7−13 割り切ることができない時
「昨日は魔界訪問、ご苦労様でした。それで、ルシエルはプランシーちゃんとの契約をゲットしたんですって?」
「え、えぇ……。ただ、コンラッドの記憶は不完全なため、全てを思い出すにはキッカケと言いますか。記憶を呼び覚ますための機会が必要なようです。ですので、あまり悠長な事を言ってられない状況なのも、分かっているのですが……今まで苦労した分、好きなように過ごしていいと伝えてあります」
「そうよね。沢山、苦しい思いをさせてしまったのですもの。私も現状はそれで問題ないと思うわ」
報告書を提出した後、ラミュエル様に昨日の契約の顛末と……これからの事について話をしているものの。終始、彼女の表情は晴れない。
理由はキュリエルからも聞いていたが、先日の解任があってからリッテルの行方が分からないらしい。あれだけ怒られるのを怖がっていた大天使様の口から、既にルシフェル様の耳にも入っているところを鑑みるに……おそらく、状況はあまりよくないのだろう。
「リッテルの捜索にはミシェル様が動いてらっしゃるのでしょう? それに、一因をラミュエル様が作ったとは言え、顛末はリッテル自身の問題かと思います。あなた様のせいだけではないと思いますよ」
「……ありがとう。でもね、あの子の性格を分かっていながら……この結果を予想できなかったのは、私の落ち度だと思うわ。リッテルは生前、元々お姫様だったから……プライドが高くて、誰よりも負けず嫌いだったもの。そんなあの子がルクレスのお仕事を取り上げられて、黙っているはずない事も分かっていたのに。あの子をここまで追い詰めてしまったわ。……私は何のために、このファルシオンを預かっているのかしら」
深々とため息をつきながら、手に握りしめられた杖を見やるラミュエル様。
神具にして、救済を司る大天使に預けられる杖の頭には幸運が詰まっているとされる、深い青の宝珠が鎮座している。その青は時折、深海の揺らめきを見せ……朝日を恋い焦がれる深淵の息吹のごとく、立ち上る泡が球体の中で虚しく足掻いては、消えて行く。
「しかし……王族に生まれたはずの彼女が、なぜ生贄に?」
「私も詳しく聞いていないのだけど……あの子は旧カンバラ王家の末娘だったみたいでね。ほら、あの見た目でしょう? きっと生前から出自も含めて、チヤホヤされて育てられたんだと思うわ。でも、カンバラはご存知の通り、今はない王国よね。……王国崩落の時に何か事情があって、生贄にされてしまった可能性が高いんじゃないかしら。現にあの子は魔力崩壊後に転生した子だし……もしかしたら、リッテルがハーヴェンちゃんに固執するのも、その辺が絡んでいるのかもね。ハーヴェンちゃんがあのハール・ローヴェンだって分かってから、あの子の熱の入れあげ方は異常だったから」
リッテルは生前のハーヴェン……かの英雄にも憧れていたということか。彼自身も忘れていたこととは言え、生前のハーヴェンは当時の人間界では知らないものはいない程の有名人だったらしい。本人が気にする事も、威丈高に振舞う事もなかったが……良くも悪くも、目立つ存在であることは間違いない。そういった意味でも、リッテルにとって彼は申し分ない存在なのだろう。
優しく、強いだけではなく、側に置くだけで自己顕示欲までもを必要以上に満たす相手。元々王族だったという彼女がハーヴェンを異常なまでに欲しがるのは、無理もないことなのかもしれない。
(それとは別に……以前、彼女が言っていた“あの日”というのは、生前の出来事だったということだろうか?)
リッテルがハーヴェンに「契約替え」を迫っていた時に、彼女が以前からハーヴェンを知っていた風な事を言っていたのを、俄に思い出す。ハーヴェンは「人違い」だと一蹴していたが、人間だった頃の記憶を取り戻しているはずのハーヴェンが素気無く言う時点で、「あの日」の出来事は彼からすれば……記憶にも残らない、瑣末な事だったのかもしれない。それでなくとも、生前のハーヴェンは「戒律のせいで結婚できなかった」とも言っていたし……。「あの日」の事は恐らく、色恋沙汰の類ではないだろう。
そこまで考えると、安心している自分に気づいて……無性に腹が立つ。今はそんな事を気にしている場合ではない。どうしてハーヴェン絡みになると、こうも考えるべきことが脱線してしまうのだろう。
「今は人間界の動向を具に把握するのが、我々がすべきことかと思います。ラミュエル様にとっては歯痒い事かとは思いますが、ミシェル様が動いてくださっているのですから……今は吉報を待つ方がよろしいかと」
「そう、ね。ミシェルが人間界で色々調べてくれていると思うし……。場合によっては、ルシフェル様も魔界で彼女を探す手はずを整えると仰ってくれたし……大丈夫。そうよ、リッテルはきっと無事で帰って来てくれるはずよね」
最後はまるで、自分に言い聞かせるように呟くラミュエル様。オーディエル様から報告を受けても、意外にもルシフェル様もお怒りにはならなかったらしい。あくまでも予想だが……恐らくルシフェル様も、責任が大天使様達にあるわけではないと、経緯から見抜いたのだろう。
再三注意をされても尚、勤務態度を改めなかった部下を任から解くのは、至極当然の事だ。その上で塔の機能をダウンさせて、悪魔に攫われたかもしれないとなったら……傍から見ても自業自得でしかない。それに……。
(戻ってこられても、きっと……それなりの罰は受けなければいけない。無事に帰ってきたところで、リッテルはどうなるのだろう……)
規律に厳しいオーディエル様と、妙に責任感が強いルシフェル様が揃っている以上、確実にお咎めなしにはならない。もし、彼女達の判断で降った「お仕置き」でリッテルが死亡するようなことがあれば、ラミュエル様は間違いなく辛い思いをする事になる。リッテルは二翼の天使なのだ。懲罰で取り上げられる翼がない以上、彼女の処遇は厳しいものになるだろう。
そう考えると……根本的な解決には至らないが、リッテルが行方不明のままの方が互いに幸せなのかもしれない。
確かに、きちんと皆が納得できる解決策を見つけるに越したことはないのだろう。しかし……決着を着ける事によって、必要以上に傷つく相手がいるならば。うやむやなままの方が、いい時もあるのではないだろうか。
(……なんて。そんな事を言ったら、ハーヴェンに卑怯者って怒られそうだな)
自分の満足できる結末を迎えたい……か。自分の結末と、相手の結末が相容れない時はどうすればいいのだろう。どうしようもないと、割り切ることができない時は?
「……私からの話は以上ですが、他に何かございますか?」
「いいえ、大丈夫よ。今日もご苦労様でした。もしかしたら、また何かお願いすることがあるかもしれないけど……その時は力を貸してくれると嬉しいわ」
「もちろんです。私にできることであれば、何なりとご用命ください」
私の返事に力なく「ありがとう」と答えるラミュエル様と、ここにいても力になれないだろうと部屋を後にする私と。自分の無力さにひたすら空虚な物を感じて、思わず左手の薬指に手を添える。手元の煌々と赤く輝く色彩に、励まされる気がすると同時に……彼に会いたいと強く思う。
彼に早く、このモヤモヤとした悩みを聞いてほしい。ただ、聞いてくれるだけでいい。以前は話し相手さえ作らなかった私にしては、随分な甘えだと思うが。その甘えは悪いものではないとも思う。そう……素直に誰かを頼ることは決して、恥ずかしいことではないのだから。




