6−31 あなた様と文通がしたいそうです
「とにかく、丸く収まって良かったよ。何かあれば俺の方から報告するから、よろしく頼む」
私の背中を優しく支えてくれながら、サタンとヤーティに向き直るハーヴェン。彼の言葉通りに、事態が丸く収まったのに、私が安心していたのも、束の間。見れば、彼らの方は私達の様子に目を丸くしている。
「いやはや、天使様の清らかさにも驚かされてしまいましたが、こう仲睦まじい様子を見せつけられると……妬けてしまうというものです。カイムグラントのことは、天使様にお任せ致しましょう。もし彼の怒りが手に余るようでしたら、いつでもご相談にいらしてください。可能な限り、私達もお力添え致します。ほら、サタン様からもお願いしてください。配下を預けるのですよ? ……サタン様、聞いてますか? ……もしもし?」
「……いいなぁ……」
「……はい?」
訝しげにヤーティが視線を向けると、サタンは羨ましそうに私達を見つめている。その手にはどこから取り出したのかは分からないが、彼の大きさで小さく見える、黒革の手帳が握りしめられていた。
「サタン、そいつは転送交換日記じゃないか。どうしたんだよ、それ……」
「うぬ、ベルゼブブから借りたのだ」
「なんでまた?」
「いや、その……」
転送交換日記? ベルゼブブから借りた……となると、魔法道具の一種だろうか?
「ハーヴェン、あの手帳はどんなものなんだ?」
「え? あ、あぁ……あれは、中表紙に名前を書いた者同士で、いつでもどこでも日記をやり取りできる魔法道具なんだ。転送魔法を回路に組み込んであって、所定のやり方で日記を綴れば、放り投げるだけでもう一方の相手にメッセージを届けられる優れものなんだが……。サタンはそんな物を借りて、どうするつもりなんだよ? まさか、プランシーと文通をするつもりなのか?」
「ち、違う! そうじゃない‼︎」
「じゃぁ、何だって言うんだよ……」
「俺は、部下の扱い方について……オーディエルとやり取りできればと、思ってだな……」
「私と、ですか?」
あぁ、なるほど。ベルゼブブがさっき言っていたのは、こういう事か……。急に自分の名前が出たものだから、驚きを隠せないオーディエル様を他所に、ハーヴェンも事情を汲み取ったらしい。
「はは〜ん……」
と面白そうにそんな声を漏らしながら、口元を緩ませている。一方で、流石に主人の機微に気づいたらしいヤーティが、さも呆れた様子でため息をつく。
「そういう事でしたら、さっさとレディ・オーディエル様にお名前を一筆頂きなさいな。……申し訳ありません、オーディエル様。主人は、あなた様と文通がしたいそうです。予々神界に興味があったようでして……特に大天使のあなた様であれば、上に立つ者の苦労も分かち合えるというものでしょう。……ご面倒でなければ、主人のお相手をしては頂けないでしょうか?」
「うぬ!」
上手い理由付けに、周到な気配り。そして部下の最大限の気遣いを、最低限の短い掛け声で済ませる主人。……さっきの事もあるし、これも後でお説教されたりしないか、心配なのだが。
「私で良いのでしょうか? 私は見ての通り無骨者故、ご満足いただける文を綴れるか……」
「構わぬ! と、とにかく! ここに、サインを頼む!」
「え、えぇ……」
言われるままにサインを走らせるオーディエル様に、どことなくワクワクした様子で見つめるサタン。そうしてサインが記された日記が返されると、嬉しそうに両手で受け取った。
「……そうだ。一度、テスト送信してみたら? オーディエルさんも使い方が分からないと困るだろうし……」
「そ、そうだな! エルダーウコバク、まず、どうすればいいのだ?」
「……そこからなのな……。まぁ、いいか。まず。中のページに送りたいメッセージを書いて、末尾に中表紙に記した形式と同じサインを加える」
「……ふむふむ、こうか?」
そんなことを言いながら、書いた内容をヤーティに見せるサタン。しかし、内容が少々微妙だったのだろう。ヤーティが居た堪れない表情で及第点を出す。
「……いきなり、これはないと思いますが……。まぁ、テスト送信ですし……。とりあえず、いいでしょうか」
「内容が気になるが……ま、そこまで書いたら日記を閉じて、鍵を掛ける」
