3−41 羨ましいなんて、絶対ないんだから!
少し休憩をした森を抜けて、次は平野の道を進む。こんなに長い距離を歩くなんて初めてだけど、時折抜ける風が気持ちよくて。どこまでも歩いて行けそうな気分になるから、不思議だ。
「そう言えば、私は魔禍って会ったことないけど……ギノは会ったことある?」
一通りのおしゃべりの後……エルが突然、人間界の魔物について僕に尋ねてくる。
魔禍。人間界に巣食う魔物で、確か瘴気が悪い意思を吸って……人を襲うようになった化け物だと聞いていた。300年くらい前からいるらしいけど、僕は実際に見たことはない。
「いや、ないけど……」
「そっか……怖いものらしいから、会いたいわけじゃないんだけど。どんな感じなのかな……って思ったりして……」
ただ、僕としてはあまり、そのことは考えたくない。なぜなら、かつて一緒に住んでいた他の子達の多くが……化け物対策と称して、手足を失っているのだから。魔禍のことを考えると、自然と彼らのことも思い出してしまって……ちょっと辛い。
「あ、ごめんなさい……ギノにはあんまり、この話は聞かない方がよかったよね……」
「うぅん、大丈夫だよ。僕自身はその怖さは知らないし……ただ、苦しい思いをしている人もいるのだから、実際に存在するんだと思う。だから、気をつけるに越したことはないと思うよ?」
「うん、そうだね」
「……魔禍はな。夜に襲いかかって来る以上に、血に反応するんだ。正確に言うと、人が傷ついたときの痛みに反応する、と言った方が正しいかもな。遭遇率も低いし、何より、家の中にいれば大抵は安全だが……強い痛みを感知した場合は、その限りでもないから気をつけた方がいい。あとな、魔禍は光に弱い。だから……日中活動することはできないみたいだな」
僕達の話をそこまで聞いたところで、ハーヴェンさんが魔禍について補足してくれるけれど……彼の解説に、今度はルシエルさんが驚いたように尋ねる。
「そうなのか?」
「まぁ、大凡そんなことが分かっている、ってだけなんだけどさ。で、肝心の魔禍の姿についてだが……いろんな話があるけど、どうも人型をしているらしい」
「……人型?」
「あぁ。ただし、一発で……化け物だって分かる姿らしいが。肌は真っ黒で手足が異様に長くて、目鼻はなく……あるのは口だけだが、舌が発達していて長い……」
ハーヴェンさんはそこまで解説をして、何か気づいたことがあったらしい。それはルシエルさんも同じみたいで……2人でハタと顔を見合わせている。
「あ、何か2人は知っているみたい! ずるい! 私にも教えてよ〜」
「おいらも! 仲間はずれはイヤでヤンすよ〜」
エルやコンタローにせがまれて、ルシエルさんが腰のポーチからあの手帳を取り出す。だけど……2人の表情は、明らかにいい雰囲気のものじゃない気がする。
「……実はな。ハーヴェンが魔界から帰ってきた直後、みんなを迎えに行く前にアーチェッタに任務で行ってたんだ。それで、《精霊の試作品》に遭遇してな。その時に出会ったのが、こいつなんだが……」
ルシエルさんが歩きながら、器用に精霊帳のページをめくる。精霊帳の「その他」のページには……さっきハーヴェンさんが話してくれた魔禍の特徴にピッタリ一致するけど、色は真っ白な異様な姿の精霊が描かれていた。挿絵の背中には、毟られたような小さな翼が付いている。
「チェインドベリアル?」
「アーチェッタで集められた被験者を使って、天使の翼と人間を継ぎ合わせて作られた……精霊もどきだ」
「精霊もどき……?」
「理性はなく、敵を殲滅することしかできない操り人形のような精霊だが……。あの時のアーチェッタでは、材料集めを仕事と称して、ホルダーキャリア……つまり、ギノみたいに生まれつき魔力の器を持つものを選定して……集めていた」
「つまり、僕みたいに無理やり……精霊にされた人が居たってことですか?」
「そう、だな……」
「酷い……」
その残酷さにエルが涙ぐみながら、言葉を絞り出す。そんなエルを慰めようと……コンタローが慌てて小さなハンカチを取り出し、エルの涙を拭いてあげている。だけど、コンタローのつぶらな瞳もウルウルしていて……今にも涙が溢れてきそうだ。
「こんな事をしてまで、この世界を元に戻す必要があるんでしょうか? だって元はと言えば、人間が霊樹に無理をさせて、魔力を枯らしたんですよね? どうせ、また同じ事を繰り返すだけなのに、どうしてそこまでしなければいけないんだろう……」
このままでは確かに、この世界はやがて瘴気に覆い尽くされて、人間は住めなくなってしまうだろう。それを防ぎたいのは分かる。でも、だからと言って……他の誰かを犠牲にすることを、真っ先に考えるなんて。それこそ……どうかしている。
