6−29 狂気に満ちた苦悩
「全く! お客様をお待たせしてまで拘ることですか、それは⁉︎」
「だって、仕方なかろう? 俺だって……」
「言い訳は結構! お説教は後ほどタップリいたします故、重々ご覚悟ください!」
「ウググ……」
お茶を頂きながら、待つ事……20分程。廊下の先から騒々しい声が聞こえてくると同時に、配下の悪魔に一方的にやり込められているらしい城主が顔を出す。見れば、妙に体格を強調したタキシードの上着だけを着込んでおり、変な着こなしに違和感を覚える。
「……アズナ、どうして止めなかったのです……」
「申し訳ございません、ヤーティ様……。サタン様がどうしても正装をしたいと、聞かなくて……ですが、シャツは窮屈だとお召しにならないものですから……」
「お前達、うるさいぞ! 何がいけないのだ⁉︎」
彼の装いは、一緒に付いてきたアズナさんを散々困らせた結果らしい。確かに、かなり似合っていない上に……全体的におかしい。
「なんですか、そのチョイスは! 上着だけタキシードでは、台無しではありませんか! しかも、シャツの着方がなっていないにも程がありますよ⁉︎ 正装ならば、中はきちんとセレモニーシャツをお召しなさい! それでもって、首元は全てボタンを留めてタイをなさい! 何度言えば分かるのです。装いには、マナーがあります! 肌着同然の薄着に礼服を羽織るなど、以ての外です!」
「し、しかしだな。俺としても……流石に、上半身裸という訳にはいかないと思ってだな……」
「……普段は上半身どころか、全裸で目のやり場に困る装いをされている方が、何を仰っているのです」
「メイド長までうるさいぞ! 客人の前で余計なことを言うな!」
2対1で完全に劣勢のサタン。見ている分には面白いが、きっと当人達は本気で苦労しているのだろう。しかも、普段は全裸って……。
「な、なぁ、ヤーティ、その辺にしてやってくれよ。俺達は別に、それでも構わないから」
「しかしですね、エルダーウコバク様。私どもとしましては、主人にお客様をもてなせと言われた手前、主人の服装も含めて失礼がない事を是としております。それをお命じになった主人自らに、こうも台無しにされると……理不尽な気持ちになるのですよ」
「あぁ、確かに……それはそうだよなぁ……」
ハーヴェンが出した助け舟が、あっさり沈没する。追加の救助船を出さないのを見る限り……ヤーティを論破するのは、並大抵のことではないようだ。
「とは言え、仕方ありませんね。例外的に、その格好でお客様に面通りいただく事を許可いたします。ただし……次はないのと、お説教は後ほどみっちり行いますので、お忘れなきよう!」
「……お説教、やっぱりあるのか?」
「当然ですッ‼︎」
サタンもヤーティのお説教の威力を十分に知っているのだろう。明らかに彼の勢いが萎んでいるのを見るに、相当に落ち込んでいるらしい。しかし、筋骨隆々の大悪魔さえもがお説教が怖いなんて、思いもしなかった。
「とまぁ、それはさておき……アズナも色々とご苦労様でした。今日はこれで下がって良いのと、ついでにガーゴイルにカイムグラントを連れて来るように、言伝願えますか?」
「かしこまりました。では、私はこれにて下がらせていただきます。カイムグラントに関しては、応接間に来るようお伝えいたしますので……しばらくご猶予をください」
「えぇ、結構。では、明日もお願いしますよ」
「心得ました。お客様も色々と失礼をいたしまして、申し訳ございません。主人はかなり不躾な部分があるかと思いますが、基本的にヤーティ様のお話を聞いていただければ大丈夫かと思いますので。是非、ごゆっくりしていってください」
「あ、うん……ありがとう」
ズケズケと主人の落ち度を指摘しながら、深く一礼するアズナさん。それに対して、若干及び腰ではあるものの……ハーヴェンの返事に、満足した様子で退出していく。一方で配下に言い負け、膝を抱えて拗ねているサタンだが。妙に子供っぽい様子に思わず、吹き出してしまいそうだ。
「……フフフ。サタン様は結局のところ、皆に愛されているように見える。魔界にいるということもあって、緊張していましたが……。部下の方がしっかり者なのは、悪魔も変わらないようですね。何となく、安心しました」
その様子が面白いのは、オーディエル様も一緒だったらしい。口元を抑えて、とても嬉しそうにクスクス笑っている。先程までの緊張感も、いい具合にほぐれたようだ。
「そ、そうか? ……オーディエルの所もそんな感じなのか?」
「えぇ。私は頭が硬いものでして。部下がフォローしてくれないと、物事を柔軟に捉えることができない部分があるのです。常々、助けられっぱなしで情けない限りですが。職務を全うできるのは、彼女達のおかげだと思っておりますよ」
「……‼︎」
オーディエル様の答えに、とびきり嬉しそうな顔をするサタン。……先程までいじけていたのが、嘘みたいだ。
