6−14 僕、惚れちゃいそうだよ
「……さて、と。子分達が元気な事を確認できたところで、ベルゼブブのところに行くぞ。ルシエルは体験済みだから知っているだろうけど、ベルゼブブの部屋に入るには色々と覚悟が必要だ。……すまないが、ある程度の心算はしておいてくれ」
「あ、あぁ……やっぱり、相変わらずなのか?」
「……多分な」
「何が相変わらずなのだ?」
「……すみません、私の口からはちょっと。別に攻撃されるとかではありませんが、気分的にかなりのダメージを受ける事だけは覚悟していてください」
「うむ?」
オーディエル様には申し訳ないが……私にはあれを詳細に説明できる勇気はない。
「……ベルゼブブ、いるか〜?」
そうして親玉の悪趣味を、誰よりもよく知っているハーヴェンが大げさに一呼吸置いた後……妙に覚悟した様子で部屋のドアを開ける。
「あ、ハーヴェン、おっかえり〜。僕、待ってたよ〜? 例のあれ、持ってきてくれた〜?」
「おう。もちろん、持ってきたぞ。……先日は世話になったな。で、これが約束の品物だ」
そう言いながら、先ほどまで手に抱えていた箱を差し出すハーヴェン。しかし、彼らの邂逅の様子など頭に入ってこない程に……目の前に広がる絵面は最悪以外の何物でもなかった。
(ル、ルシエル……。もしかして、さっき言っていたのは……こういうことか?)
(えぇ、こういう事です……。ベルゼブブは趣味がかなり特殊と申しますか……)
相変わらず、実在しているのが不思議なくらいに悪趣味な部屋には……見れば、他の悪魔もいるらしい。例の茶色いソファの座り心地を気にする事なく、それに身を沈めた他の3人の悪魔がこちらを見つめている。
「ね、ハーヴェン、開けていい? 僕、開けちゃっていい?」
「どうぞ? まぁ、今回も自信作だから、気にいると思うよ」
「何が自信作なのだ、エルダーウコバク」
「うん? あぁ。先日、ベルゼブブに借りができちまってな。それで、チョコレートケーキを礼に持ってくる話をしてたんだ。今回もいい出来だから、ベルゼブブも気にいるだろう……って、いきなりそんな風に齧り付く奴があるかよ……」
話しかけてきた赤い悪魔にハーヴェンが答えている間に……ベルゼブブが早速、ザッハトルテに齧り付いている。旦那の話から、かの大悪魔がチョコレート好きなのは知っていたが。ここまで見境なしだと思わなかった。
「……しかし、なんでお前がいるんだよ。サタンとアスモデウスがいそうなことくらいは、予想できてたけど……」
「え、別にいいじゃん。今日、お前のペットがやってくるって聞いたから、見にきただけなんだけど」
「ルシエルはペットじゃなくて、俺の嫁さんだ。……そんな下らない遊びをしているつもりはないぞ」
「お前、それ本気? 頭、大丈夫か? ……お前だって、今までどれだけ悪魔が天使共に殺されてきたか、知ってるんだろ? だったらそこは普通、仕返しだろうよ……。あぁ、もしかして嫁さんとか言いつつ、実情は性奴隷だったりして」
その言葉を聞くや否や、あの肉斬り包丁をすぐさま手元に呼び出して……目の前の悪魔に斬りかかるハーヴェン。鼻筋を深く刻んでいるところを見る限り、かなり怒っているようだ。
「……あっぶない。……いや、冗談だって、冗談。そんなに怒るなよ?」
「今のお前の場合、それは冗談では済まないだろう? 大体……今日だって、見にきただけで済むのか?」
「今日は見に来ただけだよ? 俺も同じような面白いおもちゃを手に入れたから、お前を敵に回すつもりはないし」
「……」
