7−10 どうして皆、面倒を承知で他者と繋がりたがるのだろう
乱暴に大きな音を立てながら、屋敷のドアがガタンガタンと揺れている。お客様にしては、あまりに粗雑なノックの仕方だ……そんな事を考えながら、やれやれとダンタリオンは玄関のドアノブに手をかける。
「どちら様ですか?」
暴れ続けるドアの先で待っていたのは、ヤケに洒脱な装いをした孔雀の悪魔と、真っ赤な体躯で周りを威圧するような巨大な悪魔。確か、この悪魔達は……。
「えぇと、サタン様にアドラメレクの……」
「ヤーティと申します。突然、押しかけてしまい、申し訳ございません。しかしながら、主人があなた様に至急確認したいとの事で、こうしてお訪ねした次第です。今、お時間よろしいでしょうか?」
「ヤーティ、前置きはいい! おい、アークデヴィルとやら! マモンを出せ!」
「マモン、ですか?」
どうやら彼らも、マモンに用事があるようだ。ベルゼブブといい、サタンといい。大悪魔というのは……意外と互いに関わりを持つ傾向にあるらしい。
「申し訳ありませんが、マモンはもうこの屋敷にはいません。……今朝方、自分の家とやらに帰って行きました」
「嘘をつけ! とにかく、マモンとリッテルとやらを出してもらおう!」
「サタン様、落ち着いて。第一、レディ・オーディエル様からも、マモン様がリッテル様を攫ったとまでは、お知らせいただいていないでしょう? ここは冷静に、ですね……」
「これが冷静でいられるか! オーディエルがあんなに苦しそうな文を寄越したんだぞ⁉︎ お前はどうして、そうも落ち着いていられるんだ⁉︎」
彼らは何やら、誰かにお願いされてリッテルの行方を確認しにきたようだ。ダンタリオンには正直なところ、マモンを庇う理由もないし、何より……リッテルのあの惨状を見る限り、彼女を神界に返した方が得策に思える。今のマモンに味方したところで、損することは多くても、得することは皆無に等しい。
ダンタリオンは一応、旧知の仲としてマモンを心配することはしても、自分の立場を危うくしてまで味方をする義理はないと思っていた。
「……なるほど。オーディエル様とやらがどなたかは存じませんが……リッテルのことは存じてますよ」
「ほ、本当か⁉︎」
「えぇ。確かに、マモンが人間界から攫ってきた天使はリッテルという名前でした。そして……マモンはその攫ってきた天使に思う存分、暴力を振るっていたようです」
柔和な言葉遣いとは裏腹に、異常なまでに冷酷な内容を吐き出すダンタリオン。彼の言葉に……流石のサタンも驚いたように黙り込む。
「アークデヴィル様は……それを黙認していたと?」
そうして言葉を見つけることすらできない主人の代わりに、ヤーティが低く呟く。あからさまに怒りを滲ませている様子は、訪ねてきた時の丁寧な物腰とはかけ離れていた。
「お怒りはご尤もでしょうね。ですが、いくら落ちぶれているとは言え……今のマモンさえもを諫めるほどの力は、私にはありません。マモンを怒らせると酷い目に遭うのは何も、彼女だけではありませんから」
「……」
「……そういうことでしたら、どうぞ? 気が済むまで、屋敷の中を検めていただいて構いませんよ。ただし、魔法書には触れないでくださいね。特に、封印を施しているものは触るだけでも危険ですから」
何かを諦めたらしいダンタリオンに招かれて、サタンとヤーティが屋敷のドアを潜る。そうして中に入れば……彼が先回りして忠告してくるのも頷けると言わんばかりの厳重な状態に、ヤーティが思わず「ホホォ」と感心の声を漏らした。
「サタン様はここで待っていてください」
「うぬ⁉︎ なぜだ⁉︎」
「サタン様が動き回れば余計な物を壊すかも知れない上に、貴重なコレクションを損ないかねません。部屋の検めは私が手早く行います故、大人しくいい子で待っていてください」
「こっ、子供扱いするな‼︎ 俺だって、マモンを探すくらいはできるぞ⁉︎」
「探すついでにドアを壊しかけたのは、どなたです? 大体、あのドアの叩き方は乱暴にも程があります。そんな調子では……紳士がお好きなレディ・オーディエルに嫌われますよ?」
「う、うぐぐぐ……」
先ほどから彼らの口から出てくるオーディエルが何者なのか、ダンタリオンには分からない。ただ、サタンの様子を見る限り……彼の思い人であることは間違いなさそうだ。
「でしたら、サタン様。待っている間に是非、私にオーディエル様のお話を聞かせていただけませんか」
「オーディエルの話?」
「えぇ。今日は彼女のお願いがあって、こんな場所までお越しくださったのでしょう? 魔界の大悪魔をして、そこまでさせる程のお方が何者なのか、非常に興味があります」
