9−12 調和の大天使
ルシフェル様のご一喝で、ようやく身柄を解放されたものの。私の捕縛加減に、思うところがあるのだろう。カツカツと靴を鳴らしながら歩くルシフェル様が、背中越しに毒づく。
「ったく。お前もどうして、振り切ってこんのだ。あの程度の団体を……」
「申し訳ありません……。まさか神界門を潜った途端、拉致されるとも思っていませんでしたので……」
「まぁ、小説の発刊が思ったよりも早かったのは、事実か……。今回のはかなり刺激的だったし、当事者が謹慎中である以上、少しでも近い位置にいるお前に質問が集中するのも、無理もないのかもしれんが」
「刺激的……。それが意味するところは、耐性を受け取る行為の部分で合ってますか?」
「ふむ……。いつもの『愛のロンギヌス』シリーズに比べたら、随分と大人向けになっていた。まぁ、変にボカしても仕方ないのかもしれんが……その辺も含めて、リッテルのフォローを頼むぞ」
「承知しました……」
やはり結構な部分で、やり取りが赤裸々に記されているらしい。リッテル側に感情移入させる、という目論見が達成させていれば、ある程度は目を瞑らねばならないだろうが。やはり、想像以上の波及効果が出てしまっている様だ。フォロー、か。……さて、どうしたものか。
「……着いたぞ。という事で、マナ。お前のご要望通り、ルシエルを連れてきた。あまり時間もない故、手短に頼めるか」
「これが、マナツリー……」
ルシフェル様が話しかけている相手の姿は見えないが。少なくとも、目の前に聳える大樹に……何らかの意思が宿っていそうなことくらいは、私にも分かる。
幹も枝も真っ白なのに、腕に繁る葉は美しい萌黄色やエメラルドグリーンをしていて。人間界の真っ黒に染まった樹木のそれとは、かけ離れた若々しさを感じる。一方で、ルシフェル様はさざめきに耳を澄ませていたかと思うと……マナツリーから命令を受け取ったらしい。ようよう私に向き直って、祝辞を述べ始める。どうやら、翼の授与は彼女が代理でしてくれる様だ。
「……神界が主人・マナの意思により我が名によって、天使・ルシエルを調和の大天使に任命する。これより先、阿万つ世界に調和の叡智を示さんことを!」
彼女のお言葉が終わると同時に、自分の背がズシリと重くなったのを感じる。そうして違和感を慣らすように、翼を広げてみるが……これが大天使の責任と権威の重さか。この重さに耐えられるように、私自身もきちんと精進せねばいけないということなのだろう。
「さて、ルシエル。1つ、確認せねばならんことがある。この場で、ロンギヌスを呼び出してくれんか」
「ロンギヌスを、ですか?」
「うむ。お前の手にあるロンギヌスは、未だに白銀で間違いないか」
「……えぇ、間違いありません」
そうか。ルシフェル様はロンギヌスが本来の姿に戻ったのか、確認するつもりなのだろう。大天使の手にあるはずのロンギヌスが下級天使の手にあったのは、不自然極まりない。それに……本来、ロンギヌスは黄金の輝きを放つ神具だったのだ。故に、現段階での姿を確認したいというのも、無理はない。
「……我の元に来れ、ロンギヌス!」
しかし、呼び出したロンギヌスは銀色のまま。金色とは言い難い姿をしている。だとすると、ロンギヌスが本来の姿を取り戻せないのは、持ち主の階位が原因ではないということか?
「まだ、そのままか……そうだな、折角だ。ルシエルにも少しこいつが白銀のままである理由について、説明しておこうか……」
「他に理由があるのですね……。やはり、原因は私の実力不足でしょうか?」
「いや、そうではない。……おそらくだが、ロンギヌスもまた別の場所に力を持って行かれている状態なのだろう」
「別の場所……?」
「ふむ……実はな。先日、下級天使が1名……ティデルと言うらしい……が堕天したようなのだ」
「はい?」
ティデルが堕天? 一体……どういうことだ?
