7−2 あぁ、本当に嘆かわしい
「え〜と……そっちのご婦人は、ルシファーで合ってる?」
「無論だ。食事とやらを頂きに来てやったぞ。で、お前があの若造か?」
ギノが帰って来た後、しばらくして嫁さんも帰って来たと、出迎えてみれば……。魔界で会った時とは一転、純白のローブに身を包んだ大悪魔様が偉そうに胸を張っている。
「あぁ、そうか。この姿で会うのは初めてか。こっちではこの姿で暮らしてるんだけど……って、ちょっと?」
「ホォ〜……なるほど? あいつらが生娘のようにはしゃぐのも、無理はないか?」
「……はい?」
ルシファーがそんなことを言いながら、俺の顔をマジマジと覗き込んでくるが。顎に手をやり、何かを見定めるような視線に、どうしたらいいのか分からない。
「うむ。ラミュエルがこちらの姿は、イケメンとか訳の分からないことを申していてな。要するに、顔がいいということなのだろうが……フゥむ。私の好みからは外れているが、確かにいい面構えだな」
「あぁ、左様ですか……」
その背後で拝むように、「ゴメンナサイ」ポーズをしているルシエルの様子を見るに……多分、ルシファーが半ば強引にくっついて来たのだろう。散々勝手なことを言いながら、ルシファーは尚も不思議そうに俺の顔を見つめ続けている。とにかく……今は彼女の気を紛らわすためにも、リビングに連行した方が良さそうだ。
「あぁ、まぁ。夕食は、バターチキンソテーと魚介のブイヤベースです。ルシファーの分くらいはあるから、リビングにどうぞ?」
「そうか! では遠慮なく、邪魔するぞ!」
さも当然のように、ツカツカと奥に入っていくルシファーだけど……。天使に戻っても、傲慢さは相変わらずなんだろうか。
「ほれ、ルシエルも。……みんな待っているから、行こう?」
「急にこんなことになって、ごめんなさい……」
「別にいいよ。今日もエルノアとコンタローは向こうに残留みたいだし……。余らせるよりは、よっぽどいい」
「そ、そう?」
ルシファーの背中を疲れた顔で見つめながら、嫁さんがこっそり俺のエプロンを掴む。
「……ハーヴェンは私の旦那様だもん。いくら相手がルシフェル様でも……絶対に渡さないんだから」
「う、うん……。ルシエルの問題は、そこなのな……」
そんなことをしながらリビングに辿り着くと、ゲストの登場に驚きつつも……ギノとケット・シーの2人がルシエルをお帰りなさいと出迎える。
「マスター、お帰りなさい」
「うん、ただいま。急で悪いんだけど、今日は天使長様がどうしても食事をしてみたいって仰ったから、お連れしたんだ。……ごめんね。後で紹介するから、とにかく食事を頂きましょう?」
「ほほぉ〜! それじゃ、こっちの人が天使長様ですかい?」
相変わらずの調子でダウジャが物怖じせずに、目を丸くしながら尋ねる。彼の質問にルシエルの紹介を待たずに、ご本人様が妙に威厳たっぷりに応じるものの……さっきから無駄に偉そうな気がするのは、思い過ごしだろうか。
「左様。私はルシフェルという。……まぁ、ついさっきまでは魔界で大悪魔だったのだが。諸事情により、神界に戻ることになった。急に押しかけて悪いが、今晩はよろしく頼む」
「は、はい……」
大悪魔から天使長って。どちらの立場でも権力者という時点で、威圧感が半端ない。そうして自然に最上座に着席するルシフェルを横目に、彼女の手綱をしっかり握るつもりなのだろう。緊張した面持ちで、ルシエルが隣に腰を下ろす。
「ハーヴェン様、お料理はこちらで最後ですか?」
「うん。ちゃっかり手伝わせて悪いな」
「いいえ。このくらいは致しませんと」
働き者の根っこは変わっていないプランシーが朗らかに手伝いを申し出てくれたが、一方で……立ちそびれたらしい子供達が、ダダ漏れの天使長様のプレッシャーに固まっている。特にルシファーの正面に座ることになってしまったハンナが縮み上がっていて、気の毒だなぁ……。
「は〜い、お待たせ。これで全部だから、遠慮なくどうぞ。なお、予告しておくと……本日のデザートはバラとラズベリーのムースです。ブイヤベースのお代わりはあるから、足りない人は申し出てください〜」
こんな時にエルノアがいれば、デザートのところで嬉しそうな歓声が上がるのだろうけど。……今日はどうも、そんな雰囲気にはならないらしい。そして……その空気を作り出しているのが、正に自分だとは露にも思わないのだろう。食事を始めたらしい天使長様が早速、出された食事について質問を投げてくる。
「……若造、この硬いものは食べられるのか?」
「あぁ、それは食べない! ムール貝の殻はちゃんと取って。中の身だけを食べないと腹、壊すぞ」
「ホォ? では何故、このままなのだ?」
「貝っていうのは、最初は殻が閉じてんだよ。熱を加えると開いて、中が食べられるようになるの。だから殻ごと入ってるだけなんだけど……」
「そうなのか⁉︎」
明らかにトンチンカンな発言に……堪えられなかったらしいギノが、クスクスと笑い出した。お、少しは緊張がほぐれた感じか?
