8−11 中身も最悪のマモン様
ダンタリオンから渋々了承をもらって、とにかくリッテルに謝らないと考えながら。やっとこさ自分の家まで飛んできたものの。家の前に、異常なまでの混雑が見えた。もしかして、これ……。
(俺の家はいつから、病院になったんだ? あぁ〜! もう! リッテルのヤツ、本当に分かってないんだから!)
そんな事を考えつつ……今朝のこともあって、すぐにリッテルに話しかけることもできず。少し離れた所に降りて、竹林の陰から列を見つめるけれど、最後尾にイヤに整った姿の悪魔が並んでいるのに気づく。あれはもしかして、インキュバスか? と、いうことは……?
(なるほど。アスモデウスのヤツ……早速、刺客を差し向けて来たか。どうしようかな。追い返すか?)
しばらく俺が考えあぐねていると、その刺客にご丁寧にも声を掛けて、何かを案内しているらしいグレムリンの姿がある。あいつらまで、病院ゴッコのグルかよ……。でも、様子を見ている限り、この状況はリッテルも承知の上っぽい。これで邪魔でもして、また薄情者扱いされてもつまらないし……少し様子を見るか。
(こんだけ俺の配下以外も混ざってるとなると、冗談抜きで噂が広まっちまってるんだな……あぁ、面倒クセェ)
俺が悶々と悩んでいるうちに、治療の順番が刺客のところまでやってくる。手慣れた様子でそいつの傷を癒すと、引っ込むらしいリッテルが立ち上がろうとするが。……彼女の帰り際に、キザにも程がある風情で手の甲にキスまでしやがった。……あぁ、どうしてくれようかな。このまま帰るんなら、とりあえず見逃してやるか?
盗み見しているのにバツが悪い気分になりながら、耳を澄ましていると……アスモデウスの差し金なのか、ハンスとか名乗ったインキュバスが、リッテルに交渉を持ちかけているのも聞こえてくる。人のことを乱暴だとか勝手な事を言いながらも、実際に彼女を散々殴っていた手前……その言葉が妙に苦しい。
(……そう、だよな。俺は乱暴な嫌われ者なんだよな……)
俺が彼女にとても酷いことをしたのは、紛れもない事実だし、それはちょっとやそっとで許してもらえるものでもないだろう。
それに、ハンスが自信満々にアピールするくらいに、「イイお顔」をしているのは確かだ。俺なんぞよりは紳士的だろうし、元姫様のリッテルには遥かに似合っている気がする。それがとても悔しいが……それすらも呆気なく飲み込んでいる自分が、急に小さく思えた。
「どうして? アスモデウス様の園で人気ナンバー1の私と、甘いひと時を過ごせる者など、そういないのですよ? このチャンスを逃すおつもりですか⁉︎」
ナンバー1……か。まぁ、娼館とやらでナンバー1を張るには、十分な出で立ちだろう。リッテルを取られたくない一方で、彼女がなんて答えるのかが気になって仕方ない。グレムリン共はハンスの事を警戒しているが、リッテルはどうなんだろう。やっぱり……。
「そんなチャンスなんて、いりません。私がそういう事をしたい相手は1人だけです。……甘く見ないで」
次の瞬間に飛び出した、予想外のお言葉に思わず耳を疑う。リッテルの言う相手って、もしかして……俺のこと?
「まさか、それがマモン様だとでも? ご冗談でしょう?」
「冗談を言っているつもりはありません。……確かに、あなたはとても素敵な人なのでしょう。綺麗な顔立ちに、甘美な立ち振る舞い。きっと……昔の私だったら、あっという間に籠絡されていたでしょうね」
「そうなのですか? では、今は?」
「今の私は大切なのは見た目だけではないと、よく知っています。あなたと一緒に行ったら、きっと……折角、見つけられた大切な時間がなくなってしまう。マモンと一緒にいられる時間が……なくなってしまう気がするのです」
「ですが、マモン様は肝心の中身も最悪でしょう? 何かを手に入れるためには手を汚す事も、奪う事も、相手を悲しませる事も厭わない。それが強欲の真祖たる、彼の本性ですよ。でしたら、いっそ昔のあなたに戻ってみたらいかがですか? 何も知らないままのあなたに戻って、私と是非、自由になりましょう?」
中身も最悪……。そう言われても仕方ないのは、分かっている。
今まで好き放題に威張り散らして。ルシファーに負けてから落ちぶれても、虚勢だけ張って自分を保つことしかできなくて。それでも、少しはマトモになったと思わせてくれる相手を見つけたと思っていたけれど。その彼女にさえ、酷い仕打ちをした事を考えると……それすら勘違いだったんじゃないかと、改めて思い知らされた気がする。
リッテルは頑なにハンスを拒否しているが、ハンスが俺に関して言っている事は、間違いなく正しい。そんな事、分かっている。……それでも。
「いい加減にしとけよ、このイロモノが」
「マモン……様?」
「ハイハイ、その通り。中身も最悪のマモン様だけど? で、強欲の真祖様相手に……吹っかけたことに関して、何か申し開きする事は?」
「……!」
牙を剥き出しにして、睨んでみたものの。ナヨナヨとした見かけの割には、まだこっちを睨んでくるガッツはあるらしい。……さて。その虚勢、いつまで保つかな?
