5−12 バラ色の空間
「アーニャ! アーニャはいるかしら‼︎」
魔界の空はいつも黒い色をしているが。本格的にやってきた夜は、格別に塗りつぶされたような漆黒に染まる。そんな夜空の下、煌びやかに稼働し始めたアスモデウスの屋敷兼・娼館では、既に大勢の悪魔を相手にインキュバスやサキュバスが「魔力のやり取り」を楽しんでいる真っ最中だった。
男達はサキュバスに欲望を吐き出すため、そして女達は好みのインキュバスと甘い時間を過ごすため……この煌びやかな堕落の園に足を踏み入れる。
しかし、今夜は女主人の様子がいつも以上に激しい。色欲の悪魔の頂点であり、娼館の女帝でもあるアスモデウス。妖艶な姿もさることながら、彼女は魔界でもかなりの実力者である。確かに、真祖の悪魔の中で強さは6番目だが、飛び抜けた強者であることに変わりはない。その娼館の女帝が、これまた一段とご立腹な様子だ。
「女王様、いかがしましたでしょうか?」
「ハンス、アーニャを知らないかしら?」
「アーニャ……ですか。そう言えば、見かけませんね?」
「また、アイツは……リリスとしての仕事を放棄しているのかしら⁉︎ 今日という今日はもう許さないわ……! ハンス、オスカー、ジェイド‼︎ アーニャを私のところに連れてきなさい! 今夜はお仕置きショーをするわよ!」
女帝の宣言に一段と熱気に包まれる、バラ色の空間。
「承知いたしました……! 我ら女王様の忠実なる下僕が、すぐにでもアーニャを連れてまいります!」
女帝自らに名前を呼ばれたインキュバス達が、翼を広げて被疑者の捜索に出かけていく。
ハンス以下、アスモデウスが名指しをしたインキュバス3名は彼女お気に入りの親衛部隊だ。顔立ちの麗しさももちろんだが、アスモデウス本人の相手をする役も担っているため……テクニックも超絶と、専らの噂である。
そんな女帝に絶対服従を誓った彼らの仕事ぶりは鮮やかというより他なく、あっという間にアーニャが後ろ手に拘束された状態でアスモデウスの前に転がされる。その上で、3人が慣れた手つきで中央のステージに彼女を据えると、上から伸びる鎖に腕を固定し吊り上げ、1人が吊り上げ具合を入念に確認した後に……残りの2人がアーニャの足に枷を嵌めて、強制的に開かせる。そうして丁度、尻側が自分に向いている状態で、女帝が罪人を尋問し始めた。手には愛用の鞭・ブラッディクィーンが握られ、不機嫌そうにパタパタと音を立てていた。
「さて、アーニャ……この状態に心当たりはあるかしら?」
「ね、姉様、私が何を……?」
「この期に及んで、シラを切るつもりなの? いい加減にしなさいよッ⁉︎」
絶叫にも近い金切り声と同時に、アスモデウスの手に握られた鞭が彼女の尻に一直線の真っ赤な跡を刻む。強く、しなやかに彼女の肌を抉る一撃は、一緒に衣服も的確に切り裂き……あまりに一方的かつ、淫靡な光景に辺り一帯が更に激しい熱を帯びる。
「ね、姉様……お願い、止めて……」
「うるさい! お前は私のNo.5を勝手に持ち出した上に、それを使ってもエルダーウコバクを落とせなかったらしいわね⁉︎ この役立たずの、恥知らずが‼︎」
まるで手足のようにアスモデウスの意のままにしなる鞭が、容赦無く彼女の尻を打ち据え続ける。そうしてしばらくの間「お仕置き」が続行されたところで、女帝はショーを「観客参加型」に切り替えることにしたらしい。手慣れた様子で鞭を手元に収めると、周囲に餌をばら撒くように高らかに合図を叫んだ。
「さぁさ、この恥さらしにたっぷりと屈辱を与えておやり! お前達、やりたい放題してやって構わないわよ‼︎」
奥まったステージの上にハンスが予断なく用意した椅子に腰掛ける女帝と、餌を待ちわびたとでもいうようにアーニャに群がる大勢の悪魔達。あまりに一方的な光景は、不慣れな者なら思わず吐き気を催さずにはいられない程に……凄惨なものだった。
「い、いや……! 止めて……‼︎」
「ふん! リリスのクセに拒むなんて、どういう了見なのかしら⁉︎ いい事、お前はエルダーウコバクに振られたの‼︎ あの悪魔に一目惚れしたとかで、ベルゼブブに便宜を図ってやったけど……チャンスも生かせなかった挙句に、天使ごときに負けるなんて、あり得ないわ! あり得ない‼︎ こんなに不愉快なことがあるかしら! あぁ、本当にムカつくわ‼︎ リリスとしての本分を放棄までして、何を純情ぶっているのよ⁉︎ いい加減、鬱陶しいのよ、そういうの‼︎」
一方的にアーニャを罵りながら、口裂け女になりつつあるアスモデウスをハンスが優しくなだめる。
「女王様、折角の麗しいお姿が台無しですよ? 僕は……余裕の笑顔を見せる、あなた様が恋しい! あの相手を蔑み、見下すような瞳に射抜かれるように見つめられたい! お願いです、あの素敵な笑顔を見せてください!」
「まぁ、そう? ふふ、ハンスは本当によく分かっているじゃない。いい子にはご褒美をあげないとね。ほら、踏んでやるから、四つん這いになりなさいな」
「あ、ありがとうございます……‼︎」
女帝の足を乗せてもらえることが、ご褒美になっている時点で……色々と狂っていることは、間違い無いのだが。オットマンに成り下がったハンスは、女帝の足が動くたびに身悶えして恍惚の表情を浮かべている。その様子をさも羨ましいとでもいうように、他の2人もアスモデウスに寄り添う。
アスモデウスは固有の能力として、異性どころか性欲を持つものを無差別に魅了する術を持っている。真祖の悪魔には皆、それぞれ魔法とは少し趣の異なる固有の能力があったりするのだが、アスモデウスの場合は「テンプテーション」と呼ばれる強力なフェロモンを発する事で、相手を意のままに従えることができるらしい。
ただし、「テンプテーション」は他の真祖には通用しないため、常々彼女は歯がゆい思いをしていたのだが……今回は効果が及ぶ範囲に、更なる例外がいることまで判明した。
(クソっ……! 元異端審問官だか、何だか知らないけど……不愉快にも程があるわ……‼︎)
思わず力が入ったらしい、足元から喘ぎ声が聞こえたが。それすらも耳に届かぬと、アスモデウスは目の前で涙を流している罪人の様子を見つめていた。
(……まぁ、いいわ。私としては、アレは好みですらないし。ただ、香水の材料は集め直さないと……そうね。折角だから、例のお嫁さんから毟ろうかしら?)
それは中々の名案だと……アスモデウスは一転、気分を高揚させる。既に無関心になりつつある罪人の状況を他人事のように感じながら、満足気に周囲を見下す眼差しの女帝の姿が、そこにはあった。




