7−21 今の私は召使いですから
予想外に時間がかかったが、無事にそれなりのブツを手に入れたし……今日のところは、こんなもんだろう。そう思いながら家に入ると、廊下の隅でリッテルが膝を抱えて眠っているのが見える。
……こいつ、何でこんな所で寝てるんだ? 寝室の掃除は終わってたんじゃなかったっけ⁇
「……おーい、生きてるか〜?」
やや投げやりに、彼女の頬を軽くペチペチ叩くと……あからさまに冷え切ってはいるが、息はあるらしい。永久凍土に近い場所の寒さはどうやら、天使にも厳しいものがあるみたいだ。ニット1枚じゃ、寒いのかもしれない。
(仕方ねぇなぁ……)
そんな事を思いながら上着を脱いで、とりあえず彼女の肩に被せる。多分、今着ている上着の方が、まだこいつのサイズには合うだろう。
(で、俺はこっちを着るしかないか……)
お揃いになるかも、なんて言われて手渡されたものだから……妙に気恥ずかしくて、ベルゼブブのニットを着ないままでいたけど。上着をこいつにやった以上、余計なことを考えていたら、俺の方が凍えちまう。それに……これはこれで、別の部分でお揃いになっちまったし。こんな格好で出歩かれたら、間違いなくベルゼブブやアスモデウスにからかわれる気がする。
そんなどうでもいい事でマゴマゴしているうちに、生きてはいるらしい彼女の目が開いて……俺の姿を確認すると、急に怯えた顔をし始める。別に、寝ていた事を責めるつもりもないんだけどな。あからさまに悲しそうな顔をされると……何故か、とても辛い。
「お、お帰りなさい……すみません。つい、ウトウトしてて……すぐに起きます」
「あ、まだ休んでていいから。……つーか、何でこんな所で寝てるんだよ?」
「……今の私は召使いですから。使用人は廊下で休みを取るのが、基本でしょう?」
「そんなの聞いた事ないけど……それって、ドコ基準の話?」
俺が何げなく答えると、明らかに驚いた表情を見せるリッテル。彼女の中ではそれが「当たり前」だったみたいだけど、そんな「当たり前」はどこのお偉いさんの基準なんだろう。
「……そう、なのね。……生前はそれが普通でしたから……。使用人は汚らわしいという事で、寝室を与えられないのは当然だと思っていました」
「俺、お前のことを汚いとか言った覚えはないけど……? 大体、生前って何だよ? お前が天使になる前の話か?」
「えぇ。……私ね、こんな風になる前は……カンバラっていう王国の王女だったの」
「へぇ〜。それってお姫様、って事?」
「うん。そんなところかな」
リッテルは元姫様……か。どうも、俺は姫様という人種にはそれなりに縁があるらしい。随分前にも、人間界で面倒な姫様に捕まった事があったっけなぁ……。
「でね、専属の使用人が5人いたんだけど……。自分と大して歳も変わらない女の子達に、そんな酷いことを言いながら育ったの」
「うわ、超やな奴……」
「本当、そうよね……」
しかし彼女は面倒というよりかは、高慢ちきなタイプの姫様だったらしい。俺が素直に漏らした感想をアッサリと受け止めると、自嘲気味に力なく笑うリッテル。……そういや、こいつと初めて出会った時は妙に自信タップリというか、自意識過剰というか、そんな印象があったけど。その辺は元王女様の威厳ってヤツなのかもしれない。
「だから……こうして自分が使われる立場になって、なんて酷いことを言っていたんだろう、って初めて気づいたの。今更、後悔しても遅すぎるんだけど……因果応報というか。誰かに酷いことをすると自分に返ってくるんだなんて、ちょっと考えちゃった。……だから、私はここでいいの。今の私には……それが相応しいもの」
「俺は別に、そこまでお前をこき使うつもりはねーよ。あぁ、そうだ。そういや、これを渡さないといけないんだった」
「……?」
