9−10 あまりに優しいワガママ
「ただいま〜」
「お、お帰り。今日はギリギリ、間に合わなかったな」
「ゔ、そうか……。今日はみんなと食事ができなかった……」
ハーヴェンの口ぶりからするに、他のメンバーは夕食を済ませているのだろう。もちろん、私の分は残してくれているだろうが。1人で食べるのと、大勢で食卓を囲むのでは、料理の味わいは変わらずとも……楽しさはかなり違うと思う。
「仕方ないだろ。お前はウチの大黒柱なんだから。みんなも分かってるさ」
「そうなんだろうけど……。たまにはちゃんと話をしたいというか」
「話がある時は、お前の帰りを待っていればいいだけさ。現に……今日は相談したいことがあるとかで、プランシーがお待ちかねのご様子だったぞ」
「……コンラッドが?」
リビングに向かうと、コンラッドが珍しく残ってお茶を啜っているところだった。もうそろそろ、普段なら部屋に戻っている時間だろうに。……何か、悩み事だろうか?
「さて、と。まずはルシエルの夕食を準備しような。……ちょっと待ってて」
「うん」
ハーヴェンが厨房に鼻歌交じりで消えた後、しばらくして綺麗に盛り付けられた料理を次々に運んでくる。見た所……この茶色い肉の塊は、初めて食卓に登る気がするが……?
「ハーヴェン、これ、何だろう?」
「あぁ、今日のメインはミートローフです。付け合わせはグリーンサラダのレモンバジルソースと、小エビのマリネ。スープはキャベツとレンズ豆のクリームスープに、パンはクロワッサンを用意しました〜」
「ミートローフ……?」
「うん、ハンバーグの親戚だと思ってくれていいぞ。まぁ、厳密にはちょっと違うけど……」
ハーヴェンの説明を聞き終わる間も無く、ミートローフとやらにナイフを滑らせる。中央に卵が入っているみたいだが……それがまたいい具合に半熟なものだから、黄身を絡めて口に運ぶと。しっかりとした歯ごたえと、スパイスの複雑な味わいが病みつきになりそうだ。
コンラッドは私が食事に夢中なのをどこか嬉しそうに見守りながら、ちゃんと待っていてくれるらしい。ハーヴェンと世間話をする程度以上の会話を挟む事もなく、お茶を啜っている。
そうして私の食事の進み具合を見計らって、ハーヴェンが今度はデザートを運んできた。……今日のデザートはチョコババロアみたいだ。
「あ、そうそう。ルシエル、そろそろ話をしても大丈夫かな。ちょっとプランシーがお前に相談があるんだと。……俺は新しくお茶を用意してくるから、話を聞いてやってくれないか」
「あぁ、もちろん。そのために待っていてくれたんだろうし……」
「すみません、マスター。……最近、思うところがありまして。1つ、ワガママを聞いてはいただけないでしょうか」
「ワガママ? どんな事でしょうか?」
「……はい。その……できれば、孤児院を再開したいのです」
「……え?」
孤児院を再開したい? それはつまり、街中に出て……子供達の面倒を見たいということか?
