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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第7章】高慢天使と強欲悪魔
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7−25 「一緒にいたい」という強欲

 結局、帰っても何も言えないまま。とりあえず、彼女を休ませる意味でベッドに座らせたけど。何を、どこから説明すればいいんだろう。

 もちろん、「そういう事」を何度もした事はあるし、それ自体が魔力の配給も兼ねるもんだから、情事に遠慮なんていらないと思っていた。でも、なぜか……相手がこいつだと、遠慮がちになる。無理にそんな事をして、嫌われたくないというか。……心底、どうでもいいと思っていたのに。


「……そこでちゃんと寝とけよ。明日になって、少しでも状態が良くなっていれば、それで……」


 踏み込む事もできずに、立ち去ろうとすると。急に後ろから、フワリと何かが抱きついてくる。背中にのし掛かってくる、悲しい程に軽い感覚が殊更、辛い。


「あの……不思議に思っていたことがあったんだけど、聞いてもいい?」

「何だよ?」

「死んでも良かったはずの私に……どうして、ここまでしてくれるの……?」

「……」

「私は……あなたに少しは必要としてもらえている、という事かしら……?」


 力なく腰に回された手にそっと触れると、イヤにすべすべとしていて、深い闇のような黒が却って綺麗に見える。さっき、ベルゼブブがこの状態を腐敗だなんて言っていたけど。……宝石のような滑らかさは、とても腐っているようには思えない。


「実は、ね。最期にこうして優しくしてもらえた事が……とても、嬉しくて。……短い間だったけど、あなたに会えて本当に良かったと思うの。初めは散々だったけど、今はそれが罰だったのだと思えば……このまま死んでしまっても、赦されるような気がして。……意外と怖くないのよ? 自分が死んでしまうのが……」

「そんな事、言うなよ……。余計、苦しいだろうが……」

「そう、あなたは苦しいのね……。それは、私がいなくなるから? それとも……持ち物がなくなるから?」


 どうして、今……そんな事を聞くんだよ。

 どうして、今……そんな悲しい事を言うんだよ。

 どうして、今……そんな分かり切った事を確認するんだよ……。


「そう、言えば……さっき、ベルゼブブ様が言っていたこと……」

「あぁ、あれはただの世迷言だから。……気にするな」

「でも、それをすれば……もう少し、一緒にいられる可能性があるのかしら?」


 一緒にいられる可能性があるのなら、俺だってそうしたい。だけど……。


「お前……自分が何を言ってるのか、分かってる?」


 こいつは、自分が「どうされるか」を本当に分かっていて言っているんだろうか? 好いてもいない相手とそんな事をしてまで、生き延びて……後悔しないんだろうか。


「私も子供じゃ、ありませんから。もし、可能性があるのなら……もし、あなたが少しでも私を欲してくれるのなら。……ごめんなさい。実は、最初に見栄を張って嘘をついていたのだけど。私は初めてだから……優しくしてくれると嬉しいな」


 やっぱり……分かってて、言ってるのか。

 おずおずと窺うように振り向くと……そこには少し青ざめていても、ピンク色に頬と唇を紅潮させた彼女の顔がある。しばらく潤んだ緑色の瞳に見つめられた後、どことなく受け入れてくれそうな唇に、堪らず吸い付く。

 そうして……一方的な「一緒にいたい」という強欲を、尤もらしい理由にデッチ上げて。俺は自分の本性が彼女をゆっくりと支配していくのを、うなされる様な熱の中で感じていた。


「……暖かい。それで、お腹が少しくすぐったい」

「そんなもんか?」

「えぇ。とても不思議な感じ……」


 リッテルが俺の胸元に頬を寄せてくる。そうされて思わず、腕を回して抱き寄せてみたけれど。嫌がられないところを見るに、そこまで嫌われてなさそうか?


「……そう言えば、さっきの質問の答えが聞けてないのだけど……」

「それ、聞いてどうすんだよ?」

「どうもしないわ。……でも、理由があるのなら、知っておきたくて」


 理由、か。正直なところ、俺自身もよく分かっていなかったが……こうしてくっついている今なら、何となく分かる気がする。


「ま、いいか……そのくらいの話はしてやっても。俺さ、ずっと前はこの世界で1番だったんだ。そりゃ毎日毎日、大威張りで。言う事を聞かない奴なんていないと思ってたし、手に入れられないものは何もないと思ってた」


 何もかもが俺の意のままに動く世界。落ちぶれる前の魔界は俺にとって、そんな世界だった。


「でも……大体1000年前くらいかな? ルシファーが突然やってきて、引きこもるのに都合がいいからと、ヨルムツリーの玉座を渡せって言ってきてな。もちろん俺も譲りたくないから、本気で戦ったんだけど。……結果は散々な有様だった」


 あまり思い出したくない、惨めな記憶を引っ張り出していると言うのに。なぜか、リッテル相手だと殊の外穏やかに、言葉がスラスラと出てくる。

 ルシファーに負けて、情けなく逃げて。敗走した俺を、「ザマァみろ」とばかりに、今まで平伏していた奴らは寄ってたかって俺を馬鹿にするようになっていった。そう言えば……それからは本当に惨めだったな。


