桜の下で-十-
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「八郎さん、また旅の話を聞かせてくれる?」
「えぇ、お嬢さ……あ、雛菊様」
呼び方を慌てて訂正をする八郎。
雛菊はか細い手を口元に当て、クスクスと笑っていた。
「八郎さん、これでもう五回目」
「す、すみません……名前で呼ぶのは、どうも慣れなくて……」
「いいの。私が我儘を言っているですから。でも、少しずつ慣れてくれると私も嬉しいわ」
「は、はい」
ぎこちなく笑う八郎と微笑み笑う雛菊。
この二人の光景は、どことなく真司と菖蒲を思い出させる。しかし、当の本人はそれに気づかず暖かい眼差しで二人を眺めていた。
「なんか、夫婦みたい」
自然とそんな言葉が出る。それぐらい、二人のやり取りは初々しく微笑ましい光景だったのだ。
八郎は背負っていた大きな木箱からある物を取り出す。それは桜色の綺麗な貝殻だった。
「雛菊様、どうぞ」
雛菊は貝殻を受け取ると八郎の目を見る。
「これは?」
「桜貝の貝殻です。今回は海辺に行ってきたんです。そこで怪我をしている人がいて、お礼にと貰いました」
「とても綺麗な貝殻……そういえば、貝殻を耳元に当てると海の音が聴こえるっていう噂があったわ」
雛菊は桜色の貝殻をそっと耳に当て目を閉じ耳をすました。
(それって、桜貝じゃなくて別の貝殻だったような……)
真司がそんなことを思っていると、同じことを思ったのか八郎は苦笑いをして雛菊に言った。
「雛菊様、それは別の貝殻ですよ」
「あら? そうなの? でも、ちゃんと海を感じるわ。……この貝殻から潮の匂いがするの。これが海の匂いなのね、ふふっ」
ニコリと微笑むと貝殻を手で包み胸に当てた雛菊。
「ありがとう、八郎さん。私、初めて海を感じられて、とても嬉しいわ」
「お嬢様……」
八郎がそう言った瞬間、雛菊「あ」と声を出し八郎の頬をツンとつついた。
「もう、これで六回目よ?」
「す、すみません」
八郎が謝ると雛菊は可笑しそうにクスクスと笑い、反対に八郎は苦笑いをして笑っていた。
二人の会話は本当に初々しく微笑ましい。思わず真司も笑みが溢れてしまうぐらいだった。
そんな二人のことを眺めていると、突然、雛菊が咳き込み始めた。
「ごほっ、ごほっごほっ!」
「雛菊様!」
「だ、大丈夫……ごほっ!」
「もう今日はお休み下さい」
八郎は雛菊の背中を優しく擦り横に倒させる。雛菊は残念そうな顔で唇を尖らし八郎に「本当に大丈夫なのに……」と、言う。
しかし、八郎は雛菊の我儘にキッパリと言い切った。
「駄目です。あなたは私の患者なのですから」
「本当に、それだけ……?」
「っ!」
眉をたらし少し上目遣いで聞く雛菊に、思わず言葉が詰まる八郎。
八郎は雛菊の目線から顔を背ける。八郎の顔や耳は林檎のように赤くなっていた。
「そっ、その……私の……いえ、俺の……」
「なに?」
「俺の、大切な人でも……あり、ます……」
その言葉に満足したのか、雛菊はニコリと微笑んだ。
「ふふっ、やっと言ってくれた」
「雛菊様は意地悪ですね……」
恥ずかしそうな表情だが、少し困ったような表情を含めて八郎は雛菊に言った。
「あら、そんなことないわ。好きな人の気持ちや愛の言葉を聞きたいって思うのは誰だって同じよ」
「なら、あなたも俺にばかり言わせないでください……」
目を逸らしていたはずの八郎が雛菊の瞳をジッと見る。しかし、雛菊は八郎とは違い、その眼差しをしっかりと受け止め見つめ返していた。
八郎は恥ずかしさのあまり、また目を逸らそうとしたが、ふと雛菊が手を握って来たのでその眼差しからは逃れられないでいた。
八郎は目を泳がせながらその場で慌てふためく。
「あっ、あの……!」
「私も愛しています。八郎さん、あなたのことを」
「っ……!」
「ふふっ」
我慢出来ず、八郎は再び雛菊から視線を逸らし空いているもう片方の手で口元を隠す。
どうやらかなり恥ずかしいみたいだ。それは、傍から見ていた真司も同じだった。
(~っ! 見ていて恥ずかしいよ……! ひ、雛菊さんって意外と……)
『大胆なんだな』と、真司が思った瞬間、真司の今居る風景がテレビにノイズが走ったかのように切り替わった。
真司はその感覚に思わず体がグラリと揺れる。だがそれは、ほんの一瞬のこと……ほんの数秒のことだった。
「えっ!?」
声をあげた時には、既に真司がいる場所は雛菊の寝室から一風変わり外の風景に変わっていた。
真司は辺りを見回す。真司が立っている場所は、人々が行き交う広い道だった。
向かって右側にはお店が建ち並び、左手には綺麗な小川が流れている。その光景は、まるで江戸時代を思わせていた。
いや、もしかしたら、雛菊が生きていた時代は本当に江戸時代なのかもしれない。行き交う人々の格好をよく見てみると男も女も皆和装だったからだ。
そして、確信を持てたのは髪だった。
女の髪は前も後ろ髪も上部で結われ、クシや簪を挿していた。そして男の髪は、上部は綺麗に剃られ、残った髪で髷を作っていたのだ。
その姿は、正に武士だった。
故に、真司はここは『江戸時代』と思ったのだ。
「…………」
風景の移り替わりに呆然となり立ちつくす真司。
そして、ふと、雛菊と八郎がいないことに気がついた。
