7−12 自分のペースで
朝食の席に神父様が座っているのが見えると、改めて昨日のことが嘘じゃなかったんだと安心する。マスターはもう出かけているみたいだったけど、嬉しそうにお料理をしているハーヴェンさんが僕にも朝食を出してくれて……今朝の朝ごはんは、トマトスープとランチョンミートのベーグルサンドみたいだ。
「ありがとうございます」
「うん。冷めないうちに召し上がれ。今日は朝食後、すぐにゲルニカのところに出かけるから、そのつもりでな」
「はい!」
そんな事を言いながらも、ハーヴェンさんと神父様は既に朝食を済ませたらしい。互いにお茶を飲みながら、竜界のことについて話をしている。
「竜族、ですか……。それこそ、伝説の生き物だと思っていましたが……いやはや。そんなお話をお伺いすると、人間だった頃の経験や知識が、いかにちっぽけなものだったかを思い知らされます」
「そいつは俺も一緒だよ。嫁さんと関わらなければ、知り合うどころか、お目にかかることもなかっただろうに。とは言え、これから会いに行くゲルニカは温和な竜族の中でも、飛び抜けてお人好しな奴だから。変に心配しなくてもいいぞ」
ハーヴェンさんが父さまのことも説明しているけれど。……今日はその父さまのピンチを助けに行くのだから、お人好しなのはハーヴェンさんもあまり変わらないと思う。
「おはようさん、悪魔の旦那〜」
「おはようございます」
「お。おはよう〜。お前達の分も用意するから、ちょっと待っててな」
朝の掃除を終わらせたハンナとダウジャの姿を確認して、鼻歌交じりでハーヴェンさんが厨房に戻って行く。本当はハーヴェンさんに聞きたいことがあるのだけど、忙しそうだし……何より、僕自身もここで話していいことなのかも分からない。その辺は……エルの様子を見てから、考えればいいかなぁ。
「そう言えば、神父の旦那。知ってますか?」
「うん? 何をでしょうか、黒猫さん」
自分の食事を待つ間、ダウジャが神父様に話しかけるているけど……ダウジャ的には面白い話らしい。彼は悪戯っぽい表情を浮かべながら、嬉しそうに話を続ける。
「坊ちゃんには既に、ガールフレンドがいるんですよ」
「おや、そうなのですか? ギノもなかなか、隅に置けませんね」
「⁉︎」
ダウジャの話がまさか僕の事だと思いもしなかったから、勢いスープが喉に閊えて苦しい。それ……ど、どういう事?
「ガ、ガールフレンド? ……あ。もしかして、エルの事を言ってるのかな?」
「そうそう、お嬢様の事ですよ。ほら、昨日も奥様とお祖母様も一緒に、猛アタックされていたじゃないですか〜。坊ちゃんもモテモテで憎いね、コノコノ!」
「え、いや……別に僕はそんなつもりじゃないんだけど……」
「おや、そうなんですかい?」
ダウジャが納得しかねる表情を浮かべている横で、ハンナはクスクス笑っている。彼女がダウジャを窘めにかからないところを見るに、ハンナもそんな風に思っているんだろう。……どうしよう。色々と囲い込まれている気がする。
「エル……? はて、お会いしたことがあるような、ないような……」
僕達のそんなやり取りの横で、神父様が宙を見ながら呟く。そう言えば、神父様は人間だった時の記憶が完全に戻っていないんだっけ。僕のことは覚えてくれていたみたいだけど、エルの事は忘れちゃったんだろうか。
「ほれ、タルルトに俺が差し入れに行ってた時に……一緒に小さな女の子がいたろ? 赤い角に、銀色の尻尾の。エルノアって言うんだけど、覚えてない?」
そんな事を言いながら、ハーヴェンさんがダウジャとハンナの分の朝食をテーブルに並べてくれている。それを待っていましたとばかりに、いただきますの挨拶の後齧り付く猫さん2人。その横でしばらく思いを巡らした後、何かを思い出したらしい。神父様が「あぁ」と小さく声を漏らす。
「そうそう、エルノアちゃん。ギノの手を魔法で癒してくれましたね。このお屋敷に住んでいるお話があった時に、思い出すべきでした。やはり、記憶を完全に取り戻すのは……難しいものみたいですね」
「でも、エルノアの事も意外とすんなり思い出せたみたいだな。まぁ、俺も最期の記憶も含めて……完全に自分のことを思い出すのに、300年近くかかってるし。そんなに焦らなくていいと思うよ。無理に思い出すと、却って苦しいこともあるから、自分のペースで探せばいいんじゃないかな」
「そう、ですね……。あの頃が最早、昔の事のように思えて懐かしい気がします。あの時に戻れたらと、未だに考えることがありますが……そればかりは、叶わぬ望みだと分かってはいるのです。それでも、そんな事を思い返す度に腹のあたりが熱くなるのを、必死に抑える自分がいて……今の私であれば、あの子達を守ることができたのでしょうか。それとも、変わらないのでしょうか。答えはどうしたら、得られるのでしょう……」
エルを思い出すついでに、深い悩みを打ち明ける神父様。そうか……神父様は、僕達を守れなかった事を後悔しているんだ……。
「その答えは誰にも分からないさ。それでも、後から思い返した時に、自分が正しかったんだと納得できるような答えを探せればいいんじゃないかと俺は思うよ。正しい、正しくないは結局、後から分かることなんだし。最初から、全てを正解と不正解とで分ける必要なんかない。変に悩むと却って苦しいし、お前の場合は怒りが暴走する可能性もあるし……。焦って事を起こすと、逆に後悔する羽目になるかもしれないぞ?」
「……そう、かも知れませんね。何れにしても、今はゆっくりとこの世界を確かめ直したいのです。その中で、何かできる事があれば……いいなと思っています」
「うん、それでいいと思う。お前はこっちに来て、まだ1日しか経ってないんだし。今からそんなに悩んでたら、体も心も保たないぞ」
ハーヴェンさんにそう言われて、確かに……と神父様がにこやかに笑う。柔らかな笑顔は、昔の優しい神父様のものと少しも変わっていないことに安心しつつも……神父様も僕と同じように、生き残ってしまったことで苦しんでいる事が分かった気がした。そして、僕は卑怯だけれど……生き残ってしまったのが自分だけじゃない事に安心している。
自分の苦しい気持ちを、本当の意味で分かってくれる人が側にいて嬉しいというか。それが決して前向きな安心ではない事も分かるのだけど。今の僕には……その事が何よりも大切なものに思える。
「さて、今日は予告通りゲルニカの所に行くぞ〜。ハンナ達の食事が済んだら出かけるから、各自準備をしてくる事。準備ができた人からここに集合、って事でよろしく」
最後にハーヴェンさんがカラリと、話を締めくくる。そう言えば、父さまは大丈夫だろうか。あの後、母さまとエルに振り回されたりしていないと、いいんだけど……。




