桜の下で-五-
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稔との話しも不思議と弾み、いつの間にか時間もかなり進んでいた。
そんな時、準備室に放送がかかった。
「古典の白石先生、白石先生。至急、職員室までお越しください。古典の白石先生、至急、職員室までお越しください」
妙に強めに言う放送。声から察するに年配の先生だろう。その放送を聞いた途端、稔はバツの悪そうな顔をする。
「まずったなぁ。今日、会議があるんだった……」
「え!?」
「これは、また高橋先生にネチネチ説教されるな……」
溜め息を吐く稔を心配し、真司は「早く行ったほうがよくないですか?」と稔に言った。
稔は、また溜め息を吐く。
「はぁ……だな。宮前、コップはそこに置いといていいからお前も帰っていいぞ」
「は、はい」
「今日は付き合わせて悪かったな。ま、たまにはこういうのも良いだろう。先生にも心の教室が必要ってことだ。じゃ、お先。あぁ、鍵とかもそのままでいいからな」
「わかりました」
そう言うと稔は軽く手を振り、気だるそうに準備室を出ると職員室に向かった。
真司も紺色の学校指定の学生鞄を肩に背負い、教室を出て廊下を歩く。学生は既に帰宅しているので、廊下はとても静かだった。
――ふわり。
自分の頬を、優しく撫でるかのように何かが通り過ぎる。「一体何だろう?」と思い、真司な後ろを振り返った。
すると、そこには桜の花弁が一片落ちていた。
何気なくその花弁を拾い手に取った瞬間、強い風が突然吹き付けた。
「うわっ!?」
無数の桜の花弁が竜巻のように真司の周りを飛び交う。真司は風の強さと花弁の多さで目が開けていられずギュッと目を閉じた。
そして、風が止んだと思うと恐る恐る目を開いた。
「え? ここ……何処?」
目を開くと真司はポカンとした表情で立っていた。それも真司の知らない場所に、だ。
先程までは確かに真司は学校の廊下にいた。
なのに、今、立っている場所は壁も窓も狭さすら存在しない見知らぬ野外だった。
真司は、唖然とした様子で辺りを見回す。濃い霧が周辺を覆っているので周りに何があるのか、そもそも何かあるのかどうかもわからなかった。
真司は次に自分の足元を見下ろした。
「え、水!?」
そう。足元を見ると、足元には水が張ってあったのだ。真司は思わず驚き、片足が上がったが、ふとあることに気づき不思議に思った。
「あ、あれ? 濡れてない?」
真司は興味津々な様子でまた足元を見る。確かに自分は水の上にいるにもかかわらず、真司の上履きは全然濡れていなかったのだ。
一体何が起きたのか、真司にはわからないでいた。
真司はしゃがみ恐る恐る水に触れる。ひんやりとした冷たさが指先から伝わるが、足元と同じように不思議と指は濡れていなかった。
「……濡れてない。何で?」
不思議に思う真司は、また立ち上がりボーッとした表情で立ちつくす。
(まるで、水の中で浮いているような。水の上にいるような不思議な感じ……これは、夢?)
こんな非現実的なことは有り得ない。何よりも、ふわふわした心地良さは正に夢の中にいるようだった。
そう思った真司は、自分の頬を徐ろにつねってみた。
「いたたたっ!」
つねった結果、これは夢じゃないと実感する真司。
「え、え!? これ、夢じゃないの!? ど、どどどうしようっ!」
夢じゃないとわかった途端に徐々に真司の中に不安と焦りが生まれ始めた。
(どうやって帰れば!? というか、まず、ここは何処!?)