「だから、これ以上酷いことをする奴が出ないように、神界のお偉いさん達はルシエルをローヴェルズの監視役に任命したんだよ。今日の引っ越しは、悪いことを見張れるようにするためでもあるんだ。新居で留守を預かる俺達は、ルシエルが必要な時に力になれるようにしないとな? 起こってしまった事を振り返るなとも、考えるなとも言わない。でもな。自分ができる事を見逃すのは、1番よくないと思うぞ。それこそ、また後悔する羽目になるだろう?」
今は落ち込むところじゃないと、ハーヴェンさんは言いたいのだろう。それに……ルシエルさんの任務替えの理由がそういう事であるのなら、僕も頑張らなければいけない。エルやコンタローもハーヴェンさんの言いたい事をちゃんと理解したみたいで、一生懸命頷いている。
「うん、お前達も頑張れそうか? それじゃぁ、俺と一緒に頑張ろうな〜」
そう言いながら、ハーヴェンさんがエルとコンタローの頭を撫でている。2人ともそうされて、嬉しそうに尻尾を振っているけど……。一方で、僕の横で……ルシエルさんが羨ましそうに見つめているのが目に入る。
「……あの、ルシエルさんもハーヴェンさんに頑張る、って言えば……ナデナデしてもらえるんじゃないですか?」
「い、いや、別に私はいいんだ。ほら、別に……子供じゃないし。……ナデナデ程度で別に……べ、別に……」
あぁ。きっと、ルシエルさんは2人のことがしっかり羨ましいんだ。
初めて会った時は、ルシエルさんは気難しそうな人だと思っていたけど。こうしてみると……気難しいのではなく、純粋にハーヴェンさんの事で気を揉んでいる普通の女の子なんだな、と思ってしまう。多分、ハーヴェンさんが他の女の人の所に行っちゃうなんて事は、ないと思うけど。それでも、相手がエルやコンタローでもヤキモチを焼くのだから……ハーヴェンさんがいなくなったら、ルシエルさんは一体どうなってしまうのだろう、と僕は少し心配になった。
「さて、そろそろお弁当にしようか? ほれ、あの木の下でどうかな? この辺だと視界も拓けているし、風も気持ちいいし……ピクニックの醍醐味を堪能できそうだと思うんだが」
「わ〜い! お弁当! ピクニック!」
「あい! お弁当! ピクニック!」
ハーヴェンさんの提案に、エルとコンタローがハーヴェンさんの周りを跳ねながらはしゃいでいる。
「そうだな。もうそろそろ、休憩してもいいかもしれない。……さ、ギノも行こう?」
「あ、はい!」
「それと……」
「はい?」
先に木の下へ向かう彼らを追おうと、僕も歩みを進めようとすると……くるりとこちらに向き直り、真剣な表情のルシエルさん。その妙な様子に気づいたらしい、ハーヴェンさんがこちらを心配そうに見ているけど。伝えなくても大丈夫かな……?
「さっきのナデナデの話はハーヴェンには内緒にしてほしい……。そんなことを羨ましがっていたなんて、誤解されたら……ハーヴェンになんて、からかわれるか」
「え、えぇ……分かりました……。でも、ナデナデしてほしかったんですよね? それは別に……誤解って言わないと思います……。あ、それはそうとルシエルさん、後ろ……」
「い、いや、そんなことはない! そんなことは、ないんだから! べべべべべ、別にナデナデが羨ましいなんて、絶対ないんだから!」
僕が言いかけた言葉を遮って、ルシエルさんが必死な様子で否定する。でも、いや、だから。今はそんなことを言っている場合じゃなくて……。
「お? そうなのか?」
「ヒャぁ⁉︎」
不意に後ろから声をかけられて、飛び上がるルシエルさん。彼女が恐る恐る振り向くと……そこにはちょこっと意地悪な表情で、ニヤニヤしているハーヴェンさんが立っている。
「そうか、ルシエルはナデナデには興味ないんだな〜。それじゃ、Bプランのナデナデもなしで大丈夫そうか?」
「え⁉︎ いや、それとこれとは、話が……違うというか……」
「ふ〜ん?」
Bプラン……? その意味はよく分からないけど、ルシエルさんの様子を見る限り……彼女にとって楽しみにしていることらしい。任務の後のご褒美に……ハーヴェンさんにナデナデしてもらったりするんだろうか?
「ハーヴェン〜! 早くお弁当〜!」
「お頭、お弁当、早く食べるでヤンす〜!」
「おぅ! ほれ、2人も早く来いよ」
「は、はい!」
「ギノはいつも、きちんと返事できて偉いな〜」
そうして、わざとらしくハーヴェンさんが僕の頭を撫でてくれるけど。……ハーヴェンさん。それはあまりにも、意地悪だと思います。
「ほら、ルシエルも早く。いつまで、そんな所に突っ立ているんだよ?」
「……」
ここで素直に返事ができればいいのだろうけど。……意地悪をされて一層、意固地になっているんだろう。ルシエルさんはちょこっとむくれて、スタスタと先に行ってしまった。
「……あの、いいんですか?」
「ん? 別に構わないさ。……もうちょい素直に感情を出せれば、いいんだけどなぁ。ま、すぐには無理だろうな。あいつはあいつで、今まで苦労してきたんだろうし。ほれ、そんなことより……お弁当にするぞ」
「あ、はい……」
ルシエルさん、かなり怒っていた気がするけど……。本当に大丈夫なんだろうか?