「いや、本当に本当だって。お前のお嫁さんに、ちょっかいは出さないよ。何時ぞやの時みたいに怒らせて……右角まで落とされたら敵わない。……お前さんは怒らせると、冗談抜きでおっかないんだから」
その悪魔の角が片方しかないのは、ハーヴェンの仕業らしい。先ほどまでのやり取りを見ている限り、ハーヴェンと彼は相当、仲が悪いようだ。
「……⁉︎」
そんな事を考えていると、いつの間にかその悪魔がすぐ後ろに立っている気配を感じる。そうして髪に触れられそうになるのを、既のところで強か手で弾いてみるが。
「おっと! ……へぇ。六翼ともなれば、俺の気配を察知してくるか」
「おい! マモン! いい加減に……」
先程から悪ふざけが過ぎる悪魔は、マモンと言うらしい。鮮やかな黄色のピッタリ目の衣装に身を包んでいる様子を見るに、おそらく身のこなしには自信があるようだ。しかし先ほどのやり取りは私自身、かなり不愉快な部分があったのには、違いない。ここはきちんと、拒絶しておくべきだろう。
「……私に気安く触れるな無礼者。この身を許すのは、主人……ハーヴェンだけだ」
そうして私が睨み付けると、どうやら驚きと同時に好奇心を刺激された様子。彼は思いの外、整った顔を歪めて、卑下た笑顔を浮かべると……少し後ろに飛びのく。
「なるほど……。確かにこいつは上玉だな。美人な上に気高く、従順。胸はぺったんこだけど……。まぁ、それはそれでそそられるものがあるし……いいなぁ。やっぱり、俺もこういうのが欲しかったな……」
「……凍土より封印されし氷海の雨を降らさん、その身を貫け! アイシクルレイン‼︎」
ふざけた調子のマモンの言葉を途切れさせるように、彼の頭上に氷の刃が降り注ぐ。魔法の主を見れば……今度こそ本気で怒っているらしい。先ほど以上に鼻筋を深く刻み、ハーヴェンが獰猛な唸り声まであげていた。
「グルルルルッ……! いい加減にしろよ、マモン……! いくら強欲の真祖だろうが、これ以上、俺の嫁さんに下らない事を言ってみろ……! 角だけじゃなくて、翼も切り落とすぞ……!」
そんなお怒りの言葉を受けつつも、水属性の攻撃魔法を易々と躱しながら、ハーヴェンに向き直るマモン。彼の顔には、相手を嘲るような不気味な笑顔が張り付いたままだ。
「……へぇ? お前にそれができるの? 一応……俺、大悪魔なんだけど」
「それじゃ言っておくが、自分より弱いはずの悪魔に角を落とされたのは……どこの大悪魔様だろうな?」
「……ったく。本当、お前さんは面白味がないよな。いい加減なベルゼブブの配下だっていう割には、頭硬いし……。あぁ、もう分かったよ。俺はお呼びじゃないみたいだし、そろそろ帰るわ。また氷漬けにされても、つまらない」
そう言いながら……頭の後ろに手を回して、終始飄々とした様子のマモン。
「それじゃ、ルシエルちゃん、バイバイ。せいぜい、“ご主人様”と仲良くしなよ?」
最後に「ご主人様」の部分に意味ありげな強調をしながら、そんなセリフを吐くと……翼を広げ帰っていく。そうして彼が部屋を出て行ったのを見計らって、憎々しげにドアを閉めるハーヴェン。
「……不愉快な思いをさせてすまなかったな、お2人さん」
「いや、大丈夫だ。しかし、あれは一体……何なんだ?」
「あいつはマモン。強欲の真祖だが……俺が知る限り、今の魔界で1番危険な奴だ」
「1番危険……?」
「悪魔らしい悪魔と言えば……そうなのかもしれないが。圧倒的な強さも相まって、手がつけられない部分があってな。実際、魔界でも若干、鼻摘まみ者ではあるのだけど。おい、ベルゼブブ! なんで、マモンなんか屋敷に招いたんだよ⁉︎」