その場をウロウロしながら考える真司。
しかし、いくら考えても結果は同じだった。
ここが何処かわからない。どうやって学校に帰ればいいのかわからない。
そもそも、どうやってここに来たのかもわからなかった。
全ては絶望的だった。
「…………」
落ち込みを通り越して、少し悲しくなる真司。
そして、マイナスな思考を止めるために頭を左右に強く振る。
「男たるもの、弱音は駄目だ!」
小説や昔の言葉っぽい台詞を吐き、少しでも気を強く持とうとする。
その時だった。
「――――よ」
誰かの声が聞こえたような気がし、真司は今一度辺りを見回す。霧のせいで周りの視界はよくないせいもあるのか人の気配は感じなかった。
「……気のせい?」
「――――こよ」
「気のせいじゃない!」
誰かの声に真司は耳を傾ける。
「――ここよ。ここにいる――」
「……こっちから聞こえる、よね?」
真司は声のする方へと歩み始める。すると、足音がピアノの音のようにポーン ポーンと低い音が鳴り水面には綺麗な輪ができていた。
「私は――ここよ。私は――と、ずっと――」
声が段々近くなる。桜の花弁がチラホラと水面に浮び、声が近くになるにつれて花弁の数も徐々に増えていった。
「私は待っている。ずっとずっと。この身が朽ちても。愛おしい貴方様のことを……」
「……誰の声なんだろう?」
聞こえてくる声に従って歩き続ける真司は、遂にその声の主の所までやって来た。
真司の前には、その圧倒から思わず声が洩れてしまいそうになるぐらい立派な桜の木と、祈るように胸の前で手を組んでいる女性が桜の木の下に立っていた。
歳は20前後だろうか。女は悲しげな眼差しで桜を見上げ、そして、ゆっくりと真司の方を振り向いた。
「お願い……あの人を……見つけて」
「え?」
その瞬間、再び真司の前に強い風が吹き付けた。
風で木は揺れ、花弁がいくつも空に舞い落ちる。あまりの風の強さに、真司は腕で顔を守り目の前に立っている女を見た。
女性は真司を見ながら言葉を発し続ける。
「あの人を……見つけて……」
「ちょっ、ちょっと待って! あの人って誰なんですか!? それに、あなたは――!?」
真司は女性に「あなたは誰なんですか」と、聞こうとするが、その声も風と木々が揺れる音でかき消されてしまった。
しかし、不思議と女性の声だけはハッキリと聞こえていた。それは相手側も同じなのだろう。
女性は桃色のぷっくりとした唇を小さく動かし真司に言う。
「私は――――雛菊」
(ひな、ぎく……?)
「あの人を……見つけて……」
「この子を……助けて……」
女性は一人のはずなのに、女性の言葉と重なるように別の誰かの声も耳に聞こえてくる。
(待って! あの人って、誰何ですか!?)
そう口にしたかったが、風が強すぎて言葉は出なかった。
あまりの風の強さに目を強く閉じていると、遠くの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――じ! ――んじ! 真司、しっかりせい!」
「っ!? 菖蒲、さん……え……?」
その聞き覚えのある声は菖蒲だった。
声の主が菖蒲だとわかり真司が目を開くと、目の前には眉を寄せ焦っている表情をした菖蒲が目の前にいた。
菖蒲は真司の横たわる体を支え、目を覚ますと同時に安堵の息を洩らす。
「はぁ……無事に帰ってきたか……」
「一体、何が……?」
真司はゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。そこは、水も大木の桜木も女性も居ないただの学校の廊下だった。
真司はキョトンとした表情で「やっぱり、あれは夢……?」と、小さく呟いた。
その呟きが聞こえたのか、菖蒲は優雅な所作で立ち上がる。
「夢じゃあらへんよ」
真司は菖蒲を見る。菖蒲の顔は少しだけ疲れている様子だった。
「何か嫌な予感がしての。お前さんの所に向かったら、案の定、お前さんが倒れていた。意識も彼処に持っていかれていたから、かなり心配したぞ」
「彼処ですか?」
聞いたことの無い言葉に真司が首を傾げながら尋ねると、菖蒲が「うむ」と言いながら小さく頷く。すると、菖蒲は突然後ろを振り返った。
「む? 誰か来るな。とりあえず、学校から出るか」
どうやら、人が来ることを察知したらしい。真司は落ちている鞄を慌てて肩に掛けると、菖蒲と真司は残っている生徒や教師に会わないように校内からそっと抜け出したのだった。
そして二人は妖怪の町――あやかし商店街へやって来た。
商店街の路地裏を歩きながら、真司は菖蒲に事の説明をするように言われた。
真司は何故か緊張した面持ちで、菖蒲に自分に起きた出来事を話す。
「僕にも事情はよくわからないんです。帰る途中、廊下で花弁が横を通って……その花弁を拾った瞬間、突然、強い風が吹いて気づいたら知らない所に……」
「花弁かえ?」
菖蒲がそう聞くと、真司はコクリと頷いた。
「はい。桜の花弁です。あれ? でも、よくよく考えたら変かも……あの廊下の窓は開いてもいなかったのに、どこから花弁が入ったんだろう? それに、僕が見たあの景色にも――」