「そ、そうか! そういう事なら、聞かせてやるぞ! オーディエルは、俺の文通相手なのだ」
上手くダンタリオンがサタンを乗せたことを見計らって、ヤーティが屋敷の奥に進んでいく。彼は彼で、きちんと仕事をこなすつもりらしい。
「オーディエルはな、神界の大天使の1人でな! 燃えるような赤い瞳に、極上の琥珀のような美しい髪を持つ、それはもう、とにかくいい女なのだ!」
「ほぅ、そうなのですか? 失礼ですが……魔界にもアスモデウス様のところに、美しい女は掃いて捨てる程いるでしょう? それ以上ということですか?」
「うむ! 俺には彼女が、光輝いて見えたぞ。神々しい翼に、力強い眼差し! それでいて優しいのだから、惚れない理由などないだろう!」
確かに、天使達の翼は魔界では美しく映る。それでなくとも、ドス黒いこの世界で彼女達の存在感は、サキュバス達の存在をあっという間に翳らせるくらいに、鮮烈であろう。
「そう、なのですね。……まぁ、確かにアスモデウス様を始め、色欲の悪魔達には優しさはありませんからね。やはり、天使様達は特別ということなのでしょうか」
「そうなのだ! 美しい上に優しい! 実際、エルダーウコバクの嫁もとにかく可愛かった!」
まるで子供のようにはしゃぎながら、嬉しそうに天使達の良さを熱く語るサタン。その様子を重症だなと、ダンタリオンは半ば呆れたように見つめていた。
「しかし、エルダーウコバクに天使の嫁? ですか? それはまた、何のご冗談でしょう?」
「冗談などではないぞ。奴はな、人間界で出会った天使と結婚したのだそうだ。エルダーウコバクもそれはそれは、大事にしているみたいでな……クゥゥゥゥ! 俺も早く、オーディエルをあんな風に抱き上げてみたいものだ!」
そう言いながら、更に何かのボルテージが上がったらしいサタン。今度は悔しそうに体をくねらせながら、歯ぎしりをしている。
(マモンがいきなり天使を攫ってきたのは、そういう理由だったのでしょうか? だとしたら……やっぱり、エルダーウコバクは迷惑な奴ですね……)
ダンタリオンがぼんやりとそんなことを考えていると……屋敷を検め終わったらしいヤーティがエントランスに戻ってくる。ややお疲れ気味の表情は多分、ダンタリオンの屋敷が広いから、という理由だけではないだろう。
「サタン様。アークデヴィル様の仰る通り、ここにマモン様はいないみたいです」
「そうか! それでは次はマモンの家に行くぞ! おい、アークデヴィル! マモンの家はどこだ?」
「申し訳ありません。私もアレの家は知らないのです。所轄地内にあることは間違いないと思いますが、正確な場所までは……」
「隠し立ては為にならんぞ⁉︎」
「隠してなどいませんよ。それに、リッテルを神界に返してやりたいのは、私も一緒です。しかし一方で……マモンはリッテルを手放す気はないようで、満身創痍の傷を癒すための回復魔法は許したようでしてね。まぁ、その執り成しもベルゼブブ様が気を回してくださった結果ですが。とは言え、マモンはマモンで彼女を必要としている部分があるみたいですし……もし彼の所在を突き止めたとしても、頭ごなしに引き離すことだけはしないで欲しいのです。……今のマモンは色々と追い詰められていますから。お願いですから、無理やり彼から何かを奪うことだけは、しないで下さいませんか」
協力的なのか、非協力的なのか? どっち付かずのダンタリオンの受け答えに、サタンの頭は理解が追いつかない。一方で……ダンタリオンの言葉に、悲痛な空気をしっかりと嗅ぎ取ったヤーティが主人を帰途に着くよう促す。
「サタン様。一度、帰りましょう。アークデヴィル様は嘘をついていないように思います。それに、ベルゼブブ様の方が何かを知っていると思われますし……ここはまず、ベルゼブブ様にご相談するのがよろしいのではないかと」
「そうだな。ここにいない以上、他を探した方がいいかもしれん。アークデヴィルとやら、邪魔したな。もしリッテルを見かけるようなことがあったら、すぐに俺に知らせるのだ。いいな⁉︎」
「かしこまりました。もし、見つけた場合はご報告しますよ」
ダンタリオンの返答に、とりあえず満足したサタンが「フン」と短く息を吐くと、翼を広げ飛び立って行く。その後を追うようにヤーティも丁寧にダンタリオンに一礼した後、両腕をはためかせフワリと浮き上がった。真っ黒な空に棚引く炎の光と、仄かに輝く緑色の閃光を見つめながら……ダンタリオンはやれやれと、もう一度ため息をつく。
本当に、何もかもが迷惑にしか思えない。
どうして皆、面倒を承知で他者と繋がりたがるのだろう。その時のダンタリオンには、「他者と繋がろうとする」行動自体が……ひたすら無駄にしか思えなくて、理解できなかった。




