8−6 相変わらず食えん奴だ
ルシフェル様が妙な体験談を暴露しつつも、泣く子も笑顔にするハーヴェンのデザートで大人しくなったのを見届けて、ベルゼブブがニヤニヤと嬉しそうにしている。しかし……害はないとは言え、悪魔の笑顔はどこか不穏だと思わずにはいられない。
「や〜、流石のルシファーも美味しいものには、正直だね〜。いつもこんな調子で食事してるの? ベルちゃん、超羨ましいかも〜」
ルシフェル様をも一瞬で虜にするケーキを一口で平らげた後、既になくなってしまったケーキに合う様に出されたであろう紅茶を啜りながら、ベルゼブブがハーヴェンに尋ねる。
「まぁ、いつもこんな感じだよ。昨日はルシファーに捕まったとかで、嫁さんが1人寂しく食事する羽目になったけど。そういうことがなければ、みんなで一緒に食事してるよ」
サラリとルシフェル様の無茶振りっぷりを盛り込みつつ、ハーヴェンが自分のケーキをベルゼブブに差し出しながら、穏やかに答える。そうして遠慮なしにケーキを受け取って、更に満足そうな表情を見せると、ベルゼブブが思い出したように何かの呪文を唱え始めた。
「そうそう。肝心のお届け物を渡さないと。まず、義指と仕込み杖。利き手の人差し指がないと、不便でしょ? それと、プランシーちゃんは見た目はお爺ちゃんだから、人間界で過ごすには、それっぽい雰囲気を出していた方がいいと思ってね。いざって時に役に立つと思うよ」
「指に杖、ですか。そうですよね……人間だった頃は老年と呼ばれる年代でしたね。ありがとうございます。是非、使わせていただきます」
自分が老人だった事も忘れていたらしいコンラッドが感動したように義指を嵌めて、杖を手に取る。シックリと手に馴染むらしいそれを潤んだ瞳で見つめながら、ありがとうございますと、改めて呟く。
「で、メインは最後のこれ。ヨルムアイのブローチだよ。ヨルムアイは精神の起伏を滑らかにして、感情の高ぶりを抑える働きがあるんだ〜。元々は、真祖の悪魔が生まれた時に1つずつ持ってたけど。脆い石だから、魔界に現存するのは2つしかなかったりして」
現存するのが2つしかない宝石だって? そんなものをブローチにした挙句、真祖ではない悪魔に授けてもいいものなのだろうか……?
「で、サタンが持ってたのを、ヤーティちゃんが出させたみたいでね。サタンが持ってても壊すだろうし、感情を抑えられた試しがないからって、言いくるめられたみたいでね〜。それは僕も納得だし、サタンが壊さずに持っていたのも奇跡だなんて思ったりしたけど。ヨルムアイは大悪魔専用の石だったりするし、今回はプランシーちゃんが持っていても効果が出る様にチューンナップしてあるからね。プランシーちゃん用にするために、この窪みに自分の羽を挿して使って。君は確か鳥型の悪魔だったと思うから、羽を抜くのは苦労はしないでしょ?」
ベルゼブブのおちゃらけた説明でも、ヨルムアイがいかに奇跡的に遺された貴重品であるかは、想像に容易い。……しかも、それをコンラッド用に仕立てるだなんて。サタン(というよりは、ヤーティ)の配慮もそうだが、ベルゼブブの手腕にも頭が上がらない気がする。
「え、えぇ。それはそうですが……そんなに貴重な物を私に……?」
「いいんじゃない? 僕もサタンが持っているより、君が持っている方がよっぽど安全だと思うよ? それに、君がこっちでうまくやっていけるか……サタンもヤーティちゃんも心配しているみたいだし。変に心配させない意味でも、君が使っている方がいいと思う」
「そう、ですか……。では、こちらもありがたく頂くとして……大悪魔様相手に非常に不躾かとは、存じますが。サタン様とヤーティ様に、私がとても感謝していたとお伝え頂けますか? 本当に色々とありがとうございます」
「うん、オッケー。僕も美味しい食事をもらえたし、伝言くらいは喜んでやってあげちゃう」
食欲に訴えれば、大抵のことはしてくれるらしいベルゼブブが快く返事をしたのに、ホッとしたらしいコンラッドの顔にいつもの穏やかな表情が戻ってくる。
しかし……貴重品であるはずの、コンラッドの手元にある緑色の宝石はどこかで見たことがあるような……?
