38 正しいと思うことのために①
薄暗い部屋にて。
「……ユリウスさま?」
「そう、ユリウス様。ママは、その人ともうすぐ結婚するのよ」
五歳程度の女の子に問われ、ライラは笑顔で頷いた。
暗い部屋に閉じこめられていた子どもたちはライラのことを「ママ」と呼び、しっかりしがみついてくる。
ライラは少しでも彼らの気晴らしになるようにと思って、自分のことを話していたのだ。
「ユリウスさまって、どんなひと?」
「とっても強くて格好よくて、素敵な人よ」
「ママは、ユリウスさまのことがすきなの?」
尋ねてきたのは、五人の中で最年長と思われる七歳程度の男の子。
枯れ木のように細い手足を見ると嫌でも、出会って間もない頃のユリウスの姿を思い出す。
この子たちと同じように、魔力過多で苦しんでいた頃のユリウスを。
ユリウスのことが好きか、と問われたライラは迷うことなく頷いた。
「ええ、とても好きよ」
ライラに興味を持った子どもたちはあれこれ質問してくるが、ライラの方はどうしても短めの返答になってしまう。
おそらくこの子たちはかなり長い間、ここに閉じこめられている。
ここから出られるという保証もない子どもたちに対する言葉掛けは、慎重になる必要があった。
(ここに放り込まれて、三時間くらいかな……)
子どもたちにせがまれてレンディア王国の民謡を歌いながら、ライラは考えを整理させていた。
父からの手紙を訝しんだヘルカの指示に従い、ライラは蒸留室に隠れていた。だが凄まじい爆音が鳴り響き、黒いローブを纏った侵入者たちがあっさり部屋に押し入り、ライラを隠れ場所から引きずり出した。
そうして窓を破壊した侵入者に連れ出されたのだが、空を飛んで連れて行かれる直前、蒸留室の前の廊下でライラの名を呼ぶヘルカの声が聞こえた。
きっと、ヘルカは無事だ。ユリウスの張った結界を破ったのなら、術者であるユリウスはすぐに感づくはず。もしライラの誘拐が目的だったのなら、いち早く逃げなければならないのだから。
だが魔道士でないライラはもちろん、自分の名前が分かっているかどうかすら危うい子どもたちも、ここがどこなのか分からない。優秀な魔道士であるユリウスがすぐに場所を特定し、捜しに来てくれることを祈るばかりだ。
(でも……何だろう。すごく、嫌な予感がする)
あんなに派手に結界を壊して、ヘルカも倒し、立つ鳥跡を濁しまくっていれば当然、場所を特定されるのも早くなるだろう。
ここでユリウスがすぐに感づき、とんとん拍子に助けに来て――本当に正解なのだろうかと、逆に不安になってくる。
(私が囮だってことも、十分考えられる。もし、より誘拐しやすい私を連れてくることで、ユリウス様をおびき寄せようとしているのなら……)
――ライラを見捨てるのが、正解なのかもしれない。
そう思うと思わずうっと呻いてしまい、歌の途中で咳き込んだライラを、子どもたちが心配そうに見上げてきた。
「ママ、どうしたの?」
「いたいの? ママもいたいの、なおらないの?」
「だ、大丈夫よ。ママは元気だから――」
子どもたちを元気づけようと言ったところで、がしゃんと鉄格子の鳴る音がした。
子どもたちがびくっと身をすくませたので、ライラは彼らを背中に庇うように膝立ちで扉の方に向かい――そこが、ゆっくり開いた。
「飯だ。死なれたら困るから、食ってろ」
開いたのはほんのわずかな隙間のみで、そこからずた袋のようなものが投げ込まれた。
ぽすっと音を立てて床に潰れたそれに、子どもたちが群がっていく。
「ごはん、ごはん!」
「ママ、ごはん!」
「え、ええ……」
一斉に袋に群がる子どもたちだが、どう見てもあの袋の中に子ども五人と大人一人分の食料があるとは思えない。そもそも、音が軽すぎる。
そうして子どもたちが袋を逆さまにして出てきたのは――
(……落ち葉と朽ち木?)
