9−24 生誕祭のポスター
「っと、そんな事を言っている間に着いたな。さて。まずはお待ちかね、小説選びのお時間です。ほらほら、好きなものを選んでおいで」
ルシフェル様の爆弾発言に憂慮しつつ、世間話をしながら歩みを進めれば。いつかの本屋に辿り着いていた。ハーヴェンが本屋の中に足を踏み入れると、彼に続けとばかりに本屋に吸い込まれる子供達。奥のカウンターには丸メガネの元精霊の店主が座っており、ハーヴェンと挨拶を交わし始めている一方で……本屋自体も初めてらしいコンラッドとルシフェル様が、物珍しそうに周囲を見つめている。
「……ここが目的の本屋さんですか。なるほど、なるほど……小さいながらも、沢山の本を扱っているのですね。孤児院に置く本を、見繕うのもいいかもしれません」
「ほほぉ……これは絵本か? うぅむ、なんだか心惹かれる色合いの表紙だな……」
「どんな絵本ですか?」
好奇心剥き出しのルシフェル様が心惹かれると、見つめている絵本のタイトルを覗き込むと……『サムシングブルー・ポーターの旅』と書かれていた。ルシフェル様が心惹かれると言っていたのは、綺麗な鳥のブルーらしい。
「私もこの絵本が欲しいかも……あぁ、もう1冊あるみたいですね。私はこれを買ってもらおうかな……」
「うむ? ルシエルも絵本を読むのか?」
「えぇ。絵本と言っても、もっぱら図鑑ですけど。実はこの鳥……サムシングブルー・ポーターは私にとって、思い入れの深い鳥でして。この綺麗な瑠璃色の羽には、幸運が詰まっているのだそうですよ」
「あ、ルシエル……ちょっといいか?」
「うん?」
そんなやりとりしていると、背後にハーヴェンと……申し訳なさそうに立ち尽くしている店主の姿がある。ハーヴェンの困った表情といい、店主の困惑しきった顔つきといい。何やら、警戒されているみたいだが。多分、警戒対象は私ではなく……。
「マルディーンさんが例によって、プランシーとルシファーの素性をある程度、見破ったみたいでな。プランシーは俺の同僚で問題ないだろうけど……ルシファーはそれだけじゃ誤魔化せないっていうか」
そういう事か。確かにルシフェル様が相手では、ただの同僚では済ませられないだろう。
「あ、えぇと……。そちらの方も相当レベルの天使様、で合っていますか?」
「うむ? 合っているが。一応、私は神界の天使長でな。確かに、それなりに魔力もあると思うが……かなり魔力は抑えていたので、見破られるとは思わなんだ。ふぅむ……あぁ、なるほど。そう言うお前は元精霊か。しかも……随分と階位の高い精霊だったように思えるが、元は何の精霊だったんだ? ただのエルフではあるまい?」
「え⁉︎」
探っていた側だったはずの店主に、何気なくルシフェル様が答えるが。……彼女の指摘に一瞬にして、顔を青くして震え始める店主。怯え方が尋常ではない気がするが、どうしたのだろうか?
「え、えぇと……」
「ドルイド? ハイエルフ? 違うな……。まさか、この感じ……ひょっとして、元は妖精王・オベロンだったりしたか?」
ルシフェル様の目は、魔力の質や変遷を細かく見抜く力があると、聞いてはいたが……その眼力に狂いはなく、彼女の推測は正解に近いものだったらしい。更に顔面蒼白になる店主にとって、素性を暴かれるのは都合の悪い事だった様子。しかし、妖精王? それって、まさか……!
「妖精王って、ノクエルの元から逃げ出した精霊だった気が……」
私の呟きに、悲しそうに押し黙る店主。……もしかして……。
「……えぇ、そうですよ。僕はもともと、妖精界の王として君臨していました。でも、とっくの昔に終わった事です。今は全てを捨てて、逃げ込んだ本屋で細々と毎日を暮らしている、しがない元精霊でしかありません。しかし、力を若干残しているのは事実ですし……だから、お願いです。ノクエル様には、僕の所在を教えないでくれませんか。僕は……」
「それでしたら、心配には及びません。……ノクエルは既に死亡しておりますから」
「……え?」
「ノクエルは堕天しておりまして。……少し前に捕らえられて、罰を与えられた後、粛清されました」
「そう、でしたか。でしたら、もう彼女に見つかるかもしれないと、怯える必要はないんですね」
「……そうですね」
私の答えに安心した、というよりは……少し寂しそうな声色の返事に、切ない気分になる。
おそらくノクエルが彼に「無理難題の答え」を要求しなければ、彼も色々と失わなくて良かったのだろうと思う。直接、自分がした事ではないとはいえ……やはり、後味が悪い。
「そっか。マルディーンさん、元は偉い精霊だったんだ」
「えぇ、まぁ……。とは言え、僕には息子もいましたし。きっと、あの子がきちんと務めをこなしている事でしょう。……と。あぁ、失礼しました。折角、こうして皆さんでお越しいただいたのです。店の看板をクローズにしてきますから、しばらく貸切にしましょう。思う存分、お話とお買い物を楽しんでください」
