39 正しいと思うことのために②
ライラは大股で扉の前まで向かうと、自分の胸に手を当てた。
「その子をどうするのか分かりませんが、私も連れて行ってください」
「は?」
「さては貴様、逃げるつもりだな?」
男にドスの利いた声で脅され、ライラはびくっとした。
だがこれくらいの脅し、なんてことない。
本気でイライラした時のヴェルネリは、もっと怖かった。
たとえ自信がなくても虚勢を張って強く見せろ、と言っていたのはヘルカ。
ライラによって救われたのだと言ってくれたのは、ユリウス。
「……逃げるって、どうやって? 分かっていると思いますが、私は非魔道士。あなたたち魔道士に包囲されている状態で、私ごときが逃げ出せるとは思えないのですが?」
不敵に笑って逆に煽り返すと、男の口元がぴくっと引きつった。
相手に反論の余地を与えず、「それに」と言葉を続ける。
「その子、気持ちが不安定になっていますよね? ……この部屋から出した時、魔力を暴発されて困るのは、そちらでは?」
これはある意味、これまでの経験をもとにした賭けだった。
この子どもたちはおそらく、ユリウスと同じ魔力過多の体質。
そしてその子たちがここに放り込まれ、魔力を放出し始めた時に男たちが慌てて出て行ったのは――この部屋なら、ある程度の魔力を無効化できるから。
それこそ、ユリウスの屋敷にあるという離れのように。
とすれば何が目的だとしても、部屋から出した子どもが変なタイミングで魔力を暴発させないようにしなければならないはず。
それを防ぐには――歩く魔力無効装置であるライラを連れて行くのがいいのではないか。
男たちが、迷っている。
ライラをここから出していいものかという気持ちと、確かに魔力を暴発されたらまずいという気持ちが戦っているのが読み取れ――
「……少しでも暴れれば、命はないと思え」
ひとまず、賭けには勝った。
残していく四人の子どもたちには申し訳ないが、この部屋にいる以上、とんでもないことはされないはずだ。
「ママ……」
「ごめんね、ちょっと行ってくるから、みんなで協力してお利口にしているのよ」
待っていて、とは言わない。言えない。
だからライラは笑顔で子どもたちに呼びかけると押しつけられた男の子を抱き上げ、部屋を後にしたのだった。
ユリウスが離れから出てきた時には、既に夕暮れ時が迫っていた。
「ユリウス様。王都への連絡、全て滞りなく完了しました」
「ああ、ありがとう」
ヴェルネリに迎えられたユリウスは、頷いた。
ひたすら魔力を放出しまくったので少し体はだるいが、歩けないほどではない。そして下手に魔力に溢れていない分、無謀な行動をせずに済む。
調査員たちも屋敷の確認や、目を覚ましたヘルカへの聞き取りが完了したようだ。
「それで……国王陛下は、何と? どのような結果になった?」
「……ライラ様の捜索のため、という名目ではなく、『十五年前の戦地であるミアシス地方とその周辺の調査のため』という理由で使節団を派遣することになりました」
ヴェルネリの返事に、それで十分だとユリウスは頷く。
使節団は、国王の印の捺された書状を手に国境を越えることができる。そしてこの名目だとあくまでも「旧戦地の調査」なので、オルーヴァが積極的に使節団を攻撃することはできない。
ただでさえオルーヴァには、十五年前にミアシス地方国境戦を吹っかけて敗北したという負い目がある。そういうこともあり、正式な書状があるのならばミアシス周辺程度をオルーヴァ側の許可を取る前にうろついても、文句は言われないのだ。
そして――ユリウスの魔力は、ミアシス対岸あたりにライラがいると読み取った。もしその読みが当たっているのなら、ユリウスたちが使節団として堂々と国境を越えた際、相手が攻撃を仕掛けてくる可能性がある。
そうなれば、レンディア側の勝利だ。先に手を出されたから報復した、という事実を作ることができる。そうなれば人質であろうライラをすぐに救出し、レンディア側に戻ればよい。
まるで子どもの「あっちが先に手を出した。こっちは殴り返しただけ」という喧嘩のようだが、結局のところ現在のレンディアとオルーヴァの膠着は、この状態なのだ。
もちろん、他の手を使ってくる可能性もある。だがオルーヴァ王は、使えないと思った味方は容赦なく切り捨てる質だ。もしライラを捕らえている者たちが失敗すれば、「私は知らない」といって放置し、全責任を部下に押しつけるだけだろう。
一見すると横暴で支離滅裂だが、法律や協定の穴をくぐり抜けて難癖を付けてくるオルーヴァ。
それに対抗するには、こちらも「真実」というものを突きつけ多少の詭弁を抱えながらもやり返すしかない。
……オルーヴァがそういう国であることを、ユリウスは嫌というほど知っている。
なぜならオルーヴァは――
ふうっと息をつき、ユリウスは庭に向かった。そこには既に、急ごしらえの使節団員として招集された者たちが集まっていた。
ほとんどは、魔道研究所の職員。ユリウスの顔なじみが圧倒的に多く、王族に連なる公爵家の者もいた。この面子の中で一番身分が高いのは彼なので、彼を使節団の代表とし、ユリウスを魔道軍の指揮官とすると命じられたのだと、ヴェルネリが教えてくれた。
国王は普段からオルーヴァの動向に目を光らせており、殴られたらすぐに状況を分析し、適切に殴り返せるように身構えている。
王太子時代は伯母イザベラと共にレンディア中を駆け回っていたという国王が笑う姿が容易に想像でき、ユリウスはほんの少し口元を緩めた後、すぐに引き締めた。
「……ヴェルネリは、ここに残ってくれるのだったな」
「はい。お二人が戻ってこられる時に備え、温かい食事を用意します。それに……少々鬱陶しいネズミも、引っ張り出さねばなりませんので。そちらの方はこのヴェルネリにお任せください」
そう言ってヴェルネリが顔の横でくるくると人差し指を回したので、ユリウスは頷く。
「ああ、頼んだ。……食事のメニューにはカリカリのベーコンと、ライラの好物のフルーツサンドを必ず入れるように」
「はい、もちろんでございます」
丁寧に礼をしたヴェルネリに背を向け、ユリウスは庭で待機する使節団員たちを見回した。
「……行こう」
皆も、分かっている。
ミアシス周辺の調査なんて、ただの飾り。
本当の目的は、二つ。
ユリウス・バルトシェクの婚約者であるライラ・キルッカの救出。
そして――十五年前からくすぶっているオルーヴァ王国の「闇」の一つを暴くことだ。




