5−33 間抜けな理由
今朝も自分達が使っているフロアの掃除を終えると、ハーヴェンさんが食事と一緒に銅貨を1枚くれる。結局、毎朝こうしてお駄賃を貰っているのだけど……エルともお小遣いを貯めておく約束もしたし、僕はちょっと申し訳ない気分になりつつ、ありがたく銅貨を受け取る。
そんなハーヴェンさんは、今日から猫さん達にもお小遣いをくれることにしたらしく、1階のサンルームをちゃんと掃除した彼らには「スターターキット」なんて言いつつ、僕達と同じように皮袋と銀貨を3枚ずつ渡している。
「これ、金か?」
「そ、お金。ちゃんと働いたいい子には、対価を支払わないとな。他のみんなにも最初は同じ金額をあげていたから、遠慮なく持っておけ。街に出かけた時にでも、必要なものを買うといい」
「いいのですか? この金額はかなりの大金だと思うのですが……」
「お? ハンナは人間界の通貨の価値も分かるのか?」
「え、えぇ。ずっと昔に私を飼って下さっていた飼い主が、お金を数えるのが好きだったものですから。……これでまた贅沢できるなんて、よく仰っていました」
「あ、そういうこと……」
ハンナを飼っていた飼い主は、結構なお金持ちだったみたいだ。そう言えば、ハンナ達って、精霊としてはどのくらいの年齢なんだろう?
「ね、君達って、どのくらいの時期から精霊になったの? 魔力崩壊の前? 後?」
「俺は精霊化してから、350年ほど。で、姫様は380年くらいってところかな。……というか、魔力崩壊の後に精霊化する奴なんて、いないと思いますぜ? 何せ、大元の魔力がないんだから」
「あ、そうか……」
ダウジャがさも当たり前、とあっけらかんと答える。少なくとも、猫さん達は僕よりも遥かに精霊として先輩だということは分かったけど……僕自身が最近精霊化したせいもあって、魔力がないと精霊化は起こらないことを、すっかり忘れていた。
「確かに、純粋に精霊化する奴は今はいないだろうなぁ……。俺は魔力崩壊の後に闇堕ちしたけど、闇堕ちと精霊化は別物だし……。何れにしても、俺は悪魔としての年齢は280年そこそこだったりするから、ダウジャ達の方が大先輩だな」
「おぅよ!」
「まぁ、ダウジャったら……」
ハーヴェンさんに胸を張ってちょっと得意そうなダウジャに、彼を可笑しそうに見つめているハンナ。そうか、ハーヴェンさんも魔力崩壊後に今の状態になったんだ。僕とは事情がかけ離れてはいるけれど、親近感があって嬉しい。
「因みに、マスターは約600歳の大先輩だぞ〜。逆らったら怖いから、みんないい子にしていような〜」
「そ、そんなに⁉︎ マスターが600歳⁉︎ えっと、あの見た目で……?」
「嘘だろ⁉︎」
「嘘じゃありません! 俺も何だかんだで頭が上がらないのは、そのせいもあると思うぞ」
どう見ても13〜4程度の年齢にしか見えない……しかも精神的にはかなりハーヴェンさんに依存しているらしいマスターが、そんなにお婆ちゃんだなんて思いもしなかった。
「……なぁ、ちょっと聞いていいか?」
「ん?」
「悪魔の旦那って、どうしてマスターと一緒にいたりするんだ? 大体、天使と悪魔が一緒にいるの、オカシイだろ?」
「ダウジャ、それはちょっと失礼よ」
「でも、姫様もそう思いませんか?」
「そ、それは……」
あまりにストレートなダウジャの質問に、ハンナが窘めはするものの。彼女自身も、そう思うところがあるらしい。どうしたらいいのかが分からず、おずおずとハーヴェンさんの方を見つめている。
「あ。それはやっぱり、気になるよな〜」
「うん、気になる」
ダウジャが前のめりになりながら、首を一生懸命に縦に振っている。確かに、僕も気にはなる。だけど、ハーヴェンさんは滅多なことでは怒ったりはしないけど、実はものすごく強いとコンタローも言っていたし……怒らせたりしたら、大変な気がする。止めなくて大丈夫かな……。
「俺は元々、自分の料理の腕を確かめたくて、人間界に出てきたんだよ」
しかし、僕の懸念を他所にハーヴェンさんがいつもの調子で答える。理由は隠したいものでもないらしい。
「そうだったのか? え、何……その間抜けな理由⁉︎」
「ダウジャ、それこそ失礼でしょう⁉︎」
そうしてアッサリと理由を教えてくれたハーヴェンさんに、更に正直すぎる感想を漏らすダウジャだけど。……僕もその反応はかなり失礼だと思う。……意外とダウジャ、遠慮ないんだな……。
「アハハ、そうだよな。自分でもそう思うよ。だけど、魔界じゃそれすらもできなくてさ。当時の仕事に嫌気が差していた事もあって、思い切って人間界に飛び出してきたんだ。で、降り立った先がタルルトの郊外だったんだけど……そこでルシエルに遭遇してな〜。いきなり俺を討伐しにくるもんだから、必死で抵抗して……」
「それで、それで?」
「うん、何となく勝っちまった」
「はぁ⁉︎」
今度はダウジャの方が間抜けな声をあげて、驚いているけれど。それも無理はない気がする。だって……何となくで勝てるほど、マスターも弱くないと思うし……。ハーヴェンさんって、どれだけ強いんだろう……?
「……けど、さ。何だか、殺すのも忍びなくて。相手が可愛い女の子だったし。それで折角だから、天使と契約でもすれば人間界で過ごす事もできるんじゃないかな、なんて思いついたんだ。俺の方はただ料理がしたかっただけで、悪さをするつもりもなかったからな。まぁ、もちろん初めは上手くいくと思ってなかったよ。それこそ、悪魔が精霊として天使と契約なんて、あり得ない事だったしなぁ。でも、彼女の方もちょっと不服そうだったけど……それを了承してくれてな。多分、ルシエルは俺を野放しにできないと思ったんだろう。で、そんな事もあって無事、契約を済ませて今に至るってところだけど。まぁ、彼女を殺さなかったのも、それからずっと一緒にいるのも。有り体に言えば……俺がルシエルに一目惚れしただけだったんだよな」
「そう、だったのですか……。それはそれで、とても素敵な事ですよね……!」
ハーヴェンさんの話にダウジャ以上に目を輝かせて、感動したように手を合わせているハンナ。……そうか、ハーヴェンさんはマスターに「恋をした」んだ。いつか僕にも、そんな出会いがやってくるんだろうか。