少し疲れたような笑顔を見せた後、入り口のドアプレートを引っくり返す店主。前回は図鑑に夢中で他の本を手に取る事もなかったが、この際だからご厚意に甘えて、思う存分本を選んでみてもいいかもしれない。気を取り直してあたりを見回すと、柱に見覚えのある不愉快なポスターが貼られているのに、気づく。
「このポスター、役所にも貼ってあったな……」
「あ、そうなんだ? お前達が一生懸命見つめていたのは、これだったのか。これ……教会のポスターか?」
私の呟きに耳ざとく反応して、ハーヴェンもまじまじとポスターを見つめ始める横から、店主がポスターの内容を説明してくれる。
「あぁ、これは生誕祭のポスターですね。例の勇者の生誕300周年と収穫祭を兼ねて、今年は特に大規模な祭典が催されるのです。当日はアーチェッタ大聖堂で、門外不出の“ハールの御髪”と“奇跡の結晶”の特別公開もあるとかで……ローヴェルズでは、国を挙げてのお祭りになるみたいですよ」
店主の言葉に、少し難しい顔をして黙り込むハーヴェン。その内容に、彼も思うことがある様子だが……。
「……どうしました? 僕、悪い事を言ってしまいましたか?」
「あぁ、いや。そうじゃないんだよ。……ただ、奇跡の結晶とやらに、ちょっと気分が悪くなっちまって。別にマルディーンさんは悪くないよ」
「そうですか……しかし奇跡の結晶に、ですか? 奇跡の結晶は勇者が残した真紅の宝石だと、聞いていますが」
「宝石? でも、それでハーヴェンの気分が悪くなるって……。具体的にどんな宝石なんだ?」
「すまないが、今話す気分にはなれないかな。……後でルシエルにはきちんと説明するよ」
大抵の事は包み隠さず話してくれるハーヴェンが、説明を後回しにするという事は……「奇跡の結晶」は彼にとって、随分と曰く付きの品物のようだ。ポスターを見つめる横顔が寂しそうなのに、俄かに胸が締め付けられる気がして、とても辛い。そんな彼の表情に、空気を読むのも上手な店主は内容を深追いする気もないらしい。目の前の色味だけはバカに綺麗なポスターを見つめては、何かを考えている。
「……しかし、このポスターの悪趣味さと言ったら、ないな。教会とやらはどこまで勇者を祭り上げて、自分達の権威を高めれば気が済むのだろうな」
途中から話を聞いていたらしいルシフェル様が後ろから口を挟むと、さも不愉快だと鼻を鳴らす。
全体的に爽やかな色合いでまとめられている渦中のポスターは、教会の高僧……恐らく教皇と思われる……が英雄ハール・ローヴェンの肩に剣を差し出している構図をとっており、叙勲式の一幕を示したものだろう。しかし、勇者自体は教会が都合よく仕立て上げた存在であって、事実を知っている身としては……いかにも上からの視点が殊更、鼻につく。
恐らく、ルシフェル様も同じことを感じているのだろう。役所でもポスターの前で憎々しげに呟いていた内容といい、険しい表情といい。悉く、このポスターが気に入らない様子だ。
「さて、そろそろ子供達も本を選び終わったかな。そう言えば、この本屋……2階建だったんだな」
「えぇ。2階は小説と学術書のコーナーになっています。小説はシリーズで並べてあった方が売れ行きもいいですから、まとめて置いているのですが……何分にも、場所を取るものでして。だから、広い2階に専用スペースを用意しています。一方で学術書は割合高価な本ですので、ゆっくり選びたいという方も多いんですよ。そちらも何かと物音がする1階よりは、2階にある方が都合が良くて。それに、冷やかしでもないことが多いですから。ですので、あまり口うるさくせずに、存分に選んでいただければいいなと思って、専門コーナーを作ってあるんです」
気を取り直して、と言ったところだろう。ハーヴェンが思い出したように子供達を気にし始める。その彼らがいる2階の構成を気遣うように説明する店主の言葉を受けて、ようやくいつもの屈託のない表情に戻るハーヴェン。どうやら彼にとって、必要以上に生前の軌跡を探られるのは……あまり気分のいいことではないようだ。
伝説の勇者、か。あまりに立派すぎる肩書きは、都合よく仕立てられただけの真っ赤な嘘だということが、未だに彼を苦しめているのだ。このポスターも含めて……嘘を布教している教会に、改めて憤りを感じる。
「それじゃ、俺はそっちに行ってくるかな。ルシエルとルシファーはどうする?」
「私はここで待ってるよ。他にも、鳥ちゃんの本があるかもしれないし」
「ルシエルは余程、その鳥が好きなんだな。そう言えば『愛の紡ぎ方』にも、そんなことが書いてあったな」
「……愛の紡ぎ方?」
「あ、何でもないです! こちらの事情ですので、気にしないでください!」
「え、えぇ……」
最後の第8弾まで『愛のロンギヌス』シリーズを読破したらしいルシフェル様のお言葉に、反応する店主を慌てて諌めるが……天使長様は終始、基本的に空気は読まないのがとにかく疲れる。そうして、私達の様子に苦笑いをしながら、奥手の階段を登っていくハーヴェン。彼が多めに本を買おうなんて言っていたが、子供達がどんな本を選んだのかが少し気になる。……変な内容の本を選んでいないといいのだが。




