8−26 新しいマナツリー
「……ルシフェル様、何かご用でしょうか?」
無視したくとも、無視できっこない、強迫観念を感じる声色。本当はサッサと帰りたかったのに……これは無理だろうなと、早々に諦める。少なくとも、私には天使長のお声掛けを無視する勇気もなければ、度胸もない。
「お前に相談したいことがあるのだ。あまり時間は取らせぬゆえ、一緒に来てくれるか」
「承知いたしました……」
珍しく気遣いを見せつつも、やはり断る余地を与えないその口調に……仕方なしに了解を示す。しかし、彼女の表情が少し柔らかいように思えて、そこまで身構えなくても大丈夫な気がするが。そうして、ルシフェル様は後に従う私を自室に招き入れた後、いつかの円卓に座るように促す。しかし……1対1で何の話だろう。
「相談というのは、他でもない。マナツリーからも直々に、調和の大天使を据えるべきだという話が出た。それで、お前が最適役だとアレも判断しているらしい。だが、一方で……お前の監視業務を単体で引き継げる天使がいない、という事も分かっている」
「後任がいないという判断は、ラミュエル様が?」
「いや、マナ本人の意見だ。マナツリーは神界そのものに根を下ろしている関係上、神界で起こっている事や出入りする人員の事はほぼ把握している。だから大天使共よりも天使達それぞれの性格や実力、傾向も知っているのだが。で、その結果……やはり、お前の後任はいないという判断になったそうだ」
マナツリーは自身が動く事はなくても、情報を誰よりも把握している……ということか。しかし、その割には寡黙過ぎる……いや。少しばかり、放任が過ぎやしないだろうか。
「そう言えば、いつも疑問だったのですが……」
「なんだ?」
「マナツリーは遣いを通じて、我々と交流することもあると聞いたことがあります。しかし、先ほどのお話といい、普段の私達への干渉具合といい……どうしてここまでの事態になる前に、マナツリーは何も言ってこなかったのでしょうか」
「……なるほど。ここまで事態が悪化したのは、マナツリーにも責任があると言いたいのだな?」
「いえ、そこまでは申しませんが。ただ、そこまでの情報を持っていながら何故、黙っていたのかな、と……」
「言わなかったのではない。……言えなかったのだ」
どうやら、相当の理由があるらしい。思いの外、核心をついてしまったのか……ルシフェル様がまた難しい顔に逆戻りしている。もしかして、これは藪蛇と言うやつか……?
「実はかなり前から、マナツリーは他の所に神経を持って行かれている状態でな。今のアレにはお前達と交信するための遣いを作る余裕はない」
「他の所に神経を持って行かれている……?」
「ふむ。お前であればある程度、想像はついていると思っていたが……この件は例の“素材”と深く関わりがある」
例の素材。そう言われて……悔しいかな、ピンと来てしまう程までに、私も事情を理解している側だったらしい。……仕方ない。ここは観念して、ルシフェル様との対話に集中しよう……。
「そう、ですか……。やはり、あの白い部屋は私達のサンクチュアリピースに嵌っている魔法結晶と同じ……マナツリーの化石でできた部屋だったのですね?」
「……その通りだ。部屋自体がどんなものかは私は知らぬが、聞いている内容からして、相当の部分で成長していると見ていいだろう。マナツリーの化石は所定の方法を取ると、その場に根付く性質がある。おそらく、それを知っていた誰かが……神界から持ち出したのを、人間界に根付かせたのだろう」
「所定の方法……で根付かせる?」
それは、要するに……化石から新しい霊樹が芽吹くという事だろうか?
