8−13 マジで重症みたいだけど
「ハンスの元気がないみたいだけど、どうしたんだろう。ジェイドは何か知ってる?」
「え〜? 俺、何も知らないっすよ?」
アスモデウスの娼館、ダンスステージの袖裏にて。アスモデウス親衛隊の2人、ジェイドとオスカーがハンスを横目に見ながら、彼の様子を窺っている。
「女帝様に何かを報告してたみたいだけど、さっきから、ため息ばっかなんだよね。大丈夫かな?」
「全く、オスカーは心配性だなぁ。大丈夫だって〜。どうせハンスの事だから、ご褒美のフミフミがなかったとか、そんな事だろ〜?」
「そう? だったら、いいんだけど……」
お揃いのチョッキとネクタイを誂えたように着こなして、今日も今日とて……アスモデウス親衛隊の3人は夜のステージの打ち合わせしていた。
美男揃いのインキュバスにあって、アスモデウスの「お気に入り」である彼らは、女性達の熱い視線を浴び続ける花形スターだ。滅多なことでは表に立たずに、普段はアスモデウスの側仕えをしているせいもあり……彼らがステージに降り立つと告知があった日には、魔界中の女性が集まるとまで言われている。
そして、今日はまさに彼らがステージに立つ日とあっては、外には既に長蛇の列ができていた。そんな列に加わる乙女達の声は喧騒となって、彼らの耳にまで届く賑わいを見せているが。しかし、そんな大事な日だというのに……最も魅力に溢れるとされるハンスの様子がおかしい。紫色の髪の毛をなびかせながら、鼻の上でメガネをクイと上げつつ、オスカーが心配そうにハンスに声をかける。
「ほら、ハンス。今日は大事な日だろう? もうそろそろ、準備をしないと」
「そ、そうだね。ごめんよ、オスカー」
「アスモデウス様にフミフミしてもらえなかったくらいで、そんなショボい顔して〜。そんなんだったら、俺がナンバー2の地位、頂いちゃいますよ?」
「あぁ、ジェイドはいつも元気だよね……。そうだね、それも……悪くないかな」
「は……? えっ、ちょっと待って、ハンス。マジで言ってる? それ」
予想外の返答に、側面は綺麗に刈り込まれた薔薇色の髪を掻きながら……ジェイドは呆れた顔を隠さない。
「どうしよ、オスカー。マジで重症みたいだけど、アレ」
「そう、みたいだね。大丈夫かな、あんな調子で。それに来週は……会合だったよね? 具合が悪いんだったら、休ませた方がいいかな」
「あぁ……この間、アスモデウス様が言ってたヤツっすよね。なんでも、玉座の持ち主を決めるとかって言う……」
自分達にはあまり関係ないとは言え、親のアスモデウスに恥をかかせるわけにもいかない。それでなくても、今日のショーはアスモデウス的には、前祝いも兼ねての催しなのだ。
女帝にしてみれば自分が紅一点だったはずなのに、後からやって来てのうのうと真祖を名乗っていたルシファーはこの上なく、気に入らない相手だった。しかし、それがなんだかよく分からないが……魔界を出て行ったとなったらば。玉座を狙ってないにしても、それだけで祝うほどの内容だったのだろう。そのため、今の彼女は上機嫌も上機嫌なのだ。それを壊す事は……何があっても、避けなければいけない。
「仕方ない。ちょっと、アスモデウス様に相談してくるよ。来週の会合の方が、ショーより大事だろうし。ジェイド、しばらくハンスを頼むよ」
「オーケー。早めに戻って来てくれよな」
「うん。分かってる」
そんなことを2人で話している側から、ハンスがフラフラとどこかに彷徨い出ていくのが見える。それを慌てて、止めに入るジェイド。
「ちょい待ち! こんな大事な日にどこ行くんすか。……つ〜か、大丈夫? 今、オスカーがアスモデウス様に相談しに行ってるから、具合が悪いんなら休んでなよ」
「あ、あぁ……ありがとう。……なぁ、ジェイド。1つ、聞いていい?」
「え? 何?」
「ジェイドはアスモデウス様以上の美女に……出会ったことはあるかい?」
これまた、予想外の言葉である。あれ程までにアスモデウスに心酔していたハンスから、「アスモデウス以上の美女」なんぞ、禁句ワードが出るなんて。……今のハンスは、本格的に調子が悪いらしい。
「ハァッ? おま、ちょっと何、言っちゃってるの? そんなの、いる訳ないじゃん」
「だよね。私も、今まではそう思ってたよ」
「お前、マジで大丈夫か? そんな事を言ったら、アスモデウス様に八つ裂きにされっぞ?」
「それもいいかな……」
(……ダメだ、こりゃ……)
ジェイドは仕方ないと、大きなため息をつくと……既に会場に詰め掛けて、今か今かと彼らの登場を待っている黄色い声の坩堝を見下ろす。そして、特等席にはハンスにとって愛しいはずのアスモデウスと、何やら難しい顔をして彼女に耳打ちしているオスカーの姿が見える。そうしてオスカーも、ジェイドの視線に気づいたらしい。彼のサインからするに……ハンスを休ませてもいいと、判断が下ったようだ。
「ハンス、悪い事は言わないから、もう馬鹿げたことを言うなよな。とにかく、今日は俺とオスカーで何とかするから。お前は会合に備えて、休んでて」
「うん……ごめんよ。折角だから、そうさせてもらおうかな」
力なく返事をするハンスを残して、満を持してステージに勢いよく飛び降りるジェイド。一際高まる歓声を浴びながら、夢見がちな乙女達に最大限の愛想を振りまく。更に予定とは違う位置から舞い降りたオスカーも加わると……ますます、ステージが激しい熱気を帯びる。
他のバックダンサーのインキュバスを加えての妖艶かつ情熱的な彼らの踊りを、上からため息交じりに見下ろすハンス。そうして見下ろした観客の中に、彼女がいないか探してみるが。当然、見つかるはずもなく。そんな事を考えているだけで、胸が熱く焦がれて、喉がカラカラに乾いていく。
それでもようやくのところで、感情を抑えているハンスの視界に……アスモデウスの満足そうな笑みが映った。以前は見つめられただけで高揚した彼女の笑みに、どこか虚しさを感じながら……ハンスはいよいよ、その場で身悶えし始める。
苦しい。苦しい。苦しい……。
あぁ、自分にも可憐で優しくて、美しい女神がいてくれたなら。どんなにか、この身は救われる事だろう。
女帝様はどんなに恋い焦がれても、自分だけのものにはならない。だったらば……例え、全てを捨てることになったとしても。自分だけを愛してくれる女神が欲しい。
ハンスは初めて感じる切望に、強烈な欲望の渇きを感じては……その場でただ、喘ぐことしかできなかった。