「あれ? 二人はどこに――—」
いるのだろう?と言おうとすると、真司の向かいから歩いていくる男女の恋人達がいた。
それは雛菊と八郎だった。
「あ! 雛菊さんに八郎さん!」
真司がそう声をかけても、当然、二人は真司の声は届かず、姿も見えていない。
それでも真司は雛菊達のそばに行き、二人の様子を観察していた。
雛菊と八郎は仲むずましく歩いている。しかし、八郎は少し緊張しているのか、顔がどこか強ばっていた。
すると八郎が茶屋の看板を見つけ、そのお店を指さした。
「雛菊様、あそこの茶屋で少し休憩しましょう」
「えぇ、そうね」
二人はそう言うと直ぐ近くにあった茶屋へと入って行った。
真司もその後に続いて中に入る。店主が「らっしゃい!」と言うと、八郎達は奥のテーブル席に腰を下ろし、真司は邪魔にならないところで立っていた。
すると、八郎が店主に「おやっさん、団子二つ」と言った。
「はいよ!」
八郎が頼んだ団子はものの数分ででき、店主は温かいお茶と一緒に三色団子を二人の前に置く。
「へいおまち!」
「あら、ありがとう」
「どうも」
雛菊と八郎は店主に微笑み一言お礼を言うと、店主はニカッと歯を見せ笑った。
「どういたしまして! ……にしても、お嬢さん顔色悪いが大丈夫かい?」
「えぇ。いつものことだから心配は無用よ」
「そうかい。んじゃ、ゆっくりして行ってくれな!」
「えぇ」
そんなやり取りをすると店の切り盛りもそこそこ忙しいのか、店主は直ぐに仕事に戻り、雛菊は「ふぅ……」と、小さく息を吐いた。
雛菊は出された温かいお茶を一口飲む。八郎はそんな雛菊に心配そうに声をかけた。
「雛菊様、大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫よ」
「しかし、本当に何も言わずに外出しても良かったのでしょうか?」
「うーん……いいんじゃない?」
「えっ!?」
てへっと舌を出し笑う雛菊に八郎は頭を抑え呻き出す。
「あ~、やっぱりぃ……絶対に旦那様に怒られますよぉ……」
「その時は、一緒に叱られましょう? 元より、私から外に出たいと申したのだから。でも、父上はきっとわかってくれるわ。私のこの気持ちを……」
「雛菊様」
雛菊は、お客さんの接客をする店主を見て「ふふっ」と笑った。
「あの方、私のこと心配してくたわ。とても親切な人なのね」
「そうですね」
「まるで、八郎さんみたい」
「え?」
雛菊は目を瞑り、懐かしむように話し出す。
「初めて会ったときも、あなたは道の端で蹲っている私に声をかけ、お薬までくれたわ。……私、とても嬉しかったの」
「雛菊様……」
八郎もその時のことを思い出したのかフッと笑みをこぼした。
雛菊は目を開け八郎と目を合しクスクスと笑う。
「まさか、あなたが旅をする薬師だとは思わなかったわ。でも、よく考えてみれば、薬師じゃないとお薬を出せなかったわよね。ふふっ」
どうやら八郎という男は、日本各地を旅しながら病気で伏せっている人や医者を呼ぶことも出来ない人の為に動く旅の薬師らしい。
(そういえば、さっき『患者』って言ってたっけ……)
真司は部屋での二人の会話を思い出す。雛菊はそんな真司を他所に話を続けた。
「そして、あの後、あなたは私を屋敷まで送ってくれた」
「はい。それから私は、あなたの願いで専属の薬師になりました」
「えぇ。だって、ねぇ? 一目惚れした旅の人を手元に置いとく為には、専属にするしかないでしょう? それでもあなたは旅を続けているのだけれどね、ふふっ」
「なっ!?」
意地悪そうに言う雛菊に八郎は目を見開き驚くと慌てて周囲を見回した。
「ひっ、雛菊様! そういうことは場所を弁えて……はぁ」
「ふふっ。思ったことはきちんと言葉にしないと、ね。だって……あなたに愛の言葉を紡げるのも、いつかは切れてしまうのですから」
「雛菊様……」
寂し気な目で湯呑みを見つめる雛菊。真司は雛菊のその言葉の意味が直ぐにわかった。
(まさか、雛菊さんはもう……)
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その頃の菖蒲は、瞳を閉じ桜の幹に触れて集中していた。
一瞬、閉じている瞼がピクリと動く。
「……今、微かに真司の気配を感じたな。しかし、消えてしまった……か」
菖蒲は閉じていた目を開き「はぁ」と溜め息を吐く。真司が居ないからなのか、菖蒲の心は落ち着かずザワザワとしていた。
それは、焦り。
それは、不安。
それは、寂しさ。
そういった負の感情が混ざり合ったような感覚が菖蒲の心にあった。
「あぁ……一層、この桜を燃やしてしまおうか」
不意に菖蒲の瞳から小さな黒い焔のようなものが宿る。しかし、それは一瞬で消えてしまった。
菖蒲は首を横に振り、再び溜め息を吐く。
「何を戯けたことを……昔の私じゃあるまいに。やれやれじゃ……」
菖蒲は上を見上げ桜を見る。風も吹いていないのに桜の花弁がユラリと揺れ、地面に舞い散っていく。
(真司……お前さんは、今、どこにいる? 無事なのかえ? 怪我はしていないのかえ?)
菖蒲は再び桜の幹に触れ瞳を閉じて集中すると、一瞬だけこう思ったのだった。
(今も昔も、お前は私を振り回すのじゃな……ふふふっ)




