8−44 自由を勝ち取るための一歩
暫く「この間のお兄さん」に連れられて、廊下を進む事、数分。辿り着いた先は、無駄に煌びやかな部屋で……甘ったるい胸焼けしそうなケバケバしさを見るに、ここがアスモデウスの「お部屋」とやらなんだろう。
「はい、到着っす。アスモデウス様〜、マモン様をお連れしましたよ〜」
「ご苦労様、ジェイド。もぅ、そんな所に立ってないで。こっちにいらっしゃい。ほら、早く!」
「はいは〜い! ……さ、マモン様もどうぞ中へ」
うげぇ。このやり取りだけでも、吐き気がする……。アスモデウスの甘ったるい声は、俺の神経を見事に逆撫でしてくれるが……とは言え、相手は一応は大悪魔だ。今は勝手にグロッキーになっている場合じゃない。
「お邪魔します、っと。ほれ、お前らも一緒に来い。俺の足に張り付いてていいから」
「マモン様、抱っこ」
「あ、おいらも!」
「僕も抱っこして欲しいですよぅ!」
「……抱っこは後。いいから、早くしろよ……」
俺が色々と警戒して頭を痛めている横で、アスモデウスの放つ異様な雰囲気に怯え始めたグレムリン共が、抱っこをせがんでくる。俺としては、そこまで懐かれた覚えはないけど。足元で不安そうに見上げてくる様子が、妙に居た堪れないのが歯痒い。
「……急に邪魔して、悪いな。今日はお前が拵えた最下落ちについて、相談しに来たんだけど」
「フゥン? また何で、お前がそんな奴の為に動いてんのよ? しっかも抱っこ、ですって? アッハハハハ! お前、いつから下級悪魔とも仲良くつるむようになったのよ? あぁ〜、おっかしー……」
相変わらず、人をハナからバカにするような態度を取りながら、真っ赤なカウチに身を預けているアスモデウス。お召し替えとやらで、着替えたのだろうが。今日は一段と挑発的な衣装に身を包んでおり、甚だ不愉快だ。
「自分の配下とどう接しようが、お前には関係ないだろうが。まぁ、いいや。で、単刀直入に言うけど。……こいつの紋を解除して、下級悪魔に仕立ててやってくれない?」
「はぁ⁉︎ 今……お前、なんて?」
「だから、舌に刻まれている紋章を削除して、下級悪魔に仕立てろって言ってんだよ」
「お前、自分が何を言ってるのか分かってんのッ⁉︎ なんで、私がそんな事をしなきゃいけないのよ?」
うん、アスモデウスのお言葉は至極ご尤も。俺だって、分かっていますとも。
アスモデウスが最下落ちを拵えたのは、元・上級悪魔だったろうこいつに最大限の罰を与えるためだ。それなのに、俺が要求しているのは「ペナルティはナシにしてやれ」という、彼女の意図を無視するものでしかない。それに……上級悪魔を失って得たものが、タダの下級悪魔(しかも、ペナルティなし)だなんて、間抜け過ぎる。
……要求しておいて、何だが。俺も逆の立場だったらば、そんな要求は飲みたくないぞ。
「だよな。まぁ、そうなるよな。でも、俺はその答えがと〜っても気に入らないので……実力行使に出ることにしまーす。力尽くで相手に言うことを聞かせるのも、当たり前だし。それに、無責任に振りまかれた噂で迷惑掛けられっぱなしなのも、そろそろ限界だし。それも含めて、キッチリカタを着けさせてもらおうか……?」
だけど、アスモデウスのご機嫌よりも、嫁さんの願いを叶える方が先。いくら、相手が納得せずとも……今の俺には関係ない。
そうして、やっぱり話が纏まらないので、最初っからそうするつもりだった筋書きを実行する。
実のところ、自分の配下に対する紋の更新は難しい行為ではない。俺が紋章の上書きなんてリスキーな事をするよりも、アスモデウスを脅して色欲の下級悪魔に仕立てさせる方が手間が少ないし、欲望の刷り込みを丸ごとカットできるだけでも、かなり効率的だ。
ったく、リッテルに方法はないのとか聞かれた時点で……こっちの方法をすぐに思いつくべきだった。
「……⁉︎ ジェ、ジェイドッ!」
「ハ、ハイッ!」
アスモデウスの命令にジェイドが臨戦態勢に入るのを牽制するつもりで、風切りをサクッと呼び出し、風刃を走らせる。アッサリと相手の耳を落として、魔法の詠唱が止まったのを尻目に……こちらはこちらで、補助魔法の展開に入る。
「ウァッ……! 痛ってぇ‼︎」
「金色の雲海、永遠の悲哀に身を預けん……黒雲の交わりを持って破滅を知れ‼︎ ライトニングフィールド!」
錬成度を抑えてコンパクトに発動したこの補助魔法は、対象範囲内の者を例外なく麻痺させる効果がある。特にインキュバスは水属性の悪魔だったはずだから、いくらダメージの入らない補助魔法とは言え……この電圧はジェイドには厳しいものがあるだろう。
