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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第7章】高慢天使と強欲悪魔
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7−11 怒るのは後にしよう

 家に帰ると冗談抜きで休みもせず、サボりもせず……掃除をしている彼女の姿が真っ先に目に入る。どうやら、寝室の後は玄関周りを掃除することにしたらしい。リッテルが床に膝を突き、古いフローリングを一生懸命に磨いていた。


「随分、進んでいるみたいだな。本当、天使っていうのは……どこまで真面目なんだか。とっくに逃げていると思ってたけど……」


 何気なく呟いた俺の言葉に、ようやくこちらに気づいたリッテルが怯えたように顔を上げる。そうしてネグリジェの胸元が開いているのにも気づいて、慌てて襟元を抑えるが。……その剥き出しの警戒心が、妙にムカつく。


「ったく……主人に対して、お帰りなさいも言えないのかよ」

「……お帰り……なさい」


 明らかに言わされている感じしかしないセリフに、ますますムカムカするけど。今はとにかく、ネグリジェで動きづらそうにしているこいつを着替えさせる方が先だ。……怒るのは後にしよう。


「ま、いいや。ほれ、それじゃ動きづらいだろ? ベルゼブブに服を見繕ってもらったから、これに着替えてこいよ」

「……?」


 少し要領を得ないと言った様子だが。それでもリッテルは不安そうな表情のまま、俺が投げ出した例のニットワンピとやらを手に取る。


「あの、これ……?」

「いいから、サッサと着替えろ。そのネグリジェはダンタリオンの借り物だ。今更、返す必要もないだろうけど。万が一、返せって言われても困るし」

「えと、別の部屋で……着替えてきても?」

「誰が、ここで着替えろって言ったよ? 何でもいいから……早くしろよ」


 他の部屋に移動するの1つ取っても、俺の機嫌を窺いながらの怯え方がとにかく気に入らない。大体、今日は一度も手を挙げてないだろ。どうして、そんなに悲しそうな顔をするんだよ。

 そんなことを考えながら、リッテルが引っ込んだ先を見つめていると、着替え終わったらしい彼女がぎこちない様子で戻ってくる。


「ふ〜ん。ま、結構いい感じじゃん。丈が妙に長い気がするんだけど……こんなもんなのか?」

「……私はこのくらいが丁度いいと思います」


 体にピッタリしつつも、膝下程度の長さの黒い服に身を包んだリッテルが答える。俺としては、太ももが出ているくらいが良かったんだけど。天使は妙に目立つし、魔界で暮らす分にはこの方が却っていいのかも知れない。


「そ? ま、いいや。少なくとも、ブカブカのネグリジェよりはマシってとこか。それで掃除も、捗るだろ?」

「え、えぇ……ありがとう、ございました」


 ありがとうなんて言われたのは……いつ以来だろう? 少し……ほんの少しだけど、胸のあたりでイガイガしていた何かが、抜け落ちていく。


「……そう言や、聞きたいことがあるんだけど。いいか?」

「聞きたいこと?」

「お前さ、魔除けのベルか何か持ってる?」

「……サンクチュアリベルの事、かしら。……いいえ、今は持っていないわ」

「そ。……つーことは、やっぱ人間界に落としてきたのか」


 ベルゼブブの話だと、瘴気に耐性がないとかで、リッテルはこのまま魔界で暮らすことはできないらしい。耐性に関しては、一発かませばいいみたいだが。そんな事をしたら、きっとこいつは今以上に、俺に怯えるだろう。それでも構わないと言えば、それまでだが。何故だろう、今はそんな気にもならない。


「……仕方ない。探してくるか……」

「探すって……どうして?」

「別にいいだろ。俺はそのベルが気になるんだよ。あのベルゼブブが興味津々で話をするんだから、珍しい道具なんだろ。それがあったら、アイツにちょっと自慢できるかも知れない」

「そう……」


 どうしてこうも、スラスラと嘘が口から出るんだろう。魔除けを探す理由に、ベルゼブブは関係ない。それでも正直に言うのが妙に気恥ずかしくて……気づけば、嘘をついていた。


「そう言えば、お前……さっきから何でそんなに、手を摩っているんだよ。寒いのか?」

「え? べ、別に寒いわけじゃないわ。大丈夫です」


 不自然にワンピースの袖を伸ばして、彼女が何かを庇っている様子が目に付く。それが妙に気になって、仕方なくて……何かを隠している気がして。不用意に近付くと驚かせてしまうことも考えないまま、リッテルの背後に回ってみるけど。


「何、隠してんだよ」

「……⁉︎」


 急に俺の気配を感じたリッテルの肩が竦む。あからさまに怯えている彼女に構わず、彼女の手を後ろから取ると……手の甲が爛れて、真っ赤に腫れているのが見えてくる。


「どうしたんだよ、コレ……」

「あ……た、大したことないわ。ある程度したら、魔法で回復すれば平気だし……」


 魔法で回復すれば平気……だって? こんな状態の手で……こいつは何で、逃げもせずに掃除なんかしているんだ?

 そんな事を考えながら、原因が何なのかを確かめようと辺りを見回す。そうして、さっきまで彼女が膝を折っていた所に置かれているバケツと、力なく床に落ちている雑巾が目に入る。近づいてバケツを覗き込むと……そこには少し紫がかった水が注がれていて、落ちている雑巾には明らかに汚れとは違う、鮮やかな赤い色が染み付いていた。


「お前さ……バカなの? どうして、そんな状態で掃除してんだよ」

「……だって、魔法さえ使えれば大丈夫だもの。それに、逃げもサボりもしないと約束したし……」

「あぁ、もういい。分かったよ。とりあえず、今日はこのくらいでいいから。掃除は水が使えないとなると、ちょっと考えないといけないだろうし……チッ、どうしてこうも思い通りにいかないんだろうな」

「あの……」

「あ? 何?」


 ため息をついている俺の様子に、何か気づいたことがあるらしい。バケツの前でしゃがんだまま振り向くと……彼女が困惑した顔でこちらを見つめている。


「髪の毛、どうしたの?」

「……邪魔だったから、切った。何か文句でもあんのかよ?」

「い、いいえ……あの、なんて言うか。短い髪もとっても似合っている思う。あなたにしたら、私にそんな事を言われたところで……意味はないのかも知れないけど……」

「そうだな。……別に、似合うって言われたくて切ったわけじゃねーし」


 悪態をつきながら、言いようもなく気恥ずかしくて目を逸らす。正直、そんな風に言ってもらえるなんて、思いもしていなかったから……少し嬉しい。


「ま、いいや。ちょっと出かけてくる。掃除はもういいから、休んでろ」

「でも……」

「安心しろよ。多少、寝坊しても……サボったなんて思ったりしないから」

「……はい。あ、えっと……」

「……まだ、何かあるのか?」

「いえ……行ってらっしゃい、気をつけて」


 行ってらっしゃい、気をつけて……だって? 今度は間違いなく、初めて言われたセリフに、どう反応して良いのか分からない。えぇと……。こういう時は……なんて言えば良いんだっけか?


「い……行って、くる……」


 ぎこちなく返事をしたところで、外に出ると人間界行きのポータルを構築する。とにかく……サッサとベルを探して戻ってこよう。それで……今度はもう少し、自然にお帰りなさいと言ってもらえたらいいんだけど。

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