8−28 忘れない約束
「……あのさ、ちょっと聞いていいか?」
「何かしら?」
お土産にウキウキしているグレムリンとは対照的に、急に寂しそうな顔をし始めるリッテル。明らかな萎れ具合に、前から気になっていた事を聞いてみるが。彼女の答えによっては、後悔する羽目になりそうだな……これは。
「お前が好きだった相手って、もしかして……」
「えぇ……私ね、実は生前からハーヴェン様の事を知っていたの。そして、生前から彼のことが好きだった。ハーヴェン様はね、人間だった時はハール・ローヴェンっていう……とっても有名な異端審問官だったのよ?」
「……そう、だったんだ……」
やっぱり……な。俺の予想は嫌な方向で正しかったみたいだ。優しくて、料理上手。しかも、生前は有名人ときたもんだ。……エルダーウコバクが相手だったら、俺は絶対に敵わない気がする。
「私も含めて……姉様達もハール様の凛々しいお姿と、綺麗な水の魔法に夢中だった。会うたびに少しでも彼の気を引こうと、たくさんお手紙を渡して……返事を貰えたことは、1度もなかったけど。それでも、お城の舞踏会に彼が来るとなれば、姉妹でお洒落を競ってたりしてたの。でも、ハール様にしたら、私達は愚かに見えていたのでしょうね。……ある日、使用人に膝をつかせて食事をさせていた時、彼にお叱りを受けたことがあって。でも、当時の私達は……この上なく、嫌な奴だったの」
いつかに見せた、自嘲気味の悲しい笑顔。廊下で膝を抱えたリッテルのセリフを、ふと思い出すが。嫌な奴だったのは正直なところ、俺も変わらない。もちろんそれが何の慰めにもならないのは、分かっているけれど。そんな風に悲しい顔だけは、しないでほしい。
「だったら、今からでも嫌な奴を卒業すれば? 俺には、以前のお前がどうだったかとかは関係ねーし」
「うん、そうね……今から少しずつ、嫌な奴を卒業できればいいな」
そうだよ。俺にしてみれば、リッテルがどんなヤツだったかなんて、気にする必要はない。だけど、リッテルはどうもエルダーウコバクに未練がありそうで……。その辺りを掘り返したらば、彼女を諦めなければならなくなりそうで、怖い。
「……でもね、嫌な奴だった私の話には少し続きがあって。ハール様に叱られた時、姉様が使用人を犬と呼んで、ハール様に魔法で清めて人間にしてやってくださいなんて、酷い返事をしたのだけど。……私もそれが当然だと思っていたわ。ここまで来ると、本当に最低よね……。そして、その時のハール様のお顔が忘れられないと同時に、私には……彼の表情の意味が全く分からなかったの」
リッテルは話を止めるつもりもない様子。自分を「嫌な奴」と自嘲しながら、粛々と言葉を続ける。
「そんな事があってから、すぐに王家は滅ぼされて……私は生贄として死ぬ事になったのだけど。最後の懺悔の相手してくださった時も、ハール様はずっとそのお顔だったの。そうして……転生してからも。ルシエル様がハーヴェン様との契約を持っている事が妬ましくて、横取りしようとしていた時も。彼のお顔の意味を考えようともせずに……ハーヴェン様に契約解除と契約替えの申し出をして、見事にフラれたのよ」
「契約解除に……契約替え?」
契約解除ってことは……つまりは、契約を切るって事か? えーと……そう言や、指輪を渡す時にもそんな話が出ていたっけ……?
「魔力レベル8以上の精霊は、全幅契約を結んでいたとしても、精霊側の意思で契約解除が可能だと説明したと思うけど……。私はハーヴェン様がレベル9の魔神であるのをいい事に、彼に契約解除の上で契約の結び直しをお願いしたの。でも、ハーヴェン様は私の事をすっかり忘れていて。生まれ変わって会えたなら、一緒になってくれるって約束も覚えていなかった」
うん? ちょっと待てよ? 確か、エルダーウコバクは追憶の試練を達成してたよな? 上級悪魔が追憶の試練を受けるには、生前の記憶を取り戻していることが前提だ。
(だとすれば、リッテルに関する記憶も取り戻しているはずじゃ……?)
リッテルが契約替えをお願いした時期は、定かではないが。もしかして、あいつはリッテルも思い出していたのに、わざと忘れたフリをしていたのか……?
