5−5 案外中身はマトモ
ベルゼブブを人間界に連れてくる、それは問題ない。出迎えてくれた子分達を一通りナデナデしてやって、小魚を与えた後、あいつの部屋に覚悟を決めて入ったまではよかった。でも、今日は俺の覚悟が明らかに足りなかったと痛感させられる光景が、目の前に広がっている。
「……昼間っから何やってるんだよ、このクソ悪魔……!」
「あ! ハーヴェン、おっかえり〜」
「おっかえり〜……じゃねぇよ! こんな大勢を相手にして……。お前には、分別ってものはないのか?」
「え? 何のこと〜?」
相変わらず、ベルゼブブは軽々しい返事をしてくるが。目の前で繰り広げられている光景は、軽口で済まされるものでもない。見た限り、相変わらず趣味の悪い部屋にはクソ悪魔以外にサキュバスが4人。これは、どこをどう見ても「お楽しみ中」らしい。
「あ、これ? そうだな……魔力の配給中? よかったら、ハーヴェンも混ざる?」
「生憎と、俺は嫁さん一筋なもんでね。……他の女には興味ない」
「おぉ〜! 相変わらず、一途だね〜。なに、ぺったんこがそんなにいいの?」
魔力の配給中……か。モノは言いようだが、サキュバス相手のそれは魔力を吸い上げられている状態なわけで。そんなプロのサキュバス4人を相手にしても、息ひとつ上げずに俺に軽々と反応できるのだから……それはそれで大したものなんだろう。だが、何となく俺は1対複数の関係はあまり好きじゃないし……何より、浮気は天使様的にはご法度だ。
「……折角、お茶でもどうかなと思って声を掛けにきたんだが。昼間っから忙しいみたいだし……仕方ない、今日は引き上げるか」
「え、お茶? 何、それ⁉︎」
敢えてわざと突き放すように言えば……暴食の悪魔が釣れるのは、予想通り。この場合、頼みごとは隠して釣り上げることを考えた方が効率的だろう。
「いや、おやつにチョコチップクッキーを焼いたんだけど。……ちょいと、焼きすぎちまってな。せっかくチョコレートなわけだし、もしよければお茶と一緒に世間話でも……と思ったんだけどな」
「あ! 今、服着るから! ちょ、ちょっと待って! 一緒に行くよ! チョコチップクッキー、僕も食べたい‼︎」
やっぱり、な。性欲よりも食欲が上回るのは、セオリー通りか。ちょっと騙した感じもあるが、それはそれで悪魔のやり方としては王道なのだから、問題ないだろう。ベルゼブブの能力からすると、既に見透かされている気もしないでもないが。とりあえず、餌には食いついたようだ。
見れば「邪魔、邪魔」と言いながら、さっきまで相手をしてくれていたサキュバス達を蹴散らし、散乱していた服を着込み始めている。恨めしげな彼女達の様子にちょっとバツの悪い気分になりながら、しばらく待っていると。これまた、趣味の悪い毛皮の付いたガウンを着込んだベルゼブブが、得意げに立っていた。
「おっ待たせ〜。さ、行くよ、ハーヴェン〜」
「お、おぅ……そのガウン、新調したのか?」
「あ、気づいた? そうなの。この間、新調しちゃった〜。元々はヤーティちゃんが贈ってくれたものだったんだけど、ちょっと物足りなくて、僕なりにアレンジしてみたんだ〜」
「……ヤーティ?」
「ほら。サタンのところに行った時に、アドラメレクが出迎えてくれたでしょ? あの子がヤーティ。アドラメレクの中でもハウス・スチュワードに当たる子でね。他のフットマンやメイドちゃんを束ねるとともに、サタンのテーラーも兼ねてるんだよ。実質、彼がサタンのところのナンバー2でね〜。あの子自身もかなり強いよ?」
なるほど、あの時のアドラメレクか。でも確か、彼自身はちょっと独特ではあるものの、全体的に落ち着いた感じの装いをしていたと思うんだが……。それにサタンって、基本的に上半身裸だったような? ……あいつにテーラー、必要か?
