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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第7章】高慢天使と強欲悪魔
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7−1 どうして、自分には何も残らないのだろう

 轡も首輪も外されて、とりあえずの自由は取り戻せたが。今更、自分には帰る場所がないことに気づくリッテル。冷静に考えれば、自分がしでかした「イタズラ」はちょっとのことでは許されないものだろう。まだ露見していないとは思うが、この状況はどう考えても自業自得でしかなく。自分で塔の機能を停止した挙句に悪魔に攫われて、そこから命からがら逃げてきました……ともなれば、今度こそ神界中の笑い者にされかねない。


(……これから先、どうすればいいのかしら。逃げたとしても、神界に帰る方法さえ分からないし……それに、今の神界に私の居場所はもうないもの。……帰っても、仕方ない気がする……)


 いっそ、そのまま殺してくれれば良かったのに。

 ベルゼブブという悪魔が帰った後、マモンがリッテルに手を上げることはなかったが……相変わらずの不機嫌な様子に、話しかける事さえできない。幸いにも、魔界の魔力は濃いようなので、口さえ自由であれば魔法で傷を癒すことはできるものの。これ以上の痛い思いは、当然ながらしたくはない。だとしたら、そのまま死んだほうがマシだったように思えるのだが。それでも何故か、促されるままに回復魔法を使って生にしがみついてしまった。

 何れにしても、生き延びてしまった以上……絶対にマモンの機嫌を損ねてはならない。


「……何で、逃げようとしないんだよ?」


 そんな事を考えているリッテルの横顔に、彼女の様子を窺うマモンの声が響く。少し出てくる、と言ったまましばらく帰ってこなかったが……リッテルを試していたらしい。彼女が逃げない事に、不服とも不可解とも取れない表情をしたまま、リッテルを睨んでいる。


「今更、帰る場所もないし……」

「あ? 何、言ってんだよ。そんなの神界に帰りゃいいじゃん。お前ら天使はそこに住んでいるんだろうし」

「……こんな状態で帰ったら、笑い者にされるもの。今の神界に……私の居場所はないの」

「それ、悪魔に攫われたから、って事か? だとしたら……俺が悪いって事?」


 しまった。そういう意味で言ったわけではないのだが。

 リッテルの答えは、マモンの機嫌を損ねてしまうものだったみたいだ。あからさまに不機嫌そうな声に、怯えたようにリッテルは体を強張らせる。また殴られるのだろうかと想像すると……体の震えが止まらない。


「俺が悪いって事か? ハッキリ言えよ。どうなんだ⁉︎」

「そ、そういう意味じゃ……ないわ。……私は、仕事に失敗したの。それで……しばらく頭を冷やせって、言われてて。……もう、私には帰る場所はないの。最後に……神界のシステムに細工してきちゃったし……」


 地位と美貌。生前から、自分は愛される素質を十分に「持っている者」だと思っていた。しかし、それを持っていると思わせてもらえるのは、最初だけ。何かの終わりには……自分は「持っている者」ではなく、「持たざる者」なのだと気づかされる。

 自分が欲しいものは、いつも自分の手の届かないところにある。

 自分が本当に欲しいものは、いつも既に誰かのものだった。

 そこまで考えた時、何かの糸が切れたように……リッテルは涙を流していた。

 そうだ。いつもいつも、自分は最終的には「持っていない」。どうして、自分には何も残らないのだろう。


「私、ルシエルに負けたの……。仕事も恋も、全部。自分に何が足りないのか、分からなかった。理由は誰も教えてくれなくて……悩んでいる私を誰も助けてくれなくて、悔しくて……!」


 聞いている相手は、怖くて仕方がなかったマモンのはずなのに。今までの鬱積を吐露するように、リッテルは嗚咽混じりで言葉と涙を流し続ける。最低限の体裁さえも繕えない程に、リッテルは疲れ果て……追い詰められていた。


「……要するに。お前さんは神界に帰りたくない、と。そういうことか?」

「そう、かもしれない……」

「あっそ。……それじゃ、好きにしとけよ。実を言うと、この屋敷はダンタリオンのものでな。ちょっと話をしてきたんだが、アイツにとって俺達がいるのも迷惑らしい。そういう事だから、俺も出ていかないといけないし……お前も当然、ここに居座り続けられるのは迷惑なんだと」