不穏な空気を嗅ぎ取りつつも、ハーヴェンが説明を続ける。そうして、言われた通りに日記を閉じるサタン。
「できたぞ」
「おぅ。そしたら、日記を宙に放り投げる」
「投げればいいんだな⁉︎」
ハーヴェンの解説によし来たとばかりに、サタンが力一杯上に日記を放り投げるが……。ここは、力一杯投げつける場面じゃないと思う。
「あぁ、もっと加減して投げないとダメです! なに、力んでいるんですか!」
「い、いや……その、つい……」
勢い天井にぶつかって鈍い音をさせながらも、日記はきちんと役目を全うさせるつもりらしい。落下してくる途中で魔法回路を稼働させたらしく、軽やかな音と共に宙で搔き消える。
「おぉ〜!」
歓声の中、手負いの日記がオーディエル様の手元にきちんと現れた。
「なんと、素晴らしい! ハーヴェン様、ちゃんとこちらに届きました!」
「うん。多分、片方が悪魔であればベルちゃん印の魔法道具でも、言う事は聞いてくれると思うけど。でも、実際に使えないと困るし、オーディエルさんも一度、同じようにやってみてくれる? ……って、聞いてる? どうした?」
「あ、い、いえ……」
オーディエル様が何やら中のメッセージを確認して、妙に赤くなっている。そうして一頻りモジモジした後、思い切ったように文字を走らせて……ハーヴェンの説明通りに日記を宙に放る。今度は負傷することなくサタンの手元に届く日記と、そして待ちきれないとでも言うように日記を開いて眺めるサタン。
「⁉︎」
「……」
サタンがメッセージを確認した途端に……互いに妙な沈黙を醸し出しているが。……こんな近距離で一体、何をやり取りしているのだろう。
「……いいのか?」
「え、えぇ……」
「そ、そうか。だったら……」
明らかにおかしな空気で盛り上がる2人。妙に開けっぴろげな分、日記の中身が気になって仕方がない。
「こんなところで、何を盛大に内緒話しているのです! 日記の使い方もご理解いただけたのでしょうし、この先は場を改めてからにしなさい!」
そうして……妙な空気を吹き飛ばすように、ヤーティの強烈な叱咤が彼らの間を吹き抜けた。
「あ、そうだな……。そう言うことで、オーディエル。すぐに手紙を書くから、えぇと……」
「分かっております。必ずお返事を書きますので……いつでもお待ち申し上げております」
「うむ! 必ずだぞ!」
「はい!」
静かに……しかし、確実に2人の間で何かが芽生えたらしい。彼らの嬉しそうな表情を遠巻きに見ながら、ようやく震えが治ったので、ハーヴェンの腕の中から降りる。
「……大丈夫か?」
「うん……大丈夫。ありがとう」
「あぁ。それじゃぁ、そろそろ帰るか」
「……はい」
私の無事を確認して、ハーヴェンが安心したように呟く。
「……というわけで、俺達はそろそろ人間界に帰るよ。今日は世話になったな。特に、ヤーティ」
「はい、なんでしょうか? エルダーウコバク様」
「あぁ。俺のことは、ハーヴェンでいいよ。先日のことといい、今日といい。突然押しかけた上に、迷惑掛け通しですまなかった。向こうで落ち着いたら……プランシーのことは報告に来るから、よろしく頼むよ」
「もちろんでございます、エルダー……ではなく、ハーヴェン様ですね。またお会いできる日を、楽しみにしておりますよ。……あぁ、そうそう。忘れるところでした。カイムグラントを受け入れてくださった素敵な奥様に、これを」
そう言いながら、ヤーティは自分の尾羽をゴソゴソと探り、特段に大きなものを勢いよく1本引き抜く。
「さ、私の尾羽でございます。折角ですので、魔力を十分に残した状態でお渡ししましょう。なお、アドラメレクは全員地属性でございます。防御を是としている属性に該当しますので、この羽も魔除けの効果を発揮するはずです。お帰りになってからも、お手元で楽しんでください」
「あ、ありがとうございます……!」
手渡された尾羽は軽やかでありながら、魔力の重みのせいか、確かな重厚感がある。そして、仄暗い部屋の中でもハッキリと淡い緑色に輝いているのが……殊更、夢のように感じられる。
「色々と気を遣わせて、悪いな……。本当、申し訳ない」
