9−40 ヒューヒュー、お熱いこった
「あぁ〜、今日は随分と華やかっすね。マモン様は神界にも、お友達がいたんすか?」
そうこうしているうちに、どうやらお弟子さんが来てしまったらしい。しかし、妙に軽い口調で降り立つ悪魔は、どこをどう見てもインキュバスなわけで。……どうして、このタイミングでインキュバスが来るんだよ……。
「別に、そういう訳じゃねーし。仕事の話があるとかで神界から……って、ちょっとは話を聞けよ!」
「えっと……いや、俺もマモン様の話を聞きたいんすけど……」
「あの、悪魔さんお名前は⁉︎」
「今日はマモン様の所に何しに来たんですかっ⁉︎」
案の定、突然やって来た見目麗しい悪魔に群がる天使のお嬢さん方。それにしても、マモンの弟子にインキュバスがいるなんて、思いもしなかった。
「あ、もしかしてそっちの天使様は……リッテル様ですか? お久しぶりっす!」
「ジェイドさん、お久しぶりです。無事、魔界に帰ってこれました。これからは傷の手当てもできますから、ご入用でしたらお声掛けくださいね」
「おぉ〜! マジっすか⁉︎ いや〜、マモン様の稽古はかなりキツいものがあるっすから、手当てしてもらえるとなると、思いっきり励めますね〜!」
しかし、目の前の黄色い声を物ともせずに、リッテルに気がつくと元気に挨拶をし出すジェイドとやら。なるほど、リッテルとは顔なじみか。そんでもって……こいつが例のラブレターの相手か……。
(なぁ。もしかして、ジェイドって……)
(うん。多分、ルシファーの恋文の相手だろうな)
(アスモデウスの親衛隊だったっけ?)
(そうそう、それそれ。……それでもって、色欲のナンバー2の悪魔だったと思う)
例の会合でオスカーが言っていた事を思い出し、ルシエルとヒソヒソと話をするものの。……ジェイドの周囲のお熱は暫く冷めることはなさそうだし、彼らは放っておいて、お仕事の話を済ませた方が良さそうだ。
「マモン、嫁さんから仕事の話をしておいていいかな? リッテルの今後も含めて、お願いがあるみたいだし」
「そうだな。今のうちに話を聞いておくか。……で、リッテルはどんな仕事をしないといけないんだ?」
俺が水を向けると、颯爽と肩から飛び降りて。いつものピリッとした表情に戻ったルシエルが、淡々と仕事内容をマモンに説明し始める。
「リッテルが神界に帰還したのを機に、今後は私が彼女の任務を統括することになりました。人間界の問題解決には天使の力だけでは到底及ばない部分が多く、可能であれば、悪魔の力を借りたいという事になり……つきましては、リッテルをあなたのお手元に置いていただき、私達にお力を貸してくれそうな悪魔を探すこととなったのです。無論、タダで協力を仰ぐ訳ではありません。天使が出来る事……それこそ、回復魔法を使っての治療を行う等、あなた達のお役に立てる事を可能な限り提案致しますので、何卒、ご理解をいただけると幸いです」
そこまで言って、マモンに丁寧に頭を下げるルシエル。以前はあんなにも毛嫌いしていたのに、流石にこの辺りは大天使の礼節というものなんだろう。……後ろで変な方向に興奮している、あっちの大天使とは大違いだな、オイ。
「フゥ〜ン……そちらさんも、色々と大変なんだな? ……リッテルはその話、飲んだの?」
「えぇ。それがあなたと暮らすための条件でもありましたし……。あっ! でも、悪魔さん達に辛い事をさせようとか、そういう訳じゃないのよ? 特性上、私達には難しいことがあって。それで協力してくれる人を探す事になったの」
「そ。それじゃ、俺は構わないけど。呼びかけに応じる応じないは、個人の判断だろーし。俺がとやかく言う必要もねーだろうし。それに……俺は天使に協力するのはゴメンだけど、リッテルに力を貸すのは吝かじゃないし。そういう事なら、好きにすればいいんじゃない?」
妙に回りくどい言い方をしつつも、前向きな返事をもらって一安心といったところか。ぶっきら棒ながらも、しっかり照れているマモンの頬に「ありがとう」とリッテルが口づけをしているのが、とにかく羨ましい。
「……なぁ、ルシエル……」
「なんだ?」
「えっと……。俺もルシエルに協力するのは、吝かじゃない訳で」
「……だから?」
「グスっ……なんでもありません」
お仕事モードのピリピリした空気で言い返されて。玉砕した俺を、マモンがニヤニヤと意地が悪いお顔で見つめている。あ、それ……優越感に浸ってるってやつだよな? そうだよな? そんな顔をされたら、メチャクチャ悔しいじゃないか。
「いいもん、いいもん……。今夜から、ルシエルのデザートは抜きにするもん……」
「って、おい! それとこれとは、話が別だろう⁉︎」
「ルシエルはなんだかんだで凶暴だし、ツンツンしてるし……俺をあなたなんて、呼んでくれることもないし……。やっぱり、もっと優しいマスターを見つけようかな……」