突如声を荒げる旦那に、いきなり話を振られて……喉にケーキが詰まったらしい。激しく咳き込む彼の手元を見れば、既にザッハトルテが跡形もなく消えていた。そして、他の2人はエクレアをつまみながら、まるで他人事のように彼らのやり取りを窺っている。
「ゴフッ、ゴフゴッ……あぁ、いや。ごぅめんねぇ……。久しぶりにやってきたのに、手酷く突っぱねるのも可哀想かなぁ、なんて思ってさ。あいつ、最近はあの調子でしょ? だから、たまに仲間に混ぜてやらないと……何しでかすか分からないし……」
「その“たまに”に嫁さんと神界のお偉いさんを巻き込むなよ……」
「うん、でも。ルシエルちゃん、さっすが〜。あのマモンを相手に、強気に突っぱねられる子はなかなかいないよ? その雄姿に僕、惚れちゃいそうだよ」
「……グルルルルッ!」
「あっ、ごっ、ごめん! 今のは、変な意味じゃなくて!」
何気ないはずのベルゼブブの言葉に、またも唸り声をあげるハーヴェン。今の彼は珍しく相当、気が立っているようだ。
「ハーヴェン、私は大丈夫だから。……そんなに怒らないで」
少し異様な光景に不安になったので、腕をさすりながら落ち着くように促す。そうしてしばらく腕を摩ると……彼は大きく息を吐き、困ったように頭を掻く。
「……あぁ。つい、熱くなっちまった」
「そう。……ハーヴェンがそんなに怒っているの、ちょっと不安だな」
「そうか? それは、すまなかったな。……まぁ、とにかくマモンもいなくなったし、これで落ち着いて話ができるだろう。オーディエルさんも待たせて申し訳ない。改めてここにいるメンバーを紹介するから……って、もしもし? もしも〜し?」
さっきから静かだったので、忘れていたのだが……オーディエル様は何やら、頬を紅潮させて目を輝かせている。もしかして、この雰囲気は……。
「す、素晴らしい! これが夫婦の愛というものか⁉︎ 嫁を侮辱されて本気で怒る旦那様と、旦那様の怒りを謙虚に鎮める嫁と! あぁ〜! なんと美しい光景なのだろう⁉︎ これが夫婦愛か? 夫婦愛なのだな⁉︎」
「……それは違うと思います、オーディエル様……」
こちらはこちらで、色々と危険な気がする。
「……まぁ、ご本人様の様子はさておき……あちらの天使様はオーディエル様。ルシエルの直属の上司ではないみたいなんだが、神界の3大天使の1人で……現在、天使最強を誇るそうだ」
「うむ。お初にお目にかかる。オーディエルと申します」
自分の紹介をされて、取り繕うように真面目モードに入るオーディエル様。でも、それ……もう手遅れだと思います。
「この度はルシフェル様にお目通りいただきたく、魔界に参上いたしました。……魔界の住人に必要以上の危害を加えないことを約束します故、ご承知おき下さいますと幸いです」
「あ、そうなんだ〜。うん。僕は問題ないから、オッケーだよ。で、僕はベルゼブブ。聞いていると思うけど、ハーヴェンの親の大悪魔だよ」
「あ、はい! 存じております!」
「そっか、そっか〜。僕、もしかして神界でも有名人? うん、それも悪くないかな。……あ、そうそう。前にルシエルちゃんに相談されていた例の素材のことだけど。ルシファーから伝言を預かっているから、今伝えちゃうね。“今の天使は、その程度のことも気づけんのか。このボケカス共め!”……だって。ちゃんと伝えたからね〜」
ついでにしては、かなり辛辣な内容の伝言を放ってくるベルゼブブ。ということは、例の素材は神界ではごくありふれたものだとういことだろうか。しかし、ボケカス共って。それが、ご本人のお言葉ママであるのなら……ルシファーは気難しい以上に、気性が荒いのかも知れない……。




