40 立ち上がれる理由
窓の外を見てライラは初めて、もうすっかり夜になっていたのだと知る。
この時期は日が沈むのが早くて、夜になると気温も下がる。ライラが着ているのは布をたくさん使った私服用ドレスなのでいいが、ライラに抱えられた子どもはぼろきれ一枚で寒そうだ。
そのまま男たちに四方を囲まれ、ライラは建物の外に出た。とたん、ぴゅうっと乾いた風が吹き付け、舞い上がった砂が目に入りそうになる。
(ここって……? レンディアには、こんな荒れた土地はあまりないはずだけど……)
見渡す限りの砂地――だと思ったら、よく見ると遠くに黒々とした海のようなものが見える。
(星の位置から考えると、あっちは西……西に海? いや、あれが大きな川だとしたら、ひょっとしてここは――オルーヴァ?)
気付いた途端、ぞくっとした。
十五年前、ミアシス地方国境戦でレンディア魔道軍に反撃され完敗した、東の隣国・オルーヴァ。
国境戦の敗北が負い目になっているのか、ライラに物心が付いた頃からは派手な動きを見せていなかったはずなのだが。
もしここがオルーヴァだとすると、あの川の向こうがレンディア王国だということになる。
現在のライラは一般市民なので、自分一人が国境を越えたからといって罪に問われる可能性は低い。
だがもし、ユリウスがすぐに飛んできていたら?
魔道の名門の出身である彼がすぐにライラを迎えに来ていたら――戦争になっていたかもしれない。
(ユリウス様……)
ママ、ママ、とぐずる子どもを抱きしめ、ライラはきっと西の空を見つめる。
学院の地理の授業で、レンディアの東を流れる大河がオルーヴァとの国境の役割を果たしていると習った。そしてその川のほぼ中間あたりに、国境線があるのだとも。
あの川の半分ほどまで行けたら――と思うが、そんなの難しすぎる。
恥ずかしながら、ライラは泳げない。運良く川に飛び込めても、国境線を越えるまでに沈むのがオチである。
(ユリウス様に、この建物の存在を知らせられたら! 子どもたちがたくさんいて、なんだかとんでもないことを企んでいるってお教えできれば……)
だがふと、ライラは対岸でチカチカ躍る光に気付いた。
「チッ……本当に使節団が来たのか!」
「あいつをおびき寄せるんだろう? どうするんだよ!」
男たちがざわめいている。
(使節団……ああ、そういうこと!)
やっとライラにもユリウスたちの計画が判明し、ほんの少しの安堵が体に溢れる。
ユリウスは、早まったりしなかった。
ライラよりも、レンディアで暮らす多くの国民のことを考えてくれた。
その上で使節団の中にユリウスがいるとしたら……ライラには十分すぎるくらいだ。
自分よりも他の人間を優先させたということに、寂しさや不安を感じないわけではない。
だが――ユリウスなら、たとえ優先順位を変えたとしても、ライラを見捨てることは絶対にしないと信じられる。
ライラを見初めてくれた魔道士は、どこまでも公正な素晴らしい人なのだ。
「こういう時の兵器だろう。……おい、女。『兵器』を寄越せ」
「は?」
ぐいっと引っ張られたので思わず聞き返す。
(兵器? ……えっ、まさか兵器って……)
その言葉の意味に気づいた途端、体の芯から凍えるような恐怖と怒りが湧いてくる。
ぎゅっと子どもを抱きしめると、イライラしたように四方から腕を引っ張られた。
「もたもたするな! 何のための兵器だと思っているんだ!」
「こっ……! この子は、兵器じゃない!」
ママ、とライラに縋ってきた子たち。
ユリウスたちと同じ体質の子どもたち。
もし、ユリウスもかつて同じ経験をしていたのなら。
そして、彼が「ミアシス地方国境戦の戦災孤児」ではないとしたら――
「……子どもたちは! 戦いの道具なんかじゃない!」
ライラは叫び、泣いて抱きついてくる子どもを抱えて丸くなった。
類い希な能力を持って生まれたユリウス。
彼は、ミアシス地方生まれではない。
オルーヴァ生まれで――生きた「兵器」として使われてきたのだ。
(ユリウス様、ユリウス様……!)
