22−79 純潔とは無縁の俗物
不安な色彩しか映らない景色の中。水平線もない、空もない。そんな形さえも曖昧なこの世界を……当て所なくどの位、彷徨ったのだろう?
今の自分がどんな状況かも、あまり考えないまま。ロンギヌスが放つ、唯一安らぎを覚える色彩を頼りに、歩みを進めているが。手元の神具が私をどこへ連れて行こうとしているのかは、未だ分からない。
(でも……なんだろう? さっきよりは体も軽くなったし……そこまで、心細くはないな……)
この空間に落ちた当初は、ズシリと体が重かったのに。空気に馴染んでしまったのか、それとも、他の要因があるのかは定かではないが。この調子であれば、ロンギヌスの示す先まで行き着けるだろうかと、少しばかり前向きな気分で足を踏み出す。しかし……。
(それもしても、景色が変わらない……おや? あれは何だろう……?)
仄暗い虹色の向こう側に、明らかに彩度の違う色彩があるのが目に入る。ぼんやりと……だが、近づくにつれて段々と形を見せ始めるそれは……全ての光を吸収し、真っ黒な樹皮とは裏腹に燦然と輝く1本の大樹だった。
(これは……まさか、ローレライか……?)
目の前には間違いなく、私にとってはどこまでも見慣れた姿のローレライが立っている。ミカエルに改変され、クシヒメの悪意に晒されて、「グラディウス」と呼ばれるようになったおどろおどろしい霊樹とは、明らかに異なる清らかな姿。そうだ……これこそが、かつての霊樹・ローレライだ。
「ほぅ……ここまでよく来たな、天使よ」
「……誰だ?」
私がローレライと思しき霊樹の全容を把握しようと、飛び立とうとした刹那。大樹の根本から、男性のものとも、女性のものとも取れない……中性的な声が響いてくる。そうして、声のする方を見つめれば。根本に据えられた玉座には、やや枯れかけた風貌の老人が座っている。その背には4枚の黒い翼が生えているではないか。
(この感じはコンラッド……なのか?)
しかしながら、もしコンラッドだとしたら……私のことを「天使」ではなく「ルシエル」と呼びそうな気がするが。どことなく「初対面」な雰囲気からしても、彼ではなさそうか?
「あぁ、自己紹介が遅れたな。とは言え……私に、決まった名はないのだが。……ふむ、そうだな。この体を譲ってくれた、悪魔に因んで……ヴェグタムルとでも、名乗っておこうか」
「ヴェグタムル……?」
「なに、ちょっとした言葉遊びだ。……気にするな」
「……」
やはり、分からない。彼は一体、何者なんだ? そして……どうして、こんな所に座っている? そもそも……。
「1つ、教えて欲しいのですが。ここはどこなのでしょうか? 私は穢れてしまったローレライを正常化するため、プログラムを完成させようとしていたのですが……」
「そうか、そうか。だとすれば、ここがどこなのかを教えてやるつもりはない。……お前は私にとって、都合が悪い相手だ」
「……⁉︎」
ちょっと待て。この場所がどんな所なのか、ただ聞きたかっただけだと言うのに、「彼」は私を「敵」と認識したらしい。腰を浮かせこそしないものの、その場で手をかざしたかと思えば……枝の槍による攻撃を放ってくる。
「クッ……!」
出会ってから、僅かな言葉しか交わしていない。それなのに、何が「ヴェグタムル」なる老人の癇に障ったのだろう? 何れにしても……「敵」だと認識された以上は、応戦するしかなさそうだ。しかし……。
(正体不明な上に、意味不明とは……! 非常にやりづらい上に、傾向が掴めない……!)
