8-3
夕食前の喧騒。
部屋から食事する部屋に移動する者や、その間でトイレに行く者の人だかりで、ホテルの通路はにわかに商店街のような賑やかさを呈する。
そんな中、通路の陰で折り畳み傘を握りしめて息を潜めている奇人は、言うまでもなく明日香たちだった。
実「殺るなら今度こそ確実に殺れよ。」
イラ立ちがもう全く隠れていない実の忠告に、明日香は口をとがらせる。
明「分かってますぅ~! アンタに言われる筋合いありません~!」
実「あ、じゃあ俺もう飯行っていいの?」
明「いいワケないでしょ!?」
実『何なんだよ…。』
守「あ、来たよ!」
明「!?」
まだ心の準備ができていない明日香だが、とっさに角の先をうかがう。
ターゲットの咲と、その隣にもう1人、眼鏡をかけた女子がいて、2人は仲良さそうに喋っていた。
しかも、何故か咲は頭に包帯を巻いている。
咲「2人か…。いくら何でもこれじゃ無理ね。」
実がもう食事に行けると一瞬期待した刹那、
明「でも頭に包帯巻いてるし、殺るなら今しかないわ。しばらくつけて1人になるのを待たないと。」
裏切られた。
咲たち2人が明日香たちの横を通り過ぎ、尾行が始まった。
――――――――――――――――――――
咲「私トイレ行ってきます。先行っててください。」
木「分かったわ。じゃ後でね。」
明日香たちの目の前で、2人は小さく手を振り合って別れた。
しかも咲は、人気のないトイレの方へ向かい始めた。
絶好のチャンスだ。
明『よし、行くわよ!』
明日香は持っていた折り畳み傘を、スナップを利かせて振り下ろし、その勢いでジャキッと傘を伸ばしきった。
これには実も守も等しく「ついに殺るか」と思わされた。
その後更に尾行し、ついにトイレ前に来て、周囲の人影は消えた。
明「行ってくるわね…!」
実「今度こそ仕留めろよ。」
明「分かってるってば!」
守「が、頑張ってね!」
ヒソヒソ声で会話した後、守の応援には返事せず、明日香は任務を開始した。
このせいで守はまた落ち込んだが、明日香は単にこっぱずかしかっただけであった。
折り畳み傘を握りしめ、静かに素早く、咲の背後に忍び寄る。
あっという間に距離を詰め、明日香は迷いなく傘を振り上げた。
明『死ね!』
その時、咲が突然立ち止まり、そのまま明日香の方をパッと振り返った。
明「!!?」
明日香は天性の嗅覚でそれを察知し、咲が振り返り切る前にその場にしゃがみ込んだ。
無珠山と同じ状況で、明日香はまたも極限の緊張状態に見舞われた。
しかも咲に見つからないために、それにより激しくなる呼吸すら抑えなければならず、息が詰まって破裂しそうになっていた。
明『早く…早く行ってくれ…!』
明日香が願った時、咲はそこでまた振り返り、トイレに入っていった。
明「―――どっはぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~………。」
明日香はヤンキー座りからそのまま膝をついてへなへなとへばった。
後ろから近づいてくる足音で、また無珠山での惨めな気分がよみがえってくる。
守「大丈夫?」
明「…見りゃ分かるでしょ。バレなかったんだから大丈夫よ。」
明日香は下から見上げる形で、上から見下ろしている守を睨み、同時に実がいないことに気付いた。
明「……実は?」
明日香はよろよろと立ち上がり、守に聞くのは釈然としない気持ちのまま、仕方なく聞いた。
実「あ、実君ならもうご飯行っちゃったよ。」
明「ハァ!?」
明日香は咲に聞こえる危険を忘れ、つい怒鳴ってしまった。
守「あ、明日香さん、あんまり大きい声出しちゃ……。」
明日香はそこで気づき、守の服を引っ張って急いでその場を後にした。
守はそれで、ただ緊張と幸せを心にブレンドしていた。