「分かった、分かったから! ほっぺに口づけすればいいのか⁉︎ だからデザートは抜きにしないで!」
「あ、ここでちゃんとしてくれちゃう? だったら、今夜もデザート付けちゃうぞ」
「ゔ……。これからもデザート、よろしくお願いします……あなた……」
期待一杯に耳をパタつかせて、ルシエルに顔を寄せると。彼女は真っ赤な顔をして、ほっぺじゃなくて鼻先に口づけをくれる。チュッと音をさせながら、ご褒美をもらうと……何でも頑張れる気がするぞ。
「へぇ〜。ルシエルちゃんは随分と、暴食色に染まってるんだな……」
「うん? それ、どういう意味?」
「あ? お前……まさか、知らないのか? 俺達悪魔の男は魔力の流通を介して、自分色に女を染めるのが普通なんだよ。男の方は自分の欲望をただ垂れ流すだけだが、どうやら受け側の方は単純じゃないらしくてな。悪魔の女は根源をきちんと持ってはいるが、相手によっては気質が変化することもあるみたいだぞ。天使もその辺の仕組みが一緒だとは、思いもしなかったけど。結婚なんて概念が吹っ飛んでる魔界じゃ、女を自分のモノにするには、魔力をばら撒くしかないのが常識だ」
「いや〜ん! マモンしゃまのエッチ! アチシもマモンしゃまのモノにして欲しいんでしゅけど、どんなに誘惑しても落ちないでしゅ……」
「何が悲しくて、お前みたいなチンチクリンを相手にせにゃならん! いい加減にしとけよ、このエロ羊!」
「あぁ〜ん! ギブギブ! マモンしゃま、ギブです〜!」
誘惑とやらに陥落しなかったマモンが、先程からお口が過ぎるハンスのこめかみをグリグリとし始める。今のマモンは彼女だけではなく、相手がサキュバスやリリスだろうと、よそ見はしない気がするが。それはともかく……ルシエルがそんなに自分色に染まっているなんて、思いもしなかった。
「ま、こいつの事は放っておいて。とにかく。食事は必要ないはずのルシエルちゃんが、そこまで食べ物に極端に反応するようになったのは、きっちりお前色に染まっているって事だろうよ。ヒューヒュー、お熱いこった」
妙に冷めた口調で俺達を囃すマモンに続いて、リッテルにくっついたままの小悪魔達もヒューヒュー言い出すのが、ちょっと居た堪れない。そうして暫く彼らの様子を見ていたマモンだが、その仕組みが自分のお嫁さんにも適用される事に気づいたらしい。急に眉間にシワを寄せて、難しい顔をし始めた。
「ん? と、いう事は……。俺の場合は、リッテルが欲張りになるって事か……?」
「リッテル様、欲張りになるです?」
「おいら、優しいリッテル様がいいです……」
「もう、大丈夫よ。欲張るのは、旦那様に対してだけだから。みんなには、無理な事は言わないわ」
「要するに……俺には無理を言うって事だよな……?」
「あら、ダメかしら?」
不安いっぱいで思慮を巡らしていたが、リッテルの満面の笑みに何かを悟ったらしい。怯えたように黙り込むマモンだけど。……これは間違いなく、尻に敷かれてるってヤツだと思う。
「そっちの事は、とりあえず考えなくていいか……で、ジェイド。今日はやめとくか? さっきから忙しそうだし」
「え、えぇ⁉︎ ちょっと待って下さいよ、マモン様! 俺、サシで稽古をつけてもらおうと思って、早めに来たのに……それはあんまりっすよ」
「あぁ、そう……。しかし、何が良くて俺なんだか。他にも、強い奴はいくらでもいるだろうに。現に、ここにいるハーヴェンはかなり強いと思うぞ? 丁度、水属性同士だし、試しに手合わせしてみたら?」
「何を勝手なこと、言ってんだよ! 俺は嫁さんのお供に来ただけだし、戦うのは好きじゃないし!」
「ふ〜ん……だって、ルシエルちゃん。どうする? 大天使様の旦那様はあろうことか、こんな臆病な事を言ってるけど」
余程、ジェイドと俺を対戦させたいらしいマモンが、何故か嫁さんに話を振っているが。いつの間に、こいつは俺の嫁さんの特徴をここまで把握していたんだろう。……そんな焚きつけるようなことを言ったら……。
「……ハーヴェン。負けたら、承知しないから」
(あ、やっぱり……)
「お、いいっすね。他の上級悪魔とも、手合わせしてみたいと思ってたし……。ところで、エルダーウコバク様。魔法はアリにします? ナシにします?」
「え? あぁ……どっちでもいいよ?」
「そうっすか。あのルシファーに魔法で勝った相手に、ナシはつまんないっすよね。それじゃ、アリで行きましょう!」
インキュバスは上級悪魔ではあるものの、そこまで強い悪魔ではなかったと思う。
しかし、ジェイドは特殊な奴らしく、難なく大剣を片手で構えているのを見ても、スタンダードに強い相手のようだ。しかも、敢えて俺相手に魔法アリの勝負を仕掛けてくるとなると……なるほど。魔界最強の剣豪に、教えを乞うだけはあるということなのだろう。周りの黄色い声をも慣れたように振り払いつつ、俺をしっかり見据えてくる真剣な眼差しは、紛れもない手練れの剣士のそれだった。