臨戦態勢も取れないまま、仕方なしに防戦を余儀なくされているが。当然ながら、守る一方では局面をひっくり返すことはできない。しかも、戦場は明らかに相手のフィールド。どこまでも、こちらの分が悪い。魔法も発動できなければ、頼みの綱はロンギヌスのみ。だが、そのロンギヌスも私の魔力不足を知っているのだろう……魔法の自動発動もないまま、今はちょっと切れ味がいいだけの、普通の槍になってしまっている。
(ここまで……なのか? 皆に託されたプログラムを完成できないまま……)
私は寂しく、こんな場所で朽ちるのか?
そうして、ガクリと諦めかけた瞬間。ゆっくりと、ロンギヌスを握る手に熱が巡り始める。じんわりと、それでいて……穏やかに、確実に。まるで、「諦めるな」と鼓舞してくれるようなその温もりは……悔しいかな。いつの間にか私の心に住み着いた、とある悪魔の面影を思い起こさせた。
(そうだ、私には何よりも大切なものがあるじゃないか。この程度で諦めたら、ハーヴェンをガッカリさせてしまう……!)
私には、愛すべき世界がある。私には、愛すべき相手がいる。そして、何より……私を愛してくれる相手がいる。
当たり前のように帰る場所があって、当たり前のように暖かい食事が用意されてて。当たり前のように、毎日、毎日、毎日、毎日……! いつだって、居場所を用意してくれていた大切な相手がいるじゃないか。今更、そんな彼との「当たり前な日常」を失うのは……絶対に嫌だ。何を差し置いても……絶対に嫌なんだ……!
「いや、負けない……負ける訳には、いかない……! 私は……」
「この世界を救うのだ……だろう? ハッ、思い上がりもここまで来ると、滑稽だな。神の作りし眷属とて所詮、純潔とは無縁の俗物よ。今まで間違いだらけだったお前達が、この世界の何を救おうと言うのだ?」
確かにそう、だ。これはきっと……思い上がりなのだろう。だけど、彼は1つ大きな「思い違い」をしているし、私という存在を誤解している。確かに、私は「神界の眷属」であり、「天使」である。だが……神に作られただなんて、大層な作りはしていない。そう、私は生まれた時から今の今まで……純潔だったことなんて、一瞬たりともない。
「ふふ……あははははッ! まさか、本気でそんなことをお考えなのか? そんな事、言われなくても分かっているさ! 私は生まれてからも、天使になってからも……愚かで、間違いばっかりで。自分でも嫌になる程、自分1人でなに1つ成し遂げることもできない、ただの構成員に過ぎん!」
「ほぉ、そうか。随分と面白いことを言うのだな、お前は。であれば、ここは退くべきではないのか?」
「いいや? むしろ……何が何でも、負ける訳にはいかないと再認識したよ。生憎と、私には帰るべき場所がある。それを守るために、プログラムを完成させる……それさえ成し遂げられれば、他のことなんてどうでもいい!」
「何だと? お前、それでも……天使か⁉︎ この霊樹の美しさを見て、何も思わぬのか? お前のプログラムとやらを打ち込まれたら……」
「ローレライが崩壊する、か? ならば、それでも結構! 大体……グラディウスとやらになった時点で、ローレライは死んでいる。“こちらにとって”悪しき魔力を吐き出しているのだから、浄化しようと考えるのは当然だろう! この際だから、はっきり言っておく。私にとって……世界平和なんて、ついででしかないッ!」
「世界平和がついで、だと……? ほざけ、うつけ者がッ!」
啖呵を切ってしまえば、もはや清々しくさえある。しかも、ロンギヌスも私の「愚行」を応援してくれていると見えて……更に強く輝いては、脈々と力を与えてくれる。いや、これはロンギヌスの応援というよりは……。
(ピーコック・ロンドの花が、更に増えている……? もしかして、ミカエルが力を貸してくれているのか?)
かつての調和の大天使の温情を、確かに受け取って。無事に攻撃を凌ぎ切っては、不遜にも正体不明の使者殿を睨みつける。そうだ……私は1人じゃない。大好きな「今の世界」を守るためなら……どんな相手にだって、立ち向かってみせる。