「そして、その顛末は私に屈辱を与えるだけじゃなくて、別の意味でも罰を与える結果になったわ」
俺がグルグルとエルダーウコバクの記憶について、思いを巡らせていると。いよいよ辛そうな顔で、リッテルが更に踏み込んだ自分語りをし始める。……この際、エルダーウコバクの記憶については、深く考えなくてもいいか。とにかく、今はリッテルの話を聞いて、慰める方が先だ。
「……上位者の契約に、下位の天使が干渉する事は絶対に許されない。そうして……ルール違反を犯した私に対する視線は日に日に、冷ややかになっていったの。どうして、こんなに惨めな目に遭わなければいけないのか? どうして、ルシエル様はハーヴェン様を譲ってくれないのか? そんな事を考えながら仕事をしていれば、身が入っていないことくらい、バレるわよね。それでとうとう、私は監視のお仕事を取り上げられる事になって……」
「それで、あの日の失敗……ってことか」
「……その通りよ」
シミジミと話し込む俺達の様子に……気がつけば、チョコレートに夢中だったグレムリン達が、心配そうにこちらを見上げている。そうして1番手近にいたラズを抱き上げると、最後まで吐き出すつもりらしい。一呼吸置いて、彼女が口を開く。
「心配しなくて、大丈夫よ。旦那様にはちゃんと、知っておいてもらわないといけないことだから」
「そうなのですか?」
「でも……リッテル様、悲しそうですよぅ?」
「フフフ、そうね。とても悲しい事だものね。大切な人に忘れられるのは、とても切ないことなのよ? 名前も約束も覚えてもらえなくて……存在を忘れられてしまう事は、何よりも悲しい事だった」
《数えきれない女の人に混じって私も忘れられてしまうのが、とても辛い》
リッテルが苦しそうに言ったのには、エルダーウコバクの記憶喪失が絡んでいた事にようよう気づかされる。だけど……エルダーウコバクが思い出していたとしても、契約替えを受け入れていたかは怪しい気がするな。
ルシエルちゃんの話を出した途端に浮かれ始めたのを見る限り、嫌な奴だったリッテルしか知らないエルダーウコバクが提案を受ける事はまずないだろう。
(と、言う事は……嫌な奴じゃないリッテルを知っているのは、俺の特権って事か……?)
彼女の中でエルダーウコバクへの思いが、どこまで残っているのかは分からないが。俺が彼女を「忘れない約束」を守ってやれるのなら、彼女が未練を忘れる事もできるだろうか。
「……で? 鯔のつまり、お前はエルダーウコバクに未練があるって事か?」
そんな事を考えていると、思いの外、意地の悪い質問を投げてしまって後悔する。確かに、奴への未練があるかないかは、俺が1番知りたいことだが。ここは慰めるべきところなのに。更に追い詰めるような事を言って、どうするんだよ。
「……どう、なのかしら。正直、よく分からないの」
しかし、バツの悪い思いをしている俺を他所に……吹っ切れた様子で、リッテルが虚空を見上げながら答える。
「だって、あの時のハール様のお顔は……私を“憐れんでいる”ものだったもの。そう、私の行いも……そして、悲しい思いをしている人の気持ちも……。全てを見透かしたような諦めにも似た、切なそうな表情……。彼の表情の意味を理解した時、私も諦められたというか。……いいえ、違うわ。最初から可能性がなかった事を、はっきりと思い知ったの。今なら、分かるわ。私は今も昔も彼にとって、ただの迷惑な存在でしかなかった事。そして、彼の優しさを好意と勘違いしていただけ……。だから、未練は……きっと、ない。だって、あなたは私を忘れないでいてくれるでしょう?」
うん、それはそうだろうな。リッテルを今更忘れるなんて、俺には絶対に無理だ。
「ふふ……だから、今の私はとても幸せなの。昔と違って、自分を忘れないでいてくれる人がいるのですから。でも、そうね……これ以上を望むとするなら、あなたが浮気をしないことくらいかしら?」
「マモン様、浮気するです?」
「浮気、よくないです」
「ちょ、ちょっと待て! 俺、そんなことしねーし! 約束はちゃんと守るし!」
いつの間にかラズだけではなく、ソファによじ登って俺の膝にちゃっかり座り始めた残りの2人に囃されて、慌てて取り繕う。大体、何をナチュラルに俺の膝に登ってんだよ、こいつら……!
「そう? 約束よ?」
「ゔ、分かってるし……。頼むから、変な事を言わないでくれよな……」
「えぇ、そうね。……ありがとう、あなた」
「……うん」
その「ありがとう」が何に対しての「ありがとう」なのか……も深く考える必要はないと思う。結局、2人掛けのはずのソファに5人で固まって、団子みたいになって、バカみたいだけど。それも今更、気にすることでもないよな。