「そう、なのね。……だったら、いっそ……」


 死んでしまった方がいい。

 そんなことを呟こうとして、リッテルはキュッと唇を結ぶ。死にたいなんて思うのなら、なぜ回復魔法を使ったりしたのだろう。死にたくないから、自分は魔法を使ったのではないか。


「いっそ?」

「……いいえ、なんでもない。思えば、この世界は魔力も豊富だもの。どうせなら……神界のことは忘れて、ここで生きていくのもいいのかも」

「……お前さんは本当にバカなんだな。やたら目立つ天使が、1人で生きていけるとでも思っているのかよ? あっという間にいいようにされて、殺されるか、喰われるかのどっちかだぞ」

「……そう。それはちょっと……嫌だな……」


 かと言って、単独で生き延びる知恵はリッテルにはない。それでも、神界には帰れないとリッテルは諦めていて。だったら、こちらの世界に骨を埋めるのも自然な成り行きだと……そこはかとなく、ぼんやりと覚悟していた。

 一方、どことなく悲しげではありつつも、僅かな意思を感じられる彼女をしばらく見つめた後……マモンは程なくして、さもバツが悪いと、大きくため息をつく。


「ったく、仕方ねぇなぁ……。だったら、俺と来る? 俺の家、しばらく放置していたから……きっと荒れ放題になっていると思うんだよな。掃除とかもしないといけないだろうし、召使いとして使ってやるから。一緒に来いよ」

「その後は……また私を殴ったりするの? 召使いって、そういう事も含まれているのかしら……」

「それは俺の気分次第。ま、ちゃんと働けば……よっぽどの事がない限り、そんな事はしないよ」


 よっぽどの事、ってどんな事だろう。

 今のマモンは多少は落ち着いているみたいだが、彼の不機嫌は容赦がない部分がある。一緒にいたのがたった数日だというのに、そんなことまでリッテルに理解させる程に……彼の理不尽は度を超えたものだった。だとしても、それ以外の選択肢をリッテルは持ち合わせていない。ここにいるのが迷惑だと言われている以上、ダンタリオンとやらにも暴力を振るわれる可能性は十分にある。

 悪魔は欲望に忠実な生き物らしい。自分が欲望の障害になると判断された場合、どんなことをされるか分からない。


「どうすんだよ? サッサと返事しろよ。……来るの? 来ないの?」


 ブーツのつま先をカツカツと鳴らしながら、マモンが苛立ったようにリッテルを急かす。そこまで言われて、リッテルはようやく顔を上げたが……勢い、目に入った彼の表情は怒っているというよりは、寂しそうな表情だった。あからさまに悲しげな視線に、胸の奥がズキリと痛む。もしかして……彼にとって、自分は「失くしたくないもの」になるのだろうか。だとすれば、少しは自分も必要とされているのだろうか。


「……私も一緒に行きます。それで……掃除をすれば、置いてくれるというのなら……」


 そんな事を考えていた矢先に、自然と返事が漏れる。怯えて震える体を必死に両手で支えながら、辛うじて出された返事にマモンはそう、と素気無く答えたが。……彼もリッテルをこのまま置いていく気はないらしい。


「トットと行くぞ。……自力で飛ぶくらいはできるんだろ?」

「え、えぇ……多分……」


 久しぶりに立ったから、少し立ちくらみがするけれど。それでも……心なしか、自分の足で立ち上がれることに小さな喜びを感じずにはいられなかった。お仕着せにも程がある、ブカブカのネグリジェ姿でリッテルは翼を広げてみる……まだ白いままの翼で飛ぶことも、許されている。


「……大丈夫みたいです」

「付いて来いよ。因みに……俺の家までは結構な距離があるから、そのつもりでな」

「……はい」


 了承を受け取ってチラリとリッテルに視線をやると、後は振り向きもせず部屋を後にするマモン。彼の背中を、置いて行かれないように必死に追いかける。これからもマモンの顔色を窺いながらの生活になるだろうが、それでも何故か彼に必要とされている気がして。リッテルはほんの少しだけ……前向きにこの世界で生きていけそうな気がしていた。

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