「サタンって、半裸の姿しか見たことないんだけど……つーか、今のお前のガウンの色合わせはどう見ても、あの時のアドラメレクのセンスじゃないような気が……」
「あぁ、スラックスと揃いのジャケットとドレスシャツ、革靴もちゃんとあるらしいんだけど。……サタンが暑がって脱いじゃうんだって。で、このガウンも本当は黒地に金糸のエポレットが付いていただけだったんだけど、物足りなくてね。このパープルのレオパードファーは僕がオリジナルで付けました〜。で、ちょっと裾にもポンポンを付けてみたんだ〜。どう、どう? 格好良くなったでしょ?」
「そ、そうか……」
世に言う改悪って、このことを言うんだろうな……。そんなことを思いながら、帰りのポータルをサッサと展開する。
「それにしても……ハーヴェンがわざわざ、迎えに来るなんて。なに、また頼みごと?」
「……やっぱり、お見通しか。ま、そんなところさ。子供達を待たせている事もあって、迎えに来たんだよ」
「そっか。まぁ、僕としてはお前達の愛の巣にお邪魔するの、悪くないと思うし。いいよ〜?」
「お願いだから、子供達の前で下品なことは言わないでくれよな……」
「え〜? 情操教育、特に性教育はとっても大事だよ?」
相変わらず俺よりも何枚も上手の大悪魔に敬服しつつ、一抹の不安が頭を過ぎる。きちんと説明すれば、ギノはその辺もよしなに理解しそうだが。エルノアに変なことを教え込まれた日には……ゲルニカにどう申し開きをすればいいんだろう……。
***
「あ、帰ってきたでヤンす」
誰よりも鼻が利くコンタローが、何かを察知したらしい。言われて見れば……さっきと同じ魔法陣が現れたかと思うと、向こう側からハーヴェンさんともう1人、妙にゴテゴテした感じの服装の男の人がやって来る。
「ただいま〜」
「お帰りなさい、ハーヴェンさん。それで……もしかして、その人が……」
「そ、こいつがベルゼブブ。ちょっとオシャレすぎて、センスは色々とズレているんだが。案外中身はマトモだから、安心していいぞ」
「は〜い、こんにちは〜。意外と中身はマトモなベルゼブブで〜す。ベルちゃんって呼んでくれて構わないよ〜」
「あ、は、ハイ……い、いらっしゃいませ……」
何だろう……。悪い人じゃなさそうだけど、中身もあんまりマトモじゃない気がする……。
「ヘェ〜。ここがルシエルちゃんとハーヴェンの屋敷か〜。うん、なかなかいいんじゃない? ちょっと地味な気がするけど……」
「お前が派手好きなだけだ。頼むから、必要以上のセンスをこの屋敷で発揮しないでくれよ。……ま、とにかくみんなを紹介するな? きちんと礼儀正しいこの子がギノ。こう見えて、かなりのレベルの竜族だぞ。……本当はもう1人竜族の女の子がいるんだけど、そっちはちょっとまだ、おネムでな。そんでもって、コンタローの隣にいるのがケット・シーのお2人さん。今日はこの子達のことを相談したくて、呼んだんだよ」
「ふ〜ん?」
見慣れた姿に戻ったハーヴェンさんに紹介されながら、勢いベルゼブブさんと目が合う。ちょっと頼りなさげな目元だけど、真っ赤な瞳は……こちらを見透かすように、ピリピリと刺激的な印象だ。
「うん、うん。僕、安心したよ。ほら、コンタローをいじめる奴がいたりしたらどうしようかな、なんて思ってたんだけど。特にギノ君は優しい、いい子みたいだね〜」
「あ、ありがとうございます」
「あい。お頭も含めて、みんな優しいでヤンすよ? ベルゼブブ様がご心配くださるようなことは、何もないでヤンす」
「そっか、そっか〜」
そう言いながら、ベルゼブブさんはコンタローの頭を撫でている。そうされてコンタローは控えめに、でも確実に嬉しいという感じで尻尾を振っていた。
「そんじゃ、ベルゼブブも来たし、ちょっと早いけどおやつにしような〜。ほれ、みんなテーブルに着いて」
「待ってました〜」
ハーヴェンさんの合図に元気に応じて、スキップでテーブルに向かうベルゼブブさん。それに従うように……コンタローもチョコチョコと彼に付いていく。
「ほら、猫さん達も。さ、一緒にお茶にしよう?」
「あ、あぁ……。にしても、また妙な奴がやってきたな。……大丈夫かな?」
「でも、悪い人ではなさそうですよ? 長靴のこと、ちゃんとお願いしましょう?」
「そ、そうですね……」
ダウジャが鼻をヒクヒクさせながら、心配そうにベルゼブブさんの様子を窺っている。一方で、ハンナはそこまで警戒していないらしい。ダウジャを促すように、優しく答える。確かに、ベルゼブブさんは悪い人ではなさそうだけど……正直なところ、僕もちょっと不安だ。