「少し傾向があったことは、マナも把握していたようだが……今回はルートが複雑でな。ティデルをうまく言いくるめて、堕天させた者があったようだ」
「誰かが向こう側に誘った、と?」
「おそらく、な。……で、昨日神界の領域に、強制的に外部の空間を繋げた奴がいた事も分かっている。そして……その刹那にマナが感知した魔力はどことなく……ハミュエルの物だったそうだ」
「ハミュエル様……?」
まさか、彼女が生きていたということか?
しかも、ティデルを唆して堕天させた?
一体、何がどうなっている?
何より、あの誰よりも高潔だったハミュエル様がどうして……?
そんな事を考えていると、俄に翼の重みとは別の理由で足元が沈み込む錯覚に陥る。息苦しい上に、体の震えが止まらない。もし、ハミュエル様が生きていて、しかも翼を黒く染めていたというのなら。私がした事と、その後に待ち構えていた屈辱は……一体、何の為だったと言うのだ?
「待て待て、ルシエル。結論を急ぐな。ハミュエルの名にショックなのは分かるが、魔力がそれだからといって、ハミュエルだとは断定できん」
「し、しかし……」
「とにかく、だ。きちんと確認せねばならんだろうが、今のロンギヌスは……おそらく持ち主として認識している相手が2人いる状態になっておるのだろう。そして、片方がハミュエルもどきだろうことは明白だ。なので……ロンギヌスの状態と、その意思にも十分に注意を払っておけ。そして何か気になることがあったら、些細な事でもすぐに報告するのだ」
「かしこ……まりました……」
「次から次へと、お前にばかり苦労をさせてすまないが。今のお前には、支えてくれる者が大勢おるのだろう? ならば、時には彼らを最大限に頼ってもいいだろう。彼らの気持ちを裏切らない為にも、お前はきちんと職務と……理想を見失わないように、前を向け。お前にはすべきことがある。それをゆめゆめ忘れるな」
ルシフェル様の厳しくも、暖かいお言葉に心の底まで沈みかけていた希望が……また息を吹き返して、ゆっくりと登ってくる。そうだ、私にはすべきことがある。それを放り出して、さも悲しいと落ち込むなど……以ての外だろう。
「そう、ですね……。私個人の感傷で成すべきことを見失っては、この翼の重みには耐えられないでしょう。えぇ、その通りです……。私に名前を預けてくれた彼らを……裏切るようなことがあってはいけません」
「その言葉を聞いて、安心した。お前を調和の大天使に据えたのは、間違ってはいなかろう。……息つく間も与えてやれずに済まぬが、これからのことも急ぎせねばならん。私からの話は一旦、以上だ。お前は先に戻ってするべきことをしてこい」
「承知しました。本日はローヴェルズの引き継ぎと……ルクレスの事を話さねばいけませんね」
しかし、そうなると……やはり、ラミュエル様が心配なのだが。リッテルの処遇が丸く収まりかけた矢先に、ティデルの堕天ともなれば。またも、彼女は落ち込みかねない。
「ところで……ティデル堕天の件、ラミュエル様はご存知ですか?」
「あぁ、知っている。大天使共も流石に気づいたようでな。既に後釜の話も進めているようだ」
「そう、ですか……。それにしても、ラミュエル様は大丈夫でしょうか」
「まぁ、大丈夫だろう。ティデルの性格までは見抜けなかったようだが、ミシェルがなんとなく気づいていた部分もあったようだし……。ここまでハッキリと事態が深刻化していた方が、あいつらのやる気も保てて、却っていいかもしれん」
「それはそれで、どうなのでしょうか……。何れにしても、私は任務に戻ります。本日はありがとうございました」
「ふむ。では後でな。私はマナと少し話をしてから戻る故、きちんと話を進めておくように」
「かしこまりました。では……失礼いたします」
そう言い残し、柔らかではあるものの……ひりついた魔力が充満する空間を後にする。その空気が恐ろしいほどに、アーチェッタのあの部屋と一致するのに……言いようのない不安と焦燥を覚えながら、何を弱気になっているのだと、強か自分の頰を打つ。私にはすべき事がたくさんある。弱音を吐くには……あまりに早すぎるだろう。