「うむ。始まりの天使がもたらした霊樹は共通で、ある特性を持っている。親木であるマナツリーと同じ魔力構造を持つという事、そして……それ自体を犠牲にする事で新しい霊樹の苗床となる事。所定の方法というのは、そういう事だ」
ルシフェル様の説明からするに、無条件で化石から霊樹を生み出せるわけではないらしい。新しい霊樹が芽吹くには、他の霊樹を苗床……つまりは、犠牲にする必要があるということか。
「今、マナツリーが神経を持って行かれている先は人間界。そして……ユグドラシルを苗床にして、新しい分身が出来上がりつつあるのを必死に抑え込んでいる」
「……⁉︎」
私が内心で理解しかけているのが、ルシフェル様の暴露で木っ端微塵に吹き飛ぶ。……しかし言われてみれば、ますます納得できてしまう内容だから、却って慌ててしまう。
(ユグドラシルであれば、ルシフェル様の言う「所定の方法」の条件をしっかりと満たしている……事になるのだろうな)
マナの化石から新たな霊樹を作り出すということに関して……ここまでの好条件が揃っているのも、空恐ろしい限りだ。
「霊樹は同じ根を持つものが複数あると、他を淘汰しようと強い方に力が流れてしまう。おそらく、神界のどこかに魔力の風穴があるのだろうが、うまく隠されているのか、マナも把握していなんだ。しかし、そんな中で新しいマナツリーを擁している誰かは……人間界のユグドラシルを犠牲にし、新しいマナツリーを作り上げる事で神界をも滅ぼそうとしている」
「その誰か、とは?」
「ここから先はまだ答えられぬ。確証もないし、私も会ってみない限り、アレがどういう状態なのかは分からん」
新しいマナツリーを作ることによって、神界を滅ぼそうとしている誰か。その相手に、ルシフェル様は心当たりがあるようだが。確証もないとおっしゃっているし、ここで深掘りするのはやめておこう。話が長引くのは、互いに得策ではない……と思う。
「……ただ、何かとお喋りなミシェル達に話すのも気が引けてな。それに、お前の昇進のタイミングも今ではないこともあって……詳しい話は大天使が4人揃った時に、改めてしようと考えている。……だから、お前には心構えだけはしておいてもらおうと思ってな」
「……それは構いませんが……。しかし、お話を聞く限りで、非常に重要な話かと思いますし……早めに、他の大天使様達とも話し合うべきなのでは?」
「いや、今はダメだ。それから先のことを公表したら、間違いなくあいつらは舞い上がるだろう」
「……?」
こんな深刻な話に……舞い上がる? いくら楽天的な彼女達でも、そんなことはないと思うが。どういうことだ?
「まぁ、お前になら……話しておいてもいいか。何なら、若造にも意見をもらうといい」
「あの、一体……何をでしょう?」
「実を言うと……お前を調和の大天使に据えるのは、リッテルが帰って来たタイミングにしようと思っている。どうやらマナには、今のリッテルにやらせたいことがあるらしい」
「リッテルに、ですか?」
……話の筋がまた、見えなくなった。う〜ん……ルシフェル様は何をおっしゃりたいのだろう?
「例の町……ボーラはそのままでは、侵入が難しい場所だそうだな?」
「えぇ。あの瘴気濃度では、天使の潜入はほぼ不可能かと。……しかし、それがリッテルと何の関係が?」
「我々天使には、瘴気に対する耐性はほぼ無いと言っていい。私みたいに闇堕ちしたり、お前のように耐性を悪魔から受け取っていない限りは、瘴気の濃い場所への長時間の潜入は不可能だ。そこで、甚だ情けないことではあるが……悪魔の力を借りたい、ということになったのだが」
「……ハーヴェンはきっと、力を貸してくれるとは思いますが……。しかし……」
「分かっている。若造だけを頼るのでは心許ない上に、無理をさせかねん。だから向こうの生活を経験しているリッテルを介して、魔界で協力者を募ろうと思っている。リッテルが帰って来たら、懲罰と称して多少の謹慎をさせた後に、魔界で情報取集をして来てもらうつもりだ。しかし、それは本来、精霊のデータを整理し、天使達が彼らに無理をさせないように監視する調和の天使の仕事でもある。彼女が帰って来たと同時に、お前を調和の大天使に据えた後、直属の部下にリッテルを配属する。そして、お前には精霊データも含む……悪魔のデータを管理してもらう」
「あぁ、なるほど……舞い上がるというのは、そちら方面ですか……」
魔界にも行ってみたいとかミシェル様が言っていたのを思い出して、ルシフェル様の懸念に同意する。確かに今の状態でこの話をしたら、変な方向に意識が逸れかねない。
「そういうことだ。まぁ、ボーラへの潜入口も見つかっていない以上、今は話だけになってしまうのだが。こればかりは、カイムグラントに頑張ってもらうより、他ないだろう」
「……私も気を配っていますが、これ以上、彼に悲しい思いをさせないと約束しました。コンラッドに無理をさせるつもりもありませんので、そちらはご了承いただけますか」
「無論だ。……我々の落ち度がある手前、不条理を言えた立場ではないことくらい理解している。カイムグラントが若造と同じように堕天使の手で殺されたのなら、苦痛は計り知れないものがあるだろう。……そんなものを無理して思い出せと言えるほど、私も冷酷ではない」
「別に責めているつもりはありませんよ。しかし……そうなると、やはり後釜の問題が残りますが……」
「お前の後釜は、別途考える。……何なら、ラミュエルにさせてもいいだろう。ラミュエルを筆頭に、神界に籠りきりでは後ろ向きになりがちにもなる。この機会に外に目を向けさせるのも、悪くなかろう。……無論、誰が担当者になるにしても人間界に出すには、それなりの鍛錬を積ませるつもりだが。……そうだな、この際だ。神界の天使全員の実力テストを行ってもいいかもしれんな。……うむ、なかなか面白そうだ。時間に余裕があったら、実施してみるか」
「……」
最後は、1人で自分の迷案に満足したように頷くルシフェル様であったが。話が逸れた挙句に、何やら面倒なことを言い出した気がする。……実力テストって、何をするつもりなのだろうか……。




