7−33 もう、何もいらない
本当は配下を手にかけるのは、勢力的にも喜ばしくないんだが。オイタをしでかした手下にしっかりとお仕置きするのも、親御さんのお仕事な訳で。そうして、さして躊躇う事なく……貴重なはずの上級悪魔を、1人葬ってみたけれど。この程度で、何を怯え切ってんだよ。これが自分の配下の姿だと思うと……いよいよ、情けない。
「……つ、強い……‼︎」
「あ? 何、言ってんだよ。ルシファーがいない魔界で、俺以上に強い奴はそうそういねーよ。その辺、分かってんのかよ? このターコ。……で、俺も飽きてきたし、そろそろ終わりにしようかな、っと」
軽口を叩きつつ、一気に距離を詰めて……1番奥にいるゴブリンヘッドの背後に回り、そのまま雷鳴を乱切りに振るう。そうして雷鳴を振るうと、俄にさっきこいつが言った事が許せなかったのを、思い出して。その瞬間から腹の底が煮える様に熱く、何かが吹き出すが如く。何度も何度も……こいつの存在を粉微塵にしないと、気が済まないとばかりに、俺は執拗に得物を振り回していた。
「ひっ、ヒギャぁぁぁぁ⁉︎ い、痛い! 助けてッ!」
「あぁ⁉︎ うるせーよ、このクソッタレがッ‼︎」
奴の悲鳴と懇願を無視して、肉片1つ残さず切り刻む。そうして、存分に振るった得物の血を払ったところで……ふと、我に帰った。
左手の雷鳴の刀身に映るのは、頬にどこまでも払いきれない赤い色をくっつけたまま、牙を剥いた凶暴な横顔。そして、ゴブリン共の恐怖の視線以上にすぐ近くから、何かに怯える視線がヒシヒシと刺さってくる。
……しまった。リッテルもこの場にいるのを……すっかり忘れていた。
「……リッテル?」
「あ、っ……」
「えっと……。もう、大丈夫だから……帰るぞ?」
「は……はぃ……」
雷鳴を二陣に戻しながら、なけなしの優しさを取り繕ってみるものの。返事とは裏腹に、化け物を見る様な目を潤ませながら、ヘタリ込むリッテル。そんな彼女を抱き上げようと、両手を差し出すけど。……その手が血で染まっているのにも改めて気づいて、自分自身も何かに怯えている事を思い知る。
こんな手で……どう彼女を抱き上げればいいのだろう。
「……チッ! ……とにかく帰るぞ。自力で歩けるか?」
「だ、大丈夫です。……ご、ごめんなさい……」
その「ごめんなさい」は、何に対しての「ごめんなさい」なんだ? そんな風に怖がられて、謝られたら……却って悲しいだろうが。
「あぁ、ほら! 退いた退いた! これ以上は何もしないでやるから、2度とこんな事をするんじゃねーぞ!」
虫の居所が悪くて、八つ当たり紛れにゴブリン共を怒鳴り散らせば。彼らは彼らで、俺に怯えてすんなりと道を開ける。
そうして帰り道を歩くと、背後からチリンチリンとベルの音が付いてくるのに、少し安心するものの。……互いに言葉がないのが、とても辛い。静かすぎる洞窟の松明に照らされながら、しばらく進んだところで、とうとう俺の方が堪えきれずにリッテルに向き直るが。……とにかく謝った方がいいんだろうな、これは。
「……怖がらせたみたいで、悪かったな」
「……大丈夫。ちょっと驚いたけど、あなたは悪魔だもの……。多少は、仕方ないと思います……。こちらこそ、ごめんなさい。わざわざ助けにきてくれたのに、お礼もすぐに言えなくて……」
言葉の割には、悲しい怯えた瞳で見つめられると……彼女がまだ俺を怖がっているのが、透けて見えてくる。もう2度と、彼女には手を上げないつもりでいたけれど。今更、取り繕ったところで……恐怖心を払拭できっこない事も理解できてしまうのが、とにかく寂しい。
「別に……礼なんか、いらない」
「でも……」
「もう、何もいらない……」
「……マモン様?」
「俺……どうすればいいのか、分からないよ……」
松明の揺らめきとは違う、何かに邪魔されて滲む景色。今まで何があっても、そんな物が溢れてくることなんてなかったのに。俺、本当にどうなっちまったんだ?
