6 とんでもない仕事①
「いや、それって無理だから!」
「ほう? 痛くも怖くもありませんよ?」
「い、痛くない……? そうなの……?」
「おや、何を考えてらっしゃるのですか? 私はただ、『添い寝』とだけ申しました。ユリウス様と同じベッドで寝ていただく、ただそれだけのつもりですが……はて。一体何を考えられたのやら」
わざとらしく思案顔になるヴェルネリだが、口元は笑っている。
(こ、この人っ!)
彼にからかわれたと知りライラの頬にかっと熱が集まるが、文句を言うより早くヴェルネリが言葉を差し込んだ。
「大体、イザベラ様からも念押しされているでしょう? あなた方は婚前交渉をなさいません。少なくともご結婚まではユリウス様があなたを女性として抱くことはありませんので、ご安心を」
「くっ……! そ、それじゃあ本当に、一緒に寝るだけなの?」
「はい。……ユリウス様が不眠症ということは、ご存じでしょうか」
急に真面目な顔で言ってきたので、かっかしていたライラも眉をひそめつつ頷いた。
「ええ、父から聞いているわ。……夜会でお会いした時、目元が落ちくぼんでいて隈があったと思うけれど……やはりそのせいなの?」
「そういうことです。……詳しいことはヘルカが来てからでないと申せないのですが、あなたと同衾することでユリウス様が快適に眠れる可能性が高いのです」
「……は、はあ? そんなこと、あるの?」
「そんなこと、あるから申しているのです」
ライラの言い方を真似るのは腹が立つが相変わらず真剣な表情なので、ライラも勢いに呑まれて文句を言いそうになった口を閉ざした。
「ユリウス様は決して、あなたの容姿に惚れ込んだわけではありません。もっと別の、ユリウス様のお心を休められるものを求めたのであり……あなたの容姿は関係ありません」
「二回も言わなくていいんだけど」
「これは失礼。大切なことなので、二度申しました」
「本題に戻って」
「かしこまりました。……そういうことで、ユリウス様が快適な睡眠を取れるよう、ライラ様には今晩よりユリウス様の寝室にて就寝していただきます」
「……」
ライラは腕を組み、じっとヴェルネリを睨み付けた。
いきなり添い寝と言われ、乙女の純真な心を弄ばれたことに不満がないはずがない。そもそも、ユリウスの不眠がライラとの共寝ごときで解消されるとも思えない。
(でも……ヴェルネリは、本気だ。本気で、私がいればユリウス様の不眠が解消されると思っている)
それに、イザベラの命令にユリウスが従うのなら、彼が手を出してくることはない。男女の恋愛について最低限度の知識は書物で得ているがそれ以降はさっぱりのライラには、婚約したばかりの男と一緒に寝るというのは非常に難易度が高い要求だ。
だが、本当にただ一緒に寝るだけなら、ベッドに横になって目を閉じていれば朝になる。ヴェルネリの言うとおり、痛くも怖くもない、寝ているだけの簡単なお仕事ということになる。
(それに……効果があるかは分からないけれど、ユリウス様を助けたいという気持ちは、あるし)
ほぼ初対面の相手ではあるが、病弱でよく眠れないと言われれば心配になるし、なんとかしてあげたいと思う。それがいずれ結婚する相手というのなら、なおさらだ。
(……ヨアキムの時は、私の方からも歩み寄ろうとしなかった)
同じ轍は、踏みたくない。
「……分かった。一緒に寝ればいいんでしょう」
「ご了承いただけたようで何よりです。……ああ、そうでした。まさかとは思いますが、あなたがユリウス様を襲うこともないようになさってくださいね」
「……余計な心配、どうもありがとう!」
やはりこの魔道士は、一言も二言も余計だし失礼な人だ。
ライラが到着したのが夕方で、屋敷の案内や今後の話などをしているとあっという間に夜になった。
ヴェルネリが厨房にこだわっているということだが、彼は家事の中でも特に料理に関心があるようで、食材も一から彼が選び毎日の献立を考えるのにも全力を注いでいるようだ。
そんな彼が作った料理は、文句なしにおいしい。
「お、おいしい……! すごい、ほっぺたが落ちそう……」
「お褒めいただけて、光栄です」
ライラが素直に感想を述べると、給仕をしていたヴェルネリはまんざらでもなさそうにふふんと鼻を鳴らした。
「特にこの、とろとろのお肉! 刻んだタマネギが入っていて、甘さとちょっぴりの辛さが最高!」
「おや、あなたは優秀な舌をお持ちのようですね。ここまで褒めていただけると、作った甲斐があったというものです」
相変わらず彼の言葉にはちょっぴり棘があるが、それでも今の彼は本日で一番機嫌がよさそうだ。
(案外、褒めて褒めて感謝すれば、言うことを聞いてくれるかも……?)
もし彼をうまくなだめられたら、いつかライラの好物であるフルーツサンドも作ってくれるかもしれない。
ヴェルネリはおだてて褒めるべし、とライラは頭の中のメモ帳に書き込んでおいた。
ユリウスは食事も三階の自室で取っているようで、ヴェルネリが持って上がっていた。ライラは彼の婚約者として二階に部屋を与えられて、風呂や手洗いなども二階のものを使っている。
だがユリウスは基本的に三階で日常生活を送るらしく、三階にも専用の浴室などがあるという。掃除をするヴェルネリは大変そうだ。
そうして食事を終え、入浴を済ませたら、就寝である。
……もちろん、ユリウスの寝室で。
(私の部屋にも、ふかふかのベッドがあるのに……)
ライラ用なのか花柄の布団カバーが可愛らしいベッドに別れを告げ、廊下に出る。
ヴェルネリは既にそこで待ちかまえており、ユリウスから贈られたネグリジェの上にガウンを羽織ったライラを見ると、頷いた。
「サイズもちょうどよかったようですね。明日から着ていただく服も、裾を詰めなくてよさそうでよかったです」
「……これもユリウス様が見繕ってくださったのですか?」
「いえ、実際に布地を選んだりデザインを発注したりしたのは、ヘルカです。ユリウス様は……その手のことにはやや疎くてらっしゃいまして。ユリウス様にお任せしたら、恐ろしく奇抜なものを選びかねませんので……」
ヴェルネリが言葉に詰まったのは、これが初めてだ。ユリウスを盲目的に慕うヴェルネリのようだが、主人の美的センスについてはさすがの彼も閉口するようだ。




