43 同じ時に見る世界
屋敷はヴェルネリたちの手によりほとんど修復されており、ライラもユリウスも数日は水入らず状態でまったり過ごした。
襲撃の際に負傷したヘルカも、すぐにヴェルネリが処置をした甲斐もあってすぐに起きあがれるようになった。
「あの時のヴェルネリは、珍しく格好よく見えたわよ」
とヘルカにからかわれたヴェルネリは、
「私が格好いいのではなく、おまえが力不足で情けないだけだ」
と言い返していた。
だが二人ともほんのり耳が赤いことにライラは気付いていたし、ユリウスに至っては「二人とも、素直じゃないね」と正直に言ったため、その場を凍り付かせていた。
屋敷で数日のんびり過ごして、様子を見に来た両親やバルトシェク家の親戚たちの応対をしたりした後、ライラとユリウスは魔道研究所に顔を出すことになった。
「……あの子たち、一年ほど訓練を受けたら魔道士の家の養子になるそうですね」
研究所の廊下を並んで歩きながらライラが言うと、ユリウスも穏やかな顔で頷く。
「うん、既に彼らの引き取りを志願している家がいくつかあるんだ。……僕がそうだったように、きっとあの子たちもこれから、優秀な魔道士として生きていける」
「……そうですね」
先日、ユリウスは自分の過去について改めて明かしてくれた。
彼はオルーヴァの貧しい農家出身で、五歳くらいの頃にあの収容所に入れられ、「兵器」として育てられたそうだ。そして十五年前のミアシス地方国境戦でレンディアに送り込まれ、魔力の暴走を起こしたところを魔道軍に保護されたのだ。
だから彼は野菜が苦手で、子どもたちの教育に関心を持っていた。そして、魔法を使うのなら怖がられるよりも喜ばれるようなものの方がいい、と言っていたのだ。
保護された子どもたちは、きちんと身なりを整えてライラたちの訪れを待っていた。伸び放題だった髪は整えられ、体もきれいに洗ってふさわしい服も与えられている。
それでも情緒や知識は未熟なので、ライラを見ると途端に駆け出し、「ママ!」と飛びついてきた。
「……あの時から思っていたけれど。ライラっていつの間に、五人の子持ちになったの?」
「え、えっと。それはその時の成り行きというか……」
ユリウスに真面目な顔で問われたのでライラがもごもご答えると、最年長の七歳くらいの子がユリウスをじっと見、「あっ!」と声を上げた。
「ユリウスさま、しってる!」
「ん? ライラ――ママから聞いたのかな?」
「うん! ママがけっこんするひと!」
「ママがだいすきなひと!」
「かっこよくてつよいひと!」
(うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!)
子どもたちが知っている知識を自慢げに口にするものだから、ライラは床に手を突いて頽れてしまった。
(うん、確かに言ったよ! 言ったけど!)
だからといって、本人の目の前で大合唱しないでほしい。
さらに、「ママがけっこんするのなら、ユリウスさまは、パパ!」「パパ!」と、追い打ちを掛けないでほしい。
顔を上げられない。
ユリウスの顔が見られない。
「……ふうん、そっか。ママは僕のこと、そういう風に言っていたんだね」
「うん! ユリウスさまはママのこと、すき?」
「うん、大好き。可愛くて勇敢で優しい、僕の最高のお嫁さんだよ」
(う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?)
