6−16 信念という名の誤解
挨拶が一通り済み、ルシファーの所に行くという3人を見送った後。そこには仲良し3人組の大悪魔がまだ残って、話に花を咲かせていた。
「……天使というものは、意外といいものだな」
「あ、サタン。もしかして、ほの字? ほの字?」
「う、うるさい! とにかく、俺は帰って準備をせねば!」
「でも……あの様子だと、ルシエルちゃんを落とすのは、無理じゃないの?」
「アスモデウス、分かってないなぁ〜。サタンがほの字なのは、もう1人の大天使ちゃんの方だよ」
「あら、そうなの?」
「うぐっ……お前ら少し黙れ」
どうやら、ベルゼブブの指摘は見事に図星らしい。もともと真っ赤なはずのサタンの顔が、更に赤くなった。
「……ま、せいぜい頑張りなさいな。ただ、紳士的とか何とか言ってたから、いきなり押し倒すのはダメかもねぇ」
「そんなことは分かっている! ここは慎重に、だな……」
アスモデウスにそんな風に言われ、ムキになるサタン。いつになく頭をフル回転させて、どうすれば良いかを考えているらしいが……普段、力尽くで何もかもを解決してきた彼の頭が、妙案を搾り出せるはずもなく。そうして彼が真剣に悩んでいるのを面白そうに見つめた後、ベルゼブブが仕方ないというようにため息をつく。
「だったら、サタンにもこれを貸してあげるよ」
「……何だ、それ?」
「転送交換日記だよ。中表紙に名前を書いた者同士で、日記をやり取りできるんだけど……帰りに彼女が来た時に、さりげなく文通を提案してみたら?」
「ぶ、文通⁉︎ しかし、俺はそういったものは、どうも苦手でな……」
「でも、彼女達が次魔界にやって来る保証はないよ。それにオーディエルちゃんは多分、かなりのロマンチストなんじゃないかな。きっとこういう手法には弱いと思う。お前の所にはヤーティちゃんもいるし、相談しながらやり取りしてもいいんじゃない?」
「おぉ! なるほど!」
ベルゼブブから黒革の日記を嬉しそうに受け取って、はしゃいでいるサタンの様子は、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のようだ。
「……とは言え、私も驚いたわ。天使がすんなり羽をくれるなんて。こんなことだったら、初めから素直に頼めばよかったかしら?」
「さっきも言ったけど、ルシエルちゃんはできるお嫁さんなんだよ。ハーヴェンを立てるために気も利くし、甘えもするし。……まぁ、初めて会った時はお嫁さんって呼ばれるのを、否定してたりしたんだけど。多分、あの子も本当の意味でハーヴェンを受け入れたんだろうねぇ」
「お前が言ってた事、よく分かった気がするわ。あの子が相手ではアーニャはおろか、他の子も敵わないわね……」
「あ、ようやく分かった? 分かっちゃった?」
「えぇ。……1人の男に付き従って立てるなんて考え、私達にはないもの。そもそも、悪魔は我慢が嫌いだし。……エルダーウコバクにとって、それが何よりも心地よいものだったのね。……本当、悔しいけど完敗だわ」
思いの外すんなりと羽を差し出したことで、アスモデウスはルシエルを気に入ったらしい。手元の羽をウットリと撫でながら、嬉しそうにしている。
「うむ……やはり、天使はいい。……天使はいいな」
一方で……黒革の日記を両手で大事そうに握りしめて、サタンがぼんやりと呟く。その言葉からするに、アスモデウスが言っていることの意味は分かっていないだろうが、彼なりに天使と仲良くなる方法を模索できれば、それでいいのだろう。
(それにしても……マモンの言ってたことが、いつも通りに嘘だといいんだけど……。今回はどうも、嘘じゃない気がしてならないんだよねぇ……)
天使は悪魔にとって天敵であり、憎むべき相手であったことは間違いない。うっかり人間界に出れば、よほどの上級悪魔ではない限り、あっという間に退治されてしまうだろう。
それでも、ベルゼブブは「現代の天使」と仲良くするのは別に悪くないと思っている。悪魔は人間界でそれなりにやらかす事も多いが、実際は無害な者も一定数いるのは事実である。寧ろ、うまく転がしてやれば有用なこともあるくらいだ。それに……元々人間だった者も多い以上、できる限り人間界で暮らしたいという配下の希望を叶えてもやりたい。だとすれば、天使達と仲良くなって話を着け……人間界での活動を許容してもらえれば、魔界に馴染めない者も悠々自適に暮らしていけるかもしれない。
しかし、もしマモンの話が本当だった場合。……そのチャンスが潰れてしまう可能性がある。
悪魔は長らく、悪者にされ続けてきた。しかし、それは天使が絶対に正しいと思い込んでいる、彼女達の信念という名の誤解による、一方的な差別の結果だ。差別を生んでいる誤解を解く為にも、彼女達と仲良くするのは一定の効果があると思っていいだろう。
(……マモンに関しては、確認しておくか。ちょっと面倒だけど、アイツ1人のために……交流を台無しにするのも、勿体ないしなぁ。ハーヴェンがルシエルちゃんと仲良くできないと、僕もおやつが食べられなくなっちゃうし)
結局は自分の食欲のため、という理由に行き着くベルゼブブだったが。それを差し引いても……今日の彼は珍しく、使命感に燃えている。
(お嫁ちゃんに今後ともよろしくお願いします、なんて言われたんだもの。悪魔のおじちゃんも……ちょっと頑張っちゃおうかな)
そこまで考えると、ベルゼブブは自分をそう呼んであっという間に懐いたエルノアを思い出していた。
もう1つ残っているケーキには、彼女と思われる人形が立っていて……ちょっと誇らしげに胸を張って白い大地に足を突っ込んでいる。その様子を思い浮かべて、こそばゆい気分になりながら、アスモデウスから女性の口説き方のレクチャーを受けているらしいサタンの様子をどこか他人事のように、ぼんやり見つめる。微睡みにも近い空気の中で、またあの子に会いにお邪魔しよう……なんて、考えているベルゼブブであった。