そうして目を泳がせると、全く同じ趣の宝石がルシフェル様の胸元に輝いているのが見えた。あぁ、目の前の輝きに既視感があったのは、このせいか。
「そういや……ルシファーのは、マモンから奪ったやつだったっけか?」
「そうだ。純粋な意味での真祖ではない私には、用意されておらなんだ。それで、玉座を奪った暁に差し出させた」
「もしかして……マモンが色んな意味で壊れ始めたのって、それが原因だったりする?」
「……ゔ。そう言われれば、そうなのかもしれんな……」
詰られるようにハーヴェンに言われて、首元の緑色の宝石を撫でながら……ルシフェル様がバツが悪そうに顔をしかめる。口調からしても、ハーヴェンに責める気はなさそうだが。ルシフェル様にしてみれば、肩身が狭いのだろう。しばらく考え込んだかと思うと、何かを決心したように言葉を続ける。
「……そうだな。これは返してやってもいいのかもしれん。神界に戻った私には無用のものだろう。ベルゼブブ、ついでで悪いが、これをマモンに返しておいてくれ」
「あ、いいの? いいの? 魔界じゃ、弱い奴が強い奴に物を奪われるのは、普通だよ? 罪悪感を感じる必要はないんじゃない?」
「そうかもしれんが、あいつの元にはリッテルがいる。そういう意味でも、マモンが持っている方が都合がいい」
「そういう事? それじゃ、預かっておくね。うん、ちゃんと渡しておくから、心配しないで」
「頼んだぞ。……それにしても、ここに来ると色んな事に巻き込まれるな。まぁ、いい。今日も非常に有意義な食事であった。また来るから、若造はいつでも最大限に私をもてなせる様、準備をしておけ」
「へいへい。食事はちゃんと多めに作っているから、大人数で来られない限りは大丈夫だよ? その代わり、今後はルシエルを残業させないでくれよな。……昨日なんか帰ってきた途端、大泣きされて大変だったんだから」
「……仕方なかろう? 今の神界は冗談抜きで人手不足なのだ。大天使は揃いも揃ってポンコツだし、優秀なルシエルにお鉢が回るのは自然な事だろう。大体、どうして未だにルシエルが上級天使止まりなのか、私には理解できん」
突然、そんな風に持ち上げられて、面食らってしまうが。私が優秀なのではなく、契約している精霊が優秀なだけであって、これは明らかに過大評価だ。それが嫌という程分かっている分、そこまで言われると……却って辛いものがある。
「そう持ち上げられても、それこそポンコツの私にはご期待に添える働きができるか、心配で仕方ありません。仕事が多いのは結構ですが、急に増やさない様にお願いします」
「人が褒めてやっているのに、相変わらず食えん奴だ。若造、お前は嫁の素直じゃないところが憎たらしいと、思ったことはないのか?」
「いや、ないけど? 確かに理不尽は沢山あるけど、素直じゃないなりに可愛いし。昨日なんかもう、それはそれは可愛く嫉妬とかしてたりするもんだから。俺、ますますルシエルにどハマりしちゃった」
「……今、それは触れるところじゃないから。こんなところで変なことを言うな」
「えぇ〜、別にいいだろうよ〜。今更、照れるなって〜」
「て、照れてないッ! 別に照れてないし!」
「ルシエルちゃん、嘘はダメよ〜。顔、真っ赤じゃな〜い。……それにしても、なるほど? ハーヴェンはこういう所が可愛いわけね。確かに、顔を真っ赤にしているルシエルちゃんは可愛いかも〜」
「だろ〜?」
……ベルゼブブには嘘を見抜く力があったことを、完全に忘れていた。ベルゼブブの指摘に、冷静になってあたりを見渡せば。みんな、生温かい眼差しを向けてくるものだから……どうすればいいのか分からなくて、困ってしまうではないか。本当に……どうしてくれよう。