申し訳ないが、ライラの目から見ればとても「ごはん」には思えない、しなびた野菜だった。子どもたちはそれらをせっせと仕分けし――ちらっと、ライラの方を見てきた。
五対の瞳に戸惑いの色が滲んでいるのが分かり、ライラは笑顔で首を横に振る。
「ママは大丈夫だから、みんなで分ければいいわよ」
「……うん」
大人で体の大きいライラをどうするか、食料を分けなければならないのか――
飢えている子どもたちの食欲と罪悪感の間で揺れる瞳を見ていられなかったのでそう言うと、子どもたちはほっとした様子で枯れ野菜に食らいついた。
罪悪感なんて、感じなくていい。
ライラは昼食を食べているので、まだ腹に余裕がある。水さえあれば、もう半日くらいなら十分保つだろう。
あのような野菜でさえ、子どもたちにとっては貴重な食料なのだ。
あんなものばかり食べていたら、野菜嫌いになりそうだが――
(えっ?)
ぱちり、とライラはまばたきする。
脳裏に浮かぶのは、暖かなリビングのソファで微笑むユリウスの顔。
――そうだったのか、とライラの胸に痛みが走る。
この子たちは、体質がユリウスに似ているだけではない。
彼らはまさに――「十五年前のユリウス」なのだ。
薄暗い部屋の中にいると、時間の流れも分からなくなる。
ライラが部屋を出ることを許されたのは、用を足す時のみ。幸か不幸かこの黒ローブ集団の中には女性もいたようで、彼女に見張られながらにはなったが。
(男に見られていたら、私は社会的に死んでいた……)
手洗いに行くだけでげっそり窶れた気持ちになりつつあの部屋に戻ったライラだが、間もなく、イライラしたような声が聞こえてきた。
「……使節団だと? おい、読みが外れただろうが! どうするんだ!」
「こうなったら、『兵器』を放り込んで事故に見せかけるしかないだろう!」
怒鳴りあう声が聞こえた直後、乱暴に扉が開いた。うとうとまどろんでいたらしい子どもたちが跳ね起き、助けを求めてライラにすがりついてくる。
「ママ、ママぁ……!」
「……一体何なのですか」
子どもたちに抱きつかれたライラが冷静に問うと、押し入ってきた男たちはなぜか、感心したようにライラを見てきた。
「……本当に、魔力吸収体質なんだな」
「あの魔道士、とんでもない人材を嫁にしたもんだ」
あの魔道士とは多分ユリウスのことだろうが、まだライラは彼の嫁ではない。
そう思ったが突っ込む義理はないので静かに睨んでいると、男の一人がずかずかと入ってきて、子どもたちを順に眺めてきた。
品定めをするような眼差しに耐えられず、子どもたちは丸くなってカタカタ震えた。
どうか、自分は選ばないで。
見逃して。
そんな、声にならない悲鳴が聞こえてくるようで――
「……よし、こいつでいい」
「いやぁっ!」
猫の子を持ち上げるように掴まれたのは、六歳くらいの男の子だった。
五人の中では一番のしっかり者のようで、最年少の子の面倒なども見ていた子だ。
「やぁ! ママ、ママ!」
掴まれた男の子が、叫んでいる。
自分は選ばれずに済んだ子どもたちも、ぶるぶる震えながら男の子を見ていた。
ぎりっ、とライラの胸が悲鳴を上げる。
……何が正解なのか、ライラには分からない。
だが――
「……待って!」
「……何だ?」
扉が閉まろうとした刹那、ライラは立ち上がった。
正解が分からなくても、今自分がするべきだと思うことをしたい。
(……この子を放っておけば、きっと私は後悔する)