「いいえ、お約束していた事ですから、お気になさらず。それに……ふむ。対価以上の素敵な笑顔に私は満足ですよ。是非、気兼ねなく奥方もご一緒に遊びにいらしてください。いつでも歓迎いたします」
「今日はありがとうございました。……何があろうとも、コンラッドにこれ以上、悲しい思いをさせないよう私も努めてまいります。今後ともよろしくお願いいたします、サタン様にヤーティ様」
「えぇ。こちらこそ、頼みましたよ。……カイムグラントもお2人にご迷惑をかけぬ様、しっかりと勤めを果たしなさい。いいですね?」
「はい、ヤーティ様。……あちらで自分がするべき事、自分が知るべき事。それを確かめてまいります」
「うむ、よろしい。……ところで……」
4人で挨拶を交わしている横で、小さな別世界を作り上げ、2人でモジモジしたままのサタンにオーディエル様。どうやら、私達の会話もあまり耳に届いていないらしい。
「オーディエル様、帰りますよ! 置いていかれたくなかったら、さっさとご準備してください‼︎」
「サタン様、皆さんにご挨拶を! 城主ともあろう者がお客様のお見送りをしなくて、どうするのです‼︎ お説教を増やされたいのですか⁉︎」
それぞれの従者に叱責されて、我に返ったらしい2名様。何だろう……妙に似た者同士な気がするのは、気のせいだろうか。そんなことをしている間にも、ハーヴェンが人間界行きのポータルを展開している。相変わらずの手際の良さに感心してしまうが、そうしてポッカリ作られた穴の向こうには……見慣れた我が家のエントランスの景色が浮かんでいた。
「す、すまない。つい……」
「サタン様とのやり取りは日記でなさるのでしょう? 場合によっては、ハーヴェンにまた連れてきて貰えばいいのでは?」
「あ、あぁ、そうだな……。それではサタン様、また……お会いできる日を楽しみにしております」
「うむ!」
最後まで思い切りの悪いオーディエル様の背を押して、半ば強引にポータルを潜らせると、自分も向こう側に踏み出す。
「さ、プランシー。この先は俺達の屋敷……人間界に繋がっている。人間界は魔力が薄いから、最初は苦労するかもしれないけど……ま、その辺は慣れだな。お前なら、大丈夫だろう」
「はい……早く向こう側に馴染める様、努力いたします」
「……そうだな」
ポータルの向こうで手を振るサタンとヤーティの姿が見えなくなると、魔力は明らかに薄いものの、妙に落ち着く空気に肌が馴染む。こうして無事に人間界に戻ってこれたが……。
「……ハーヴェン様、今日は色々とありがとうございました。今後も色々とお力を借りると思いますが、変わらぬお力添えをいただけると幸いです」
「うん、オーディエルさんもお疲れ。……なんだかんだで、大変だったな」
「いいえ! 今日はとても刺激的で……素敵な1日でしたっ‼︎ ありがとうございますッ‼︎」
「あ、え……そ、そう? まぁ、それならいいけど……」
また妙なテンションで、鼻息荒くハーヴェンに答えるオーディエル様。ハーヴェンの腰が完全に引けているのを見る限り、さっさと神界にお帰りいただいた方が良さそうだ。
「……オーディエル様。向こうでミシェル様やラミュエル様……ルシフェル様もお待ちかねだと思いますよ。早めにお帰りいただいた方がよろしいのでは?」
「フガッ! そうであった! 急いで戻らねば‼︎」
そう言いながら、彼女が私のサンクチュアリピースが開く世界に足を踏み出す。
「……ごめん、ハーヴェン。私も一度、向こうに戻る。夕飯時にはちゃんと帰るから、それまでコンラッドをお願い」
「うん。こっちは任せてくれて構わないよ。な、プランシー?」
「はい。私もこちらの様子を確認する時間が必要ですし……行ってらっしゃいませ、マスター」
「ありがとう。それじゃぁ、ちょっと行ってくるね」
ハーヴェンとコンラッドにそう言い残し、神界に足を踏み出す。
今日、魔界で得たものはあまりに大きい。ルシファーの帰還にコンラッドの契約、そして、魔界で私達を迎え入れてくれた悪魔達との交流。どれもこれから先、私達にとって大きな力となるだろう。そうして、私達を支えてくれる全ての者達の厚意を……一滴たりとも無駄にしないためにも。ここから先は、しっかりと前を見据えて進まなければいけない。
今度は間違いなく、私達の番なのだから。