「俺は真祖の悪魔として、誰かから敬意を受けないと、実力を発揮できない作りになっていてな。落ちぶれた俺に、敬意を払う者もいなければ、畏怖する者もいなくて。自分がどんどん弱くなるのを感じながら、どうする事も出来なくて……毎日毎日、踠いてた。で、踠いている間に角を折られたり、持ち物を奪われたりして……気づいたら、ほとんどの物が無くなっていて。それが……何よりも辛かった」

「そう、だったの……」


 強欲の悪魔にとって物を奪われるのは、辛い以上に屈辱的なことだ。物欲を満たすことが、悪魔としての拠り所。強欲の性分を満たせない俺は、嘘をついて自分を誤魔化すことで……ギリギリ自分を保っていた。


「きっとこんな事を言うと、怒られてしまうのかもしれないけど。……私もあなたに似ていた気がする」

「……そうなのか?」


 情けない過去を穿り出したところで、リッテルが意外な事を呟く。俺とリッテルが似ている……だって?


「自分は愛されて当然、大事にされて当然だと……昔の私は思っていたの。でも、そんな王族の驕りがあったせいで……カンバラ王国は民衆の怒りを買って、とうとう崩落してしまったわ。私ね、実は生まれた時からお腹に聖痕があったのだけど、父上が一生懸命それを隠してくれていた事もあって、生贄になるのを逃れていたの。でも、断頭台に送られる直前に、見つかってしまって。私だけ処刑ではなく……生贄にされることになったのよ」

「……くっだらねぇ。どっちにしても、助からないじゃん」


 断頭台だろうと、生贄だろうと。殺される運命は変わらないじゃないか。その違いに、何の意味があるのだろう。


「そうね。どっちにしても、助からないものね。本当に、人間のすることは下らないわよね。でも……今思えば、それで良かったのかなと思うわ。転生して、こうして誰かに話せる日が来たのだもの。……これはある意味で、神様の思し召しなのかもしれない」


 神様の思し召し……か。しかし、俺みたいな悪魔との出会いが、神様のご配慮だと言うのなら。こんなにも馬鹿げていて、皮肉な取り合わせもないと思う。


「俺には神様の思し召しとやらは、関係ないんだけど。でも、そんな神様の使いらしい天使が悪魔の嫁になったって聞いて……嫁を持っているらしい、エルダーウコバクが羨ましくてさ。そんな時に……丁度、嫁を連れて奴が戻ってくる、って聞いたもんだから。首輪でも付いてるんだろうと思って、出かけたんだよ。だけど……俺が想像してたのと、だいぶ違ってな。奴らの様子を見せつけられて、自分が何も分かっていなかった事が無性に腹立たしくて。で……八つ当たりをお前にしてたんだから、情けない限りなんだけど。結局、俺はエルダーウコバクと同じように嫁を手に入れられないんだなと諦めていた時に……ベルゼブブにお前を手放せ、なんて言われて。それでもいいかって、思いもしたけど。いざ言われると、却って手放すのが惜しくなってさ。ごめん。その時は俺……お前のことをモノ扱いしてた」

「……そう、だったの」


 正直に白状すると、リッテルが少し悲しそうに目を伏せる。長い睫毛の下で、寂しそうに揺れる緑の瞳。その色に息苦しさを感じて、誤魔化すように彼女を抱きしめると……俺は俺で言い訳でもするかのように、話を続ける。


「でも、お前が神界に帰れないなんて泣きだすもんだから、妙に放っておけなくて。……何もかもを無くした時の自分を見ている気がして、辛くてさ。口実を作って、お前を縛って。だけど……お前に上から命令を出している自分が、だんだんちっぽけに感じられるようになってな。……自分が惨めに思えて、ますます苦しかった。お前が言うことを聞くのは、俺を怖がっているだけだと分かっていたけど。……それでも、さ。これ以上は嫌われたくないとか、勝手な事をどっかで思ってて。とっくに嫌われているはずなのも、よく知ってるのに。そんな事を考えてたら……あとは夢中だった。お前が側にいてくれるように、普段はしないようなこともしたし、普段はできなかったはずの我慢もできてたし。自分でも不思議なくらい、今までできなかったはずのことが……できていた」


 そこまで一気に吐き出すと同時に、彼女の反応が気になって顎を引く。すると勢い、彼女と目が合う。どこか寂しそうな、だけど、しっかりとこちらを見据える眼差しに……どうしたらいいのか、分からない。


「……リッテル?」

「そう。でしたら……もう少し、ここにいてもいい? もう少し、あなたの側で生きていてもいいのかしら……?」

「好きにしろよ。それ……俺の了承なんか、必要ないだろ」

「うん……」


 小さく返事を寄越すと、一層ピタリと体を寄せてくるが……彼女がいなくなってしまう気がして、不安になる。それでも……言い得ぬ不安を振り切るように、絶対に離すものかと、彼女を抱きしめて目を閉じた。


 ようやく見つけた、ほんの少しの幸せ。

 これが一方的なワガママだって事も、ただの独りよがりだって事も……よく分かっている。それでも。彼女が一緒にいてくれようとする限りは。俺も彼女に必要としてもらえるように、頑張れる気がする。

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