「――桜があったんじゃろ?」
真司が言う前に菖蒲に思っていたことを言われ真司は一瞬驚いた。
真司はゴクリと口の中の唾液を飲み込み「はい……」と、言いながら頷気話を続けた
「辺りは霧が濃くて、足元は一面水に覆われてて……なんて言うか……まるで、湖の上を歩いてるような不思議な感じがしました。それで、声が聞こえたんです。その声の方向に向かって歩いていると、知らない女の人と凄く綺麗な桜があって……」
朧気な記憶を辿りに、見てきたものを菖蒲に伝える真司。
それでも、本当にそれを見たのかは自信がなかった。
(あれは、夢じゃないんだよね……でも、やっぱり夢みたいなような気がする……)
ボーッとした表情で下を俯く真司。
今は『地面に足が着いている』という感じはしっかりとするが、あの時は『歩いているのに歩いていない』そんな曖昧な感じがしたのだ。だから真司はあれが夢じゃないと言われても、見てきたものが真実だとしても、どこか自信が無かった。
そんな真司とは逆に菖蒲は「ふむ……」と、呟きながら顎に手をやり何かを考えていた。
すると何か思い当たる節があるのか、菖蒲は口を開き「いや、そんな筈は……」と、言って、結局、首を横に振って最後まで言葉に出さなかった。
「菖蒲さん?」
何か言いかけた菖蒲に真司は首を傾げる。菖蒲はそんな真司を見て苦笑いを浮かべた。
「いや、ちょっと、桜に思い当たる人物がいての……」
「そうなんですか?」
そう言った途端、真司はまた別のことを思い出した。
「あ、そういえば……その時に、話もしました」
「む? 話しかえ?」
「はい。えっと……確か……」
真司は必死にあの時の会話を思い出す。中々思い出さないことに自然と眉間に皺が寄り「うーん……」と、唸っていた。
その途中で菖蒲の店に着き、真司は唸りながら無意識に玄関の引き戸を開ける。
「えーと……」
「おかえりなさーい♪」
慌ただしい足音と共にやって来たのは、付喪神の雪芽ことお雪。
お雪は走り出した勢いのまま真司にギュッと抱きつく。これは最早恒例行事なので、いつも通りお雪の頭が真司の鳩尾に直撃した。
「ぐふっ! ……た、ただいま、お雪ちゃん」
「えへへー♪」
その後で小走りで走ってきた者が現れた。
それは、一見愛らしい少女にも見えるお雪と同じ付喪神の星だった。
「……二人共……おかえり、なさい」
少しハニカミながら言うと、菖蒲が星の頭を優しく撫でた。
「ただいま」
「大丈夫……だった?」
「あぁ、見ての通りな」
星はホッと息を洩らし安心すると真司の傍に行き腕をギュッと握る。
「……お兄ちゃん……よかった」
どうやら星は事の成り行きを大体把握しているらしい。真司は心配してくれたことに嬉しく、また、申し訳なく思い星の頭を撫でた。
「心配かけて、ごめんね」
「……うん」
「ねぇーねぇー、早く中に入ろうよ〜」
「そうじゃな」
星と真司のやり取りを微笑ましく眺めていた菖蒲は、可愛らしい女物の草履を脱ぎ先に居間へと向かう。その時、真司の横を通り過ぎる前に菖蒲は真司に一言だけこう言った。
「無事で本当によかったよ」
その一言に真司は菖蒲に心配されたことが嬉しくもあり、少しだけ気恥しい気持ちになった。
「菖蒲さん……」
「……お兄ちゃん……入ろう?」
「入ろ~入ろ〜♪」
「うん。そうだね」
星とお雪に促される真司は靴を脱ぎ、菖蒲の後ろに続き廊下を歩く。歩く度に板張りの廊下がギシギシと微かに鳴り、左手には広い庭が見えるた。
庭にも桜の木が植えられているので、風に沿って花弁がヒラヒラと舞い落ちる。
「……綺麗、だね」
「そうだね」
星は嬉しそうに、少し微笑みながら言った。
真司も星に同感するように返事をし頷きながら居間に入ると、白雪がそわそわした様子で部屋の中を歩いていた。
「白雪、帰ったぞ」
「あ! 菖蒲様、真司さん!」
白雪は菖蒲と真司に気がつくと、小走りで走り寄り真司に抱き着く。
「無事でよかったです……」
真司は突然抱き締められ困惑したが、白雪にもかなり心配させたらしく真司は胸が痛くなった。
「……ありがとうございます」
本当は申し訳なく思っているので謝るつとりだったが、真司はこんなにも心配してくれているのに嬉しく思い、ついお礼を言ってしまう。
すると、白雪は、そっと真司の体から離れいつもの優しい笑みを浮かべ微笑んだ。
「本当によかったです。ふふっ、今、お茶を淹れますね」
嬉しそうに台所に向かう白雪の背を見送る真司。そんな真司の服をクイクイっと引っ張る者がいた。
「お雪ちゃん? 何?」
「あのねー、白雪おねぇちゃんね、菖蒲さんが居なくなってから、ずーっと部屋の中をウロウロしていたんだよ〜。お兄ちゃんは大丈夫かな~って、ずっと言ってたの」
お雪の言葉を聞き、真司はまたもや少しだけシュンとなる。
「そう、なんだ……。何だか、皆に迷惑かけたみたいで本当に申し訳ないな……」
「ふふっ。それだけ、お前さんは愛されているということじゃ。さ、お前さん達も座りんしゃい。そして、真司や。思い出したことを今一度話しんしゃい」
「はい」