「……さて。今度は補助魔法じゃなくて、攻撃魔法を発動させるつもりだけど。どうする? このまま2人仲良く、消し炭になりたいか?」
「マモン、どういうつもりなの……? この私の肌を……こうも焦がすなんて……!」
「あ? お前なんぞにそんな事を言われても、何も感じないんだけど。その様子だと……俺のいう事を聞く気もなさそうだし? そういうことなら、お前をぶっ倒して、色欲の真祖を兼任するのも悪くないか。お前さえ殺せば、こいつの紋は解除されるしな。……うん、そうだな。そうしよう、っと」
そうして脅し第2弾の準備を始めると、その魔法がちょっとやそっとのレベルのものではない事に気づいたらしい。アスモデウスが辛うじて回る口で抗議し始める。しかし、ここまでされても……まだ俺の要望を飲む気がないか。
「……ちょ、ちょっと! そんなもの使われたら……ま、丸ごと吹き飛んじゃう……じゃない⁉︎ いい加減にしなさいよッ⁉︎」
「……」
アスモデウスの途切れ途切れの言葉を無視し、詠唱を続けることで本気アピールをしてみると……今度こそ、ようやく折れたらしい。慌てて命乞いを始めるのが、これまた妙にイライラするし、同じ真祖のはずのこいつの情けなさに……神経を更に逆撫でされた気分になる。
「わ、分かったわよ! そいつを下級悪魔にしてやれば、いいんでしょッ⁉︎ だから……お願い! 私、まだ死にたくないし……こ、殺さないで!」
「ようやく分かったか、この大年増が。しっかし、どうしようかな〜……実はお前の決断が遅いもんだから、魔法の錬成終わっちまったんだけど」
「え……はぁっ⁉︎」
「魔法の解除って超面倒なんだよなぁ。ハイ、という事で……残念ながら、タイムアウトでーす。消し炭確定、っと」
「い、今まで悪かったわ! とにかく謝るから、命ばかりは……助けて頂戴ッ……!」
……マジ、ウゼェ。いや、本当にウゼェ。真祖の悪魔が、こんなにも情けなく命乞いするなし。これで俺と同じ大悪魔とか……ホントに笑わせんじゃねぇ。
「ふ〜ん……。それじゃ、迷惑料も含めて……どうしようかな? とりあえず、情けない命乞いに免じて照準はズラしてやるよ。天王の名の下に怒号を纏い、荒神たる鉄槌とならんことを。金色の息吹で全てを滅ぼせ、イエローカタストロフィ……っと」
と言いつつ……実は最初から、屋敷の外に展開していた風属性の最上位魔法を発動させるが。魔法の腕前も落ちているのか、俺としたことが照準合わせをミスったらしい。遠くに展開したつもりの雷の束は意外と至近距離に落ちたらしく、ド派手な轟音と共に……俺達がいる部屋の壁を打ち砕き、綺麗にお勝手口を拵えた。出来上がった大きめの出口から見える景色には、これまた結構な規模の縦穴が空いていて。……錬成度は3割程度のつもりだったけど、ちょっとやり過ぎたか?
「……ほれ。望み通り、命は助けてやったぞ? 代わりに何十人かがくたばったっぽいけど……俺、知らね」
「お前はどうして……そんなに色々とメチャクチャなのよッ⁉︎ もう、信じらんないわ!」
「あ? ライトニングフィールドの効果、切れたか? うーん……不愉快な無駄口を叩けないように、今度は強めに麻痺させておくか……」
「あ、ちょ、ちょっと! とにかく、その最下落ちを下級悪魔に仕立てればいいんでしょッ! 魔法を使うのは、もうやめてよ!」
「そうだな。まずはそれが先か。だったらほら、サッサとしろよ」
「あぁ! 本当にムカつくったら、ありゃしない! こいつは私を裏切ったクズ男だったのにッ!」
「マ、マァ〜……」
威嚇にも近い形相で睨みつけられたもんだから、渦中の最下落ちはもとより、それを見守っているグレムリン共も俺の足元で怯えている。アスモデウス相手に、そんなに怯える必要はないと思うんだけど。まぁ、今のアスモデウスの顔は完全に化け物だし……仕方ないか。
「……おい、クロ助。いいから、サクッと行ってこい。俺の前で必要以上に怯えるな、胸を張れ。自由を勝ち取るための一歩くらい、自分の足で踏み出してみろ」
「マ、マァ〜……⁉︎」
「……大丈夫だから。あのクソババアに、少しはマトモにしてもらえ」
そこまで言ってやると、ようやく決心をしたらしい最下落ちがアスモデウスの元に歩み寄る。そうして一頻りさも憎たらしいと睨みつけた後……アスモデウスが1つため息をついて、ヨルム語の特殊魔法を発動させた。