「って、アレ? ……あ、そっか。上着のポケットか。ほれ、お前の肩に掛かってるやつのポケットに入ってるから。そいつを使えよ」
「これ、いつの間に? す、すぐにお返しします」
「俺は新しいのがあるから、大丈夫だし。それはそのまま着てろよ。俺のお古で、ファスナーが壊れてて……上まで上がらなくて悪いんだけど。一応、ヒッポグリフっていう魔獣の毛皮でできてるから、それなりの魔法効果もあるし。とりあえず、それ1枚じゃ寒いだろうから」
「……うん、ありがとう……」
彼女がどことなく嬉しそうな顔をして、俺の元上着に袖を通すと。弾みで、ポケットの中に入っているベルがチリンと鳴る。……あ。結構、いい音するじゃん。
「これ……? 私が持っていたのとは、違う気が……」
「あぁ、お前が元々持ってたのはガラス製だったとかで、壊れちまっていたらしくてな。そいつはお前を探してるとか言ってた、ミシェルってヤツから貰ってきた」
「ミシェル様……? また、どうして大天使様が私なんかを……」
「あ〜、掻い摘んで言うとな。お前さんがやらかした事は、とっくにバレてるらしくて。で、そのミシェル曰く、お前のやった事は簡単に見過ごせないし、罰は厳しいものになるんだと」
「……そっか。まだ大丈夫なんて思ってたけど、全然ダメじゃない。私って、どうして……ここまでバカなのかしら」
「お前さんがバカかどうかは置いといて。でさ、お前さんの体調があんまり良くないのを伝えたら、そいつを寄越す代わりに伝言を頼まれた」
「伝言? 私に……?」
「罰を受ける覚悟ができたら戻ってこい、だってさ。あと……ラミュエル? って奴も心配してる、とか言ってたな」
「……‼︎」
リッテルにとってラミュエルとやらは、ただの知り合いでもないらしい。ミシェルの伝言を聞くや否や、小さくごめんなさいとか言いながら、泣き出す。そうして……肩幅が合っていなかったせいで、長さが余っていた袖の下から出てきた彼女の手が、妙にドス黒い事に今更気づく。さっきの傷が悪化していると言うよりは、別の何かに変化している感じがするが……。
「お前……その手、どうしたよ? 傷は魔法で治せるんじゃなかったのか?」
「別に大丈夫よ。……色はちょっとおかしいけど、痛くもないし……」
「そんな事、言ってる場合かよ⁉︎ それ、明らかにマズいだろ!」
勢い彼女の手を取ると、チリンと音を立てながら折角のベルがこぼれ落ちる。あぁ、ったく。こんな時に煩わしい。だけど、このままだとまた落としかねないし……そう思いながら、僅かな持ち物の中でも、辛うじて残っていたチェーンネックレスを外してベルを通す。こいつは生まれた時に持たされていた、ヨルムツリーからの贈り物だったけど。ベルを通せるものなんて、これしかないし。……今は悠長に考えている暇もない。
「ほれ、首に掛けとけ。とにかく、出かけるぞ」
「どこに……?」
「いいから! ほら、サッサと立てよ!」
「あ……は、はぃ……」
うっすらと残る涙を拭いながら、彼女が立ち上がろうとするが……うまく力が入らないのか、勢い、よろめく。まさか自力で立てない程に悪化しているなんて、考えもしなかった。
「……あぁ、もう!」
見るからに衰弱している様子が、妙に腹立たしい。そうして彼女が体勢を立て直す間も与えず、抱き上げるが……間違いなく軽くなった華奢な体の重みに、じんわりと後悔が滲む。
「えっと……」
「ベルゼブブの所に行くぞ。あいつなら、何か知ってるかもしれないし……今は大人しく掴まってろ」
「……はい」
とにかく、急いであいつに診てもらおう。何か、いい知恵を借りれるといいんだけど。そんな事を考えながら、翼を広げて黒い空に飛び立つ。
その時ばかりは……どうして自分ががむしゃらなのかも分からない程に、ただただ焦ることしかできなかった。