「……あなたは何を望んでいるの? お願いだから、悲しそうに泣かないで……」
「別に泣いてねーし!」
結局、初めて流れるそれを止める術が分からなまま、再び歩き出そうとすると。俺の手を黒い何かが包む。力なく手を引くそれは……とても滑らかで、そして温かい。
「……リッテル?」
「2人で帰るのだから、手を繋ぎましょう?」
「あ、あぁ……」
今度はそうされて、しばらく彼女の手を引いて歩いていると……血まみれの手さえも包んでくれていた彼女の手が、ガクリと落ちる。滑り落ちる手の主を振り向くと、相当に消耗しているらしい。さっきとは違う理由で、苦しげに座り込む彼女の姿があった。
「病み上がりなのに、無理させてゴメンな。……随分と血まみれだけど、俺にはこの手しかなくて。本当に、ゴメン……」
「いいえ、そんなこと……ないわ……。あなたは、あなただもの。それを責める理由は、私にはないわ」
「……そっか」
ようやく躊躇なく彼女を抱き上げると、翼を広げて残りの道を一気に突っ切る。今は体裁を整える事なんて気にせず、とにかく彼女を休ませないと。それで……。
「あのさ。リッテル」
「何……でしょう?」
「また、こんな事があってもいけないし……えぇと」
「……?」
だけど……俄かにとある事を思い出して。家はもうすぐだというのに、空の上でピタリと止まる。そんな俺を不思議そうに……でも、まだ怯えた顔で見上げてくるリッテルに、どう説明すればいいんだろう。
「……マモン様?」
「様はいらない」
「でも……」
今更だけど……リッテルに変に謙られると、妙に居心地が悪い。ここはいっそ、呼び捨ての方がいいだろうな。だって……。
「もう、呼び捨てでいいから。これからは、お前の方が俺のマスターになるんだし……」
「それって、どういう……?」
「……ベルゼブブに聞いたんだけど。悪魔も天使と精霊として、契約できるんだってな?」
「え、えぇ……確かに、そうだけど……」
「で、全幅契約だったら……俺でも受け入れてもらえるんだろうか?」
天使側に絶対的優位を保証する、契約。エルダーウコバクはそんな契約をして、ルシエルちゃんにこき使われていたみたいだが……俺もリッテルにこき使われるのは、構わない気がしてきた。
「……俺、お前と契約するよ。そうすれば、何かあれば呼び出してもらえるだろう?」
「それは……できないわ」
「どうしてだ?」
「だって私は最下級の天使……しかも、罪人だもの。魔界の真祖様とは、どう頑張っても釣り合わない……」
「そんなの、俺には関係ないんだけど。それとも、お前は俺のこと……やっぱ、嫌いか?」
「……なぜ……そんな事を聞くの?」
「俺……どうすれば、これ以上嫌われないで済むんだろう」
「私は……」
「……なぁ、教えてくれよ。どうすればいいんだ? どうしたら、お前に怯えられずに済むんだ?」
思わず問い詰めるように彼女に質問を浴びせて、すぐに後悔している自分がいる。
これじゃまるで、脅しているみたいじゃないか。……こんな事をするから、嫌われるんだろうに。どうして俺は嫌われる事を、いとも簡単にやってしまうんだろう。
「……あなたは私と一緒にいてくれるの? これからも一緒に……」
「俺はリッテルと一緒にいたい」
「そう……。でも、今の私は罰から逃げているだけの罪人なの……。だから、いずれ……」
「そんなの知った事か。それは神界での話だろ? ……魔界で生きていくのなら、関係ない」
そんな事は分かっている。あぁ、十分に分かっているさ。
彼女が後悔しているのは、目にも明らか。きっと、彼女は彼女で迷っているんだろう。……それでも。例え……そうだったとしても。
「お前が決心とやらをするまでは、ずっと一緒にいるよ。契約もお前が死ぬまで、ずっとだ。だから……せめてこの世界にいる間は、俺のマスターでいてくれないかな。俺ももう少し、お前に嫌われないように気を付けるから……」
「……私でいいの?」
「お前がいいの」
「……ふふ、そう。今まで言ってもらえた言葉の中で、一番嬉しい。……ありがとう」
よっし。とりあえず、契約の了承は貰えたみたいだ。これで、少しは怯えられなくて済むかも知れない。
「そうか。それじゃ、サクッといくぞ。……俺はマモン。強欲の真祖たる権威において、ヨルムンガルドが授けし畏怖を纏い……持てる全てを捧げ、汝が戒めを受けると共に、マスター・リッテルに魂全てを隷属させることを誓う」
「はい……確かに、あなたの祝詞を預かりました。あの……」
「あ?」
「……これからもよろしくね、マモン」
「あぁ。何かあったら、すぐに俺を呼び出せよ。いいな?」
「……はい。本当にありがとう……」
「うん……」
今の涙は多分、悲しい涙じゃない。
腕の中でポロポロと澄んだ涙を流すリッテルを運びながら、くすぐったいような、それでいて心地よい感覚に酔いそうになりながら……残りの家路を急ぐ。これから先はリッテルが攫われても、何とかなるだろう。