「どうして、そんな事を思われたのですか?」
「理由は色々とありますが……。実は一昨日、カーヴェラに出た時に……ギノの実父に会いました」
「ギノの……?」
「えぇ。実は以前からも、タルルトの孤児院に悪い事で稼いだお金を持ってきては、ギノの様子を遠くから見ていただけだったのですが……」
ギノの父親が健在である事も初耳だったが、コンラッドの口ぶりからするに、あまり素行のいい相手ではなかったみたいだな……。しかし、そこは腐っても父親なのだろう。……どうやら、彼はギノを単純に捨てたわけではなさそうだ。
「それがここに来て、まともな職を得たようで……。彼にギノが死んだ事を伝えると、晴れてギノを迎えに行けそうだったのに、と涙ながらに申しまして。仕方なく、ギノは“人間としての一生を終えた”と伝えましたが……おそらく、あの子に会う事は諦めてはいないでしょう」
「それが、どうして孤児院を構える話になるのです?」
「……その部分が私のワガママになるのですが。ただ彼と会わせるのは、ギノを傷つけかねないと思っています。彼もギノを迎えに行けるように必死に努力したようですが、既にかなりの悪事に手を染めていたのも事実でして。私が知る限りでも、3回は手を血塗れにしながらやって来たことがありました」
沈痛な面持ちで顔を伏せるコンラッドに、そっとお茶を差し出すハーヴェン。私にも新しいお茶を渡してくれると、彼の言葉を引き継ぐ。
「どうやらな、プランシーはギノの父親……ヤジェフと言うんだが……を捨て置けないらしい。一旦はキッパリと拒絶したんだが、いずれはギノにも話をしてやらないといけないだろう。一応、ギノが花屋に行くだろうからとヒントはやったけど……花屋って言っても、カーヴェラに何軒あるか知れたもんじゃないし。で、タルルトと同じように孤児院を構えてそれとなく……ヤジェフにギノを引き合わせてやりたいのだそうだ」
なるほど。孤児院はちょっとした目印のつもりなんだな。それとなく、父親にギノがいる事を伝えてやれば……遠くから見守るくらいは、許されるだろう。
「と……いうことは孤児院の場所はカーヴェラになりそう、でいいか?」
「まぁ、そういう事になるな。それに、カーヴェラも表向きは華やかで豊かに見えるが、裏路地で子供達が身を寄せ合って暮らしている現実もあったりする。俺もつい助けちまった事もあったし……。カーヴェラに孤児院を構えるのは、無駄じゃないだろう」
「もちろん、孤児院を賄うための費用は工面できるよう考えます。……小さく、些細なものでもいいのです。まずは孤児院を開く事をマスターにお許し頂かない事には、話が進まないと思いまして……。こうしてワガママを承知でお願いしております。どうか……どうか……!」
頭を深く下げるコンラッドだったが。彼の望みはなんて切実で……それでいて、なんてあまりに優しいワガママなのだろう。私も彼の希望は可能な限り、叶えてやりたいが……さて、どうしたものか。
「まずはラミュエル様に相談し、コンラッドをカーヴェラに住まわせて良いか確認します。私はあくまでローヴェルズの担当のため、それ以外の区域に自分の精霊が住むとなれば、一存で決められない部分があります。そちらに関して、少し時間をいただけますか?」
「は、はい……!」
「あぁ、それと……許可が降りたら、費用はこちらで用意しましょう。孤児院が多くの子供達の拠り所になるのであれば、それは本来、我々が手を差し伸べなければいけない相手を救う事にもなります。直接手を貸せない以上、あなたの優しさに甘えるのも一考かと。できる限り承諾を得られるよう善処しますので、待っていてくださいね」
「えぇ、えぇ、勿論です。話をきちんと聞いてくださった上に、優しいお言葉まで頂いて……なんとお礼を申し上げれば良いのでしょう……! 何卒、よろしくお願いいたします……!」
いや、そこまで感謝される内容ではないのだが……。こちら側が乗っかる形であるのだし、ここまで恐縮されると、却って申し訳ない。
「ま。嫁さんに任せておけば、大抵は大丈夫だろ。なにせ、大天使様になられる予定だそうだから〜」
「あ、そう言えば……その事も話さないと、いけないんだった。実は明日から、正式に調和の大天使になる事になりました……。これもハーヴェンやコンラッド……それに子供達にゲルニカ様達……精霊達の協力の賜物だと思っていて……。でも……私は今まで通り、みんなと楽しく過ごしたいです。これからも……よろしくお願いします……」
妙に間抜けな挨拶になってしまったが、自分なりに精一杯、彼らに敬意を示して頭を下げる。そうしてハーヴェンもコンラッドも暖かく拍手をしてくれると、嬉しそうにおめでとうと言ってくれた。
翼を取り上げられたあの時から、自分自身の変わりように驚いているが……決してその変化は悪いことではないと、自負している。一頻りの拍手の後に清々しい気分で顔を上げると、2人の悪魔がこれ以上ないくらいに優しい笑顔で私を見つめている。
天使と悪魔がこうして同じテーブルに着いて、こんな風に笑い合うなんて。昔の自分には想像もできなかっただろうけれど。私には、この光景が掛け替えのないものに思えてならなかった。