「う……。もしかして、今のは……常識なのか?」
「……笑ってすみません。ハーヴェンさんの言う通り、貝殻は硬いし、とてもじゃないけど食べられないので……分けた方がいいですよ。もしかして、天使長様は貝を食べるのは初めてなんですか?」
「あ、あぁ……。私はそれこそ、人間界歴で2600年程前からこの状態なのでな。人間の生活様式にはどうしても疎くなってしまって……貝を知ってはいても、実物を見るのは初めてだ」
「そうだったんですか? と、いうか……に、2600年⁉︎」
ミシェルの1200年越えもぶったまげたが、こいつはそれ以上だったらしい。あからさまに桁外れの年齢にビックリさせられる一方で……隣でルシエルが額に手を充てている。嫁さんとしては、この状況が居た堪れないようだ。
「……あのさ。ルシファーは人間だった時は何を食べてたんだよ……」
「私は始まりの天使の1人なのでな。人間から転生した天使ではなく、生まれた時からこの状態だ。故に生前……人間だった時期というものは存在しない」
「そ、そうなんだ……?」
要するに……特別仕様の天使様って事だよな、それって。俺がそんなことをぼんやり考えながら、チキンソテーを頬張っていると、妙にしおらしくルシファーが言葉を続ける。
「と言っても……そんなに大層なものでもないんだが。始まりはいかに立派でも、妹達を見捨てきれずに闇堕ちまでしたのだから、私も情けないこと、この上なかろう。それで現代の天使共が困っていると聞いて神界に帰ってみれば、人間界はメチャクチャな状態だし……! あぁ、本当に嘆かわしい!」
そんなことを吐き出しながら、フォークを突き刺したチキンソテーを切り分けることもせずに、そのままガブリと噛みつき始めたルシファー。あっ。それはナイフを使わないと、キツいんじゃないか?
「ルシフェル様。そのまま口に入れると、食べづらいでしょう? これはこうして……」
そんな様子を見るに見かねて、隣からルシファーの残りのチキンソテーを丁寧に、1口サイズに切り分けてやるルシエル。一方で……既に口いっぱいにものを詰め込んだまま喋ることもできずに、それでもルシエルの手際の良さに妙に感心しきりの天使長様。そんな彼女の様子に、今度はプランシーやケット・シー達も笑い出した。
「ホッホッホ。天使長様と聞いて、緊張していましたが……こうして食事をしている分には、そこまで気後れする必要もないということでしょうか。……少なくとも、私が警戒する必要はなさそうですね」
「フフフ、そんなに口いっぱいに食べ物を詰め込んだら……喉を詰まらせてしまいますよ? 大丈夫ですか?」
プランシーの言葉にキナ臭いものを感じつつも、ハンナの方は純粋におかしくて仕方ないらしい。そして何故か、したり顔でニヤニヤしているダウジャ。ルシファーには悪いが、彼女の意外な間抜けさのおかげで……ようやく、いつもの空気に戻ったな。
「う、うぬぅ……。若造! 何故、最初から切り分けておかないのだ? お前のせいで、笑われてしまったではないか!」
「いや、それは俺のせいじゃないだろう。大体、俺だって嫁さんにそんな世話を焼いてもらった事ないぞ? オイシイ思いをしておいて、何言ってんだよ」
「そ、そうなのか? というか、悔しいのか? それ、悔しいんだな⁉︎」
「もの凄く悔しい」
俺がさも悔しいと答えると、今度はしてやったりと意地悪っぽい顔を見せるルシファー。……随分と反応が幼い気がするんだが、意外と中身はお子様なのか?
「ホォ〜。……なぁ、ルシエル。ちょっと……頼みごとをしても良いか?」
「イヤです」
イタズラっぽいついでに、何かを思いついたらしいルシファーの企みを……嫁さんがピシャリとガードする。
「まだ、何も言っていないだろう⁉︎」
「残りのお食事は、自分でお口に運んでください」
「な、何故、分かった⁉︎」
「そのくらいはお見通しです。子供じゃないのですから、後は自分でなさってください。ホラホラ、ちゃんと食べないとデザートがお預けになっちゃいますよ?」
「ウググ……あぁ、全く! 旦那が旦那なら、嫁も嫁だな! 本当に憎たらしい!」
どこかで聞いた気がするセリフを吐きながら、嫁さんが綺麗に切り分けたチキンソテーを口に運び始めるルシファー。勢いを見る限り……どうやら、憎たらしい旦那が作った食事は気に入ったらしい。ようやく笑いが戻った食卓で、その空気も含めて満更でもない様子だ。