「お客様にまでそこまで取りなされて、恥ずかしくないのですか? 私は少なくとも、非常に情けない気分ですよ?」
「うぬ……しかしだな、俺はこうして話ができれば……」
ヤーティにやり込められてもなお、グズグズと口答えをする城主は助けを求めるように……オーディエル様を尚も窺っているらしい。チラチラと彼女を見つめる様子が、更に子供っぽい。
「別に私も構いませんよ? この場はきちんとお話をすることが、肝要かと思います。それに……普段は服を着るのが苦手らしいサタン様が、こうして私達のために心を砕いてくださったのです。例え、それが不恰好なものだったとしても、その真心に遜色はありますまい」
オーディエル様の口からそんな言葉が出たものだから、更に高揚したように嬉しそうな表情をするサタン。……ここまで分かりやすいと、却ってヤキモキする。
「失礼いたします、カイムグラントをお連れしました……って、サタン様! 何スか、その格好は⁉︎ 何かの罰ゲームですか⁉︎」
「う、うるさいぞ! とにかくご苦労! カイムグラントを置いて、下がれ‼︎」
「ヘアッ⁉︎ しょ、承知っス……」
「あぁ、ご苦労です、ミルバネス。因みに……このお姿は、サタン様自らのチョイスです。決して罰ゲームでも、お仕置きでもありませんよ? ……本当に、とっても愉快でしょう……?」
愉快には程遠い、明らかに怒りのこもった一言に慄く、ミルバネスと呼ばれたガーゴイル。とにかく巻き込まれたらマズイと判断したのだろう。背後に控えている悪魔に中に入るように促して、彼自身はそそくさと一礼して去っていく。彼もサタンが……というよりも、ヤーティが怖いらしい。
「さて、カイムグラント。あなたが呼ばれた理由は存じていますね?」
「はい、ヤーティ様。人間界に出るには……天使との契約が必要、というお話でしたが」
「その通りです。人間界では天使達が常に、魔力データを元に監視を行なっています。契約のない悪魔は“札なし”と見なされ、即刻、退治される結果になるでしょう。お前はそのまま出て行っても、天使を返り討ちにできるほど強くはありません。折角、前例を作ってくださったエルダーウコバク様が天使様をご紹介くださるのです。ここで対話をし、彼女達に人間界での活動を許してもらえるよう、お願いしなさい」
「天使と話を……いいえ、その前に。……ハーヴェン様。何時ぞやの時は、失礼いたしました」
ヤーティに水を向けられ、室内にハーヴェンがいる事に気づいたらしい。私達の方を見やることもなく、カイムグラントが嗄れた声で彼に話しかける。しかし、妙に避けられている気がするが……?
「いや、あの時は仕方なかった部分もあるし、気にするなよ。それで、その後どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「えぇ……。ですが、記憶が完全に戻らないため……追憶の試練は達成できておりません。……最期の時間を思い出すにはまだ、色々と足りないようです」
「そか。まぁ、それにはある程度、きっかけも必要だし……焦らなくてもいいと思うよ」
「はい……」
そこまで会話をしたところで、ようやくカイムグラントがこちらに向き直る。かなり抑圧された、それでいて歪んだ表情には、明らかな怒りが見て取れる。部屋に入ってきたときよりも……格段に彼の呼吸が早く、荒い。
「……天使……。ウググ……天使……」
そうして……掠れた声で小さくブツブツと何かを呟いたかと思うと、突然、彼が雄叫びを上げ始めた。その声は甲高い鳥の声とも、獰猛な獣の声とも取れる、狂気に満ちた苦悩の声に聞こえる。
「ッグギャァァァァ‼︎ 憎い! 憎い憎い憎い! 天使が憎い! 罪もない子供達を私から奪った、翼の生えた外道共がぁ‼︎」
「落ち着け、プランシー! 彼女達は、お前が復讐するべき相手じゃない!」
明らかに異常な彼の様子に、私達を庇うように慌てて、前に立ち塞がるハーヴェン。しかし、急に激昂し出したカイムグラントは、彼の言葉にさえ聞く耳を持たないらしい。
「ドケ、エルダ……ウコバク‼︎ マズはソコにイルテンシどものチで、コドモたちのクツジョクヲソソグノダ……‼︎」
「待てってば! そんな状態じゃ、人間界に出られないだろ! とにかく、落ち着け! 目的を見失うな!」
「カイムグラント! 私の話を聞いていましたか⁉︎ ここで怒りに飲まれてはいけません。静まりなさい!」
「ウルサイ‼︎ ウルサイ、ウルサイ、ウルサイッ‼︎ トニカク、ソコにイルテンシどもを……」
ハーヴェンとヤーティに諌められても尚、彼の怒りは鎮まる気配はない。
……やはり、彼は私達を憎んでいる。その憎悪は深く、激しく……そして、とにかく悲しい。
そこまで考えたところで、そもそも無傷で彼の協力を仰ぐなど、甘い考えだったと思い知る。やはりここはきちんと話をして、しっかりと怒りを受け止める覚悟を……この場で示す他、なさそうだ。