「とりあえず、アスモデウスにキッチリ伝えとけよ。変な噂を流されたせいで、こっちは大迷惑だってな。ったく、あのババァは本当に趣味が悪いんだから……」
「アスモデウス様をババァ呼ばわりとは! 何と無礼な!」
「あっそ。そいつは悪かったな。だけど留守中に人様の嫁に手を出す方も相当、無礼だと思うけどな? 分かってんのか? 俺にかかれば、お前を殺処分することくらい、どうってことねぇんだよ。……俺を怒らせといて、タダで済むと思ってんのか? 手足を本格的に捥がれたくなかったら、トットと帰れ。で……2度とここに来るんじゃねぇぞ!」
そう言いながら、右手に四ノ宮を呼び出すが。何故か妙にやる気満々の風切りを抜刀し、イロモノを脅すつもりでわざと彼の横スレスレに縦の一閃を走らせ、刀を鞘に戻す。そうして放たれた突風がハンスの左靴を少し削りながら、地面に綺麗に一直線の筋を入れるのと同時に……少し離れた位置の竹をスッパリと分断して、大きな音を立てながら倒し始めた。
ハンスにしたら、一瞬の出来事だったろうが。その刹那に自分が無傷であることが、偶然ではないことくらいは理解したらしい。ようよう反応し始めた体を情けなく尻から落とすと、ガタガタと震え始める。つーか……怯えるのが遅ぇんだよ。
「……さって、デモンストレーションはこのくらいにして。……次はどうしようかな。手始めに、邪魔臭い尻尾を落とそうか?」
「ま、待ってください! ちょっとした出来心だったんです! リッテル様のあまりの美しさに……」
「あぁ、それは同感。リッテルは、ちょっとやそっとの美人じゃないからな。気持ちは、よ〜く分かる」
「で、で、でしょう⁉︎」
「……だったら? それ、俺にしちゃ、お前を許す理由にはならないんだけど」
「あ、あ……ごめんなさい! もうこんな無礼は働きません! だから、どうかご慈悲を!」
「ふ〜ん?」
飛び起きるように尻餅から土下座に姿勢を切り替えたハンスの後頭部を足蹴にしても……足元からは、か細く「ごめんなさい」が呪文のようにエンドレスで響いてきやがる。いくら実力はないとは言え、これで上級悪魔とか。アスモデウスの所も色々と終わってんな、本当に。
「……ったく。情けないのもここまで来ると、酷いな。お前みたいなのを叩っ斬ったところで、試し斬りにもなりゃしない。……俺の気が変わらないうちに、帰れよ。来週の事もあるし、今回は見逃してやっから」
「あっ、ありがとうございます!」
「礼はいい! サッサと帰れ! いい加減、お前のツラは不愉快だって言ってるだろうが!」
「は、ハィぃぃ〜!」
俺が一喝すると、体裁を整える余裕すら持たないとでも言うように、慌てて翼を広げて飛び去っていくハンス。しっかし、魔界の悪魔ってこうも……色々とか弱かったっけか?
「マモン様、さすがです!」
「強いですよぅ!」
大して苦労することもなく、ハンスを追い払った後に、調子外れの賞賛が背後から聞こえてくる。だけどさ、元はと言えば……!
「お前ら! 何、勝手なことやってんだ! 誰彼構わず相手にするなって、言ったろうがッ⁉︎」
「は、はぅぅぅ!」
「ごめんなさい〜!」
俺が本気で怒っているのに怯えて、リッテルを盾にするように彼女の背後に隠れる、グレムリン3人組。こいつらはいつから、リッテルを盾にできる立場になったんだか……。
「……マモン、怒らないで。勝手な事をしたのは、謝ります。あなたの言いつけを守らなかったせいで、変な人に絡まれたのも……ごめんなさい。私の判断が甘かったせいです。ただ……この子達は私がしたいことを手伝ってくれただけなの。だから、この子達には怒らないで……」
リッテルが静かに言うと、彼女の陰から俺を窺うような眼差しが刺さって、妙に気まずい。これじゃ、俺が弱いものイジメしているみたいじゃん。
「……とにかく、話は中でするぞ。家に入れ。で、グレムリン共はそろそろ巣に帰れよ」
「そんなもの、ないですよぅ?」
「うん。おいら達、家なんてないです」
「寒いお外で寝るの、もう嫌です」
「この期に及んでまだ、そんな減らず口を叩くか……このクソッタレ共……!」
俺があからさまに怒りを滲ませても怯むこともなく、別の可能性に向かって憐憫を誘う様子を演出する、3人組。縋るように瞳を潤ませながら、そんな事を言われたもんだから……俺はともかく、リッテルにはかなりの効果があるらしい。奴らの術中にまんまとハマったらしいリッテルは「まぁ、可哀想に」なんて、優しすぎる言葉をかけつつ、足元の1人を抱き上げると……訴えるように、こちらを見つめてくる。
あぁ、そう。そういう目をされたら、俺には拒否権も残らないじゃないか……。
「もう、分かった! 分かったから! お前らも一緒に家に入れ! とにかく、サッサとしろ!」
仕方なしに、投げやりにそんな事を言ってやると。示し合わせたように嬉しそうな顔をしながら、家に飛び立つ4名様。何だろう、超蚊帳の外な気がして寂しいんだけど。どうして、俺が除け者にされないといけないんだろう……。