その時、ライラの背中に重い蹴りが入り、激痛で息が詰まりそうになる。
緩んだ腕から子どもが引っ張り出され、慌てて伸ばした腕も払われ、顔を殴られる。
「うっ……!」
「早く、兵器を放り込め!」
「ママ……ママぁ!」
ライラから引きはがされた子どもが、絶叫を上げる。
そして、周りの魔道士が何かの魔法を展開しようとした――それよりも早く、光が弾けた。
一瞬のことであったし、殴られたライラは地面に伏せたので、何が起きたのか知りようもない。
だが体中を凄まじい衝撃が襲い、体が地面から離れて軽々と吹っ飛ばされたのは分かった。
ぽーんと宙に投げ出されたライラの視界いっぱいに広がる反転する星空に、光と炎が踊るのが見えた――直後。
どばん! と音を立てて、ライラの体は水中に叩きつけられた。
何がなんだか状態のライラは容赦なく水を吸い、まともに動かせる手足を必死にばたつかせるしかできない。
(水!? くる、苦しい! 息、できないっ……!?)
ただでさえライラは泳げないし、暴行された手足は痛い。
冬の川の凍えるような温度もさることながら、先ほどは防寒の役割を果たしたドレスも今は水を吸って、ライラの動きを封じてくる。
(ユリウス……様……)
息ができなくて、目の前がきらきらとかすみ始めた時、いきなり川に流れが生まれ、沈む一方だったライラの体が重力に反してどんどん持ち上がっていく。
そのまますぽん、とライラの体が弾丸のように川から飛び出す。
いきなり水中から空中に弾き出されたライラが上も下も分からず、星空がきれいだな、とぼやけた頭で思っていると――
「ライラ!」
大好きな人の声が、ライラを呼ぶ。
凍えた体が抱きしめられ、一瞬のうちに水気が蒸発する。気管に入っていた水も出され、ぽわっと体が温かくなった。
周りが、明るい。
たくさんの人が何か叫んでいる。
「ライラ、ライラ。目を開けて。僕の名前を、呼んで……!」
大好きな人が、血を吐くような声で希っている。
まだ体中は痛いけれど、声は出る。きちんと、その願いに応えられる。
「……ユリウス、さま……」
目を開けると、どんな星よりもきれいに瞬くヘーゼルの目が。
清潔感溢れる香りがライラを包み込み、ぎゅっと強く抱きしめられる。
「……助けるのが遅くなって、ごめん……!」
震えているのは、声だけではない。
いつものんびり堂々としているユリウスの大きな背中が、ライラを抱きしめる腕が、震えている。
(ユリウス様……)
「わたし、は……大丈夫です」
「無理はしなくていい! 君が生きているなら……それで、いいんだ……」
「っ……ユ、ユリウス様! あの、お願いします! 子どもたちを、助け……げほっ」
はっとして急ぎ言ったのだが、先ほど蹴られた際に痛めつけられた背中がズキリとし、ユリウスの腕の中で倒れ込んでしまう。
ユリウスは息を呑み、ライラの背中に触れた。そこから熱が伝わっていき、息苦しさもすぐに消えていく。
「暴力を受けたのか……やはり許せない。子どもたちのことなら、大丈夫」
「えっ……」
「分かっているよ。……僕も十五年前まで、あそこで暮らしていたのだから」
ユリウスが真っ直ぐ見つめる先、大河を挟んだ東側では、光と炎が炸裂している。明らかに尋常でない魔法が繰り広げられているのが分かり、ライラはぞくっとした。
実際に見たのはこれが初めてだが――きっとあれが、魔力の暴走だ。ライラから引きはがされ、不安定になった子どもが魔力をまき散らしている。
対岸のここまで地響きが届くほどの荒れように、使節団の皆も戦々恐々としている様子だ。
「……ちょうどいい。十五年の恨みを、ここで晴らそう」
「ど、どうやって……?」
「恩を売るんだよ。……僕も、子どもたちを救いたい。もう、僕のような『兵器』を作らせたくないから」
ユリウスの言葉が、ライラが予想していたことの全てが正解だったのだと教えてくれる。
こくっと苦い唾を呑んだライラは頷き、ユリウスの手を握った。
「ユリウス様、お供させてください」
「……でも、君は」
ユリウスの躊躇いがちの声に、ライラは笑みを返した。
あの場所に戻るのは、怖い。
だが――子どもたちの魔力を鎮められるのは、ライラしかいない。
手の届く場所にいる人を、助けられるから。
そして――誰よりも強い魔道士が、側にいるから。
「……分かった。無理だけは、しないように」
「はい」
ライラは、立ち上がれる。