顔が、熱い。
悲しいわけではないのに、涙が出てくる。
四つんばいになった姿勢のままふと横を見ると、部屋の壁際に控えていたヴェルネリとヘルカの姿が見える。
彼らに視線で助けを求めると、ヴェルネリは凄まじい速度で顔を背け、ヘルカはしっとりと笑って口の形で、「おめでとうございます」と言ってきた。
万事休す、である。
子どもたちと遊び、屋敷に戻った頃にはすっかり太陽の位置が低くなっていた。
「……そういえば、外食。行けなかったね」
玄関前に立って夕日を見つめるユリウスが言ったので、そういえば、とライラも肩を落とした。
「そうですね……で、でも、また機会はありますよね?」
「うん。僕もライラも、ヴェルネリもヘルカも……誰も欠けることなく、この屋敷に戻ってこられた。だから来年の夏まで、何度でも機会はあるよ」
「夏……?」
「えっ、忘れてた? 僕たち、結婚するんだよ」
「そ、それはもちろん覚えています!」
一瞬ユリウスがこの世の終わりを迎えたかのような顔をしたので、慌てて言う。
「そうじゃなくて……その、結婚してからも、四人で出かければいいんじゃないかな、と思いまして」
「それもそうだね。でも……」
ユリウスは振り向き、そっとライラの手を取った。
「僕たちはまだ、婚約者だ。その間にたくさんの思い出を積み重ねて、いろんな経験をして……それから君と結婚したい」
「……」
「君が僕の花嫁になってくれるのも、とても待ち遠しいよ。でも、今は……婚約者である君と過ごせる残り半年を、充実したものにしたいんだ」
ユリウスの言葉は、すとんとライラの胸に落ち着いた。
結婚しても、ヴェルネリもヘルカも側にいてくれる。
暮らす場所はユリウスの屋敷なので、生活スタイルに大きな変化が起きるわけでもない。
結婚すればライラはライラ・キルッカではなく、ライラ・バルトシェクになる。
ただそれだけのことだが――独身時代とは、色々なものが違って見えるはずだ。
同じ花をユリウスと一緒に見ても、きっと何か変化が起きる。
家族になる直前のこの時期だからこそ経験できることも、きっとあるはずだ。
「……私も、同じ気持ちです」
「ライラ……」
「私も今この時間、あなたと同じ世界を見たいです。あなたと一緒においしいものをたくさん食べて、一緒に寝て、一緒に起きて、同じものを見て笑いあっていきたいです」
ライラは、魔道士ではない。
だが以前ユリウスが言っていたように……ライラにしか使えない魔法が、きっとあるはずだ。
(あなたがいてくれれば、私は魔道士になれる。無力な私だけど、正しいと思うことを実行する力を持つことができる)
ユリウスのヘーゼルの目が、揺れた。一度二度、何かを言おうとしたのかそれとも呼吸しただけなのか彼の口が開閉し、そしてぎゅっと強く抱きしめられた。
「……嬉しい。とても嬉しいよ、ライラ。僕は……本当に幸せ者だ」
「私もですよ。あなたが私を幸せにしてくれます」
「僕もだよ」
同じ口調で言いあい、顔を離した二人はくすくす笑う。
これからも、こうやって言葉を交わし、笑っていたい。
辛いことや心の痛むこと、悩むこともあるだろう。だがユリウスがいてくれれば、「そんなこともあったね」といつか笑い飛ばせるようになるはずだ。
裏切られた女を拾い上げてくれたのは、優しい大魔道士様でした。
途中で色々あったけれど二人は幸せに暮らしました、と締めくくれるはずだ。
「……っくしゅ!」
「あっ、ごめん。寒いよね」
「す、すみません……」
ユリウスに抱きしめられているが、冬の夕暮れ時はなかなか冷え込む。
くしゃみをして洟を啜るライラの頬をそっと撫でたユリウスは抱擁から離れ、少々芝居がかった仕草で腰を折って、ライラに手を差し出した。
「行こうか。……僕の未来のお嫁さん」
茶目っ気のある眼差しでユリウスが言うので、
「はい。……私の未来の旦那さん」
ライラも笑い、彼の手を取った。
手を握りあって屋敷の玄関に向かう、それだけの仕草。
だが彼らをそっと見守っていたヴェルネリとヘルカにはまるで、これから結婚式に臨む幸せな花嫁と花婿のように見えたのだった。
これにて結とします。
お付き合いくださり、ありがとうございました!




