邪魔した時も、ヤーティ様に怒られていました」
「あぁ、そう……」
サタンが何をやらかしてヤーティに怒られているのかは、分からないが。基本的に礼儀に欠けるらしいサタンの態度について、気に入らない部分があったのかもしれない。
「それで……先ほど悪魔さん達の情報は報告書を提出したのと、精霊帳のアップデートも行いました。私自身は向こうでグレムリンちゃんとリリスさんと契約をしたので、精霊帳にも反映されているはずです」
「リリス?」
グレムリンは多分、マモンの足元で色々と騒いでいた猫っぽい小悪魔達だろうが、リリスは明らかに事情が違う。確か強欲の悪魔ではなく、色欲の上級悪魔だったはずだ。それが……なぜ、リッテルと契約を結ぶ結果になるのだろう?
「……リリスのアーニャさんがどうしても、人間界に出たいとおっしゃっていまして……」
「アーニャって……まさか、あの?」
「えぇ。ルシエル様とハーヴェン様を取り合った夢魔さんです」
「う、うん……取り合った事に関しては、忘れてくれないかな……」
今更そのクダリを掘り返されると、かなり恥ずかしい。しかし……どうして、アーニャは人間界に出たいと言い出したのだろう? また悪さをするつもりなのだろうか?
「アーニャが何の目的で人間界に出ようとしているのか、聞いた?」
「アーニャさんは人間界に思い出を探しに行きたいのだと……好きでもない相手を受け入れるのはもう嫌なのだと、おっしゃっていました。アーニャさんは……と言うよりかはリリスは、と言った方が正しいのでしょうけど。彼女達は生前、相手を殺して心中する程の恋に身を焦がして闇堕ちしてくる悪魔さんなのだそうです」
そうだったのか……? 相手を殺して心中……って。それはいわゆる、無理心中というものでは……?
「そのため、記憶の大半は非常に辛いもので、封印もかなり強固だと聞きました。だけど、アーニャさんは辛い最期の時間を思い出して、追憶の試練にチャレンジしたいのだそうです。今のままでは、アスモデウス様の言いなりになるしかなく、アーニャさんに娼館で働く事は拒否できない……状況を変えるためにも、もっと強くなりたいのだと、言っていました」
強制的に誰かを受け入れなければいけない不条理。そして、それを拒否できない現実。
ハーヴェン以外と「そんな事をする」のが考えも及ばない私にとって、それがいかに苦痛であるかは、想像に余りある。あのアーニャがそんなに厳しい日常を過しているなんて、思いもしなかった。
「しかし……リリスは色欲の悪魔という事もあって、人間の精気を吸う事も考えられる。いくら契約のある札付きだからと言っても、人間界の秩序を乱す事は絶対に許されないが……その辺りの話は、きちんとした?」
「はい。そちらは主人から念押しをしてくれました。私と契約をする以上は迷惑をかけない事が前提だということと、それを破るような事があれば即刻叩き斬ると……ちょっと脅し込みで言い含めてくれました」
「そ、そう……だったら、私がとやかく言う必要はないかな。マモンの脅しとあらば、必要以上に効果的な気がする……。しかし、アーニャはそれで大丈夫なんだろうか。何かあったら、本当に即座にバッサリもあり得るんだろうし……。まして、彼女自身はあの見た目だ。本人の意図しないところで、問題が起きそうな気もする……」
「ふふ、大丈夫ですよ。主人もいきなり斬り伏せないと思いますから。……もし万が一があっても、事情くらいは聞いてくれるでしょう」
「……そっか。リッテルがそこまで言うんだったら、大丈夫かな」
本来の力を取り戻しているであろう魔界最強の真祖様との約束であれば、いくら親の真祖が違えど、逆らう者はいない気がする。一方で、私はマモンが予想以上にこちらに協力的なことに驚いていた。リッテルをいろんな所に連れ出してくれたり、自分には関係がない契約にも権威を乱用してくれたり……彼の対応は普通であれば、考えられないことだろうと思う。そんな彼の手綱をしっかり握っているリッテルの報告は、後で目を通すとして。今はとにかく、是光ちゃんとの約束を果たさなければ。しかし……もう少し時間が必要なのだが、どのくらいの猶予をもらえるのだろうか?




