34 結婚に向けて
レンディア王国は一年を通して気温の変化が緩く、冬になっても北の山岳地帯以外は豪雪に見舞われることもない。
そのため、友好な関係を結ぶ近隣諸国の者が過ごしやすい冬を求めて、旅行に来ることも少なくなかった。
そんな真冬の到来が間近に迫ったある日、ライラは改まった様子のユリウスに呼ばれ、どきどきしつつリビングで彼と向き合って座っていた。
「伯母上から手紙が届いた。僕たちの結婚の日取りが決まったそうだ」
そう言ってユリウスが差し出したのは、華やかな装飾の施された封筒。
その中の便せんには、ユリウスとライラの結婚に関する最低限の準備が整ったので、来年の初夏を目安に挙式する予定だと書かれていた。
ライラがぱちくりまばたきしたので、それまではきりりとしていたユリウスはそわそわし始めている。
「……その、日取りについては僕たちの意見云々はあまり反映させられないんだ。うちにも色々しきたりとかがあるらしくて……その分、ドレスとかは君の要望を極力取り入れるつもりだ」
「あ、いえ、日程に文句があるわけじゃないんです。……ただ、なんというか」
そう、ライラたちの現在の関係はあくまでも「婚約者」。
同じ屋敷で寝食を共にしているが、まだ夫婦ではないのだ。
「その……もう三ヶ月近くもユリウス様と一緒に暮らしているので。そういえばまだ私たちは結婚していないんだと気付いたというか……」
「それってつまり、もう僕と結婚している気になっていたってこと?」
「そ、そんな感じです」
言いながら、頬が熱くなる。
(ま、まあ夜は一緒に寝ているし夜会にも参加しているし、実質結婚している状態かもしれないけど!)
脳内お花畑だと思われるのではないか、と思いつつそろそろ視線を上げると、ユリウスは口元を手で覆い、顔を逸らしていた。眉間には薄く縦皺が刻まれ、難しい表情をしている。
「……あの?」
「……ああ、ごめん。なんというか……ちょっと色々想像していた」
「どんな想像ですか?」
「今はまだ言わない。それにしても……確かに僕にとっても、君やヴェルネリ、ヘルカと一緒に過ごすこの時間が当たり前になっているところがあるね」
「やっぱりそうですか? ……あ、そういえば、私たちが結婚してもヴェルネリたちは側にいてくれるのでしょうか?」
その言葉はユリウスに向けていたが、彼の斜め後ろに立っていたヴェルネリやライラの後ろに控えるヘルカにも投げかけているつもりだ。
ヴェルネリはまさかここで自分の名が出るとは思っていなかったようで少し目を丸くしているが、ユリウスはくすっと笑った。
「ヴェルネリたちがいなくなると、寂しい?」
「ヘルカは私の身の回りの手伝いをしてくれるので、彼女がいなくなったら間違いなく困ります。それにヴェルネリの料理を一度食べると他の料理人では満足できないでしょうし、なんだかんだ言って優しいので頼りにしています」
ライラは本心で言ったのだが、背後で嬉しそうに笑う声の聞こえるヘルカと違い、ヴェルネリはぎゅうっと眉根を寄せて口元をもにょもにょさせていた。おまえに褒められても嬉しくない、といったところだろうか。
ライラの言葉に、ユリウスも満足そうに頷く。
「僕も同じ意見だよ。それに二人はとてもよく働いてくれるし、伯母上もこのまま二人を魔道研究所の職員兼、僕たちの補佐として続けてもらおうと考えてらっしゃる」
「そうなのですね、安心しました。……ヘルカも、これからもよろしくね」
「もちろんでございます。ただ、まあ……時が来れば、独り身のわたくしでは力不足なことも起こるでしょうが」
少し困ったように笑いながらヘルカが言うので、振り返ったライラは首を傾げる。
「えっ? ヘルカが独身だったらできないことがあるの?」
「それはもちろん。ライラ様は名家の奥方になられるのですから、お子様が生まれた際には乳母が必要になるでしょう?」
「あ」
確かに、そうだ。
ライラの実家は市民階級なので、家事をしてくれるメイドはいたが乳母はいなかった。
もちろんライラに記憶はないが母が乳を与えてくれたと思うし、その後も家庭教師が付いたことはあるがいわゆる子守女中はおらず、母が面倒を見てくれたはずだ。
だがバルトシェク家は貴族ではないが、魔道の大家。となると貴族の家と同じように、子どもの世話は子守女中や乳母が行うことになるのだ。
(そっか……私は自分で子どもを育てたいけれど、我が儘は言っていられないな。ユリウス様はどう思われているんだろう)
そう思って前を向いたライラは、中途半端な姿勢のまま固まった。
いつも涼しそうな顔をしているユリウス。
そんな彼の頬がほんのり赤く染まり、ライラと視線が合うと恥じるようにさっと逸らされたのだ。
(……え? 何この反応?)
「……あのー?」
「……い、いや、ごめん。何でもないから、今は突っ込まないでくれるかな?」
「……」
「……お願い」
「……分かりました」
なんとなく彼の言いたいことが分かったので、ライラは大人しく従った。
そのまましばらくの間、部屋の中には甘いような酸っぱいようなくすぐったいような空気が流れ、ヘルカが咳払いしたことで膠着状態が解けた。
「まあ、それはいいとして。挙式は初夏予定とのことですが、わたくしたちもおいおい準備を進めるべきでしょうね」
「あ、ああ、うん、そういうことだ。大半のことは伯母上たちがしてくださるけれど、招待状を送ったりドレスの準備をしたりということは、春になる前にはし始めなければならない。ライラにも色々無理を言ったりすると思うけれど、頼むよ」
「ええ、もちろんです。私たちの式ですもの。張り切って準備しますよ!」
ライラが元気よく言うと、少しずつ頬の赤みが引いていったユリウスもふわりと微笑んだ。
(私、ユリウス様のこの笑顔が好きだな)
婚約状態の今でも十分満たされているというのに、結婚するとどうなるのだろうか。
(身近に結婚している人がいれば、参考になる話を聞きたいけど……あっ)
そこで思い出したのは、かつての友人だった女性のこと。
彼女とはもう、何ヶ月も会っていない。少し前に結婚式の招待状が送られてきたそうだが、ライラの心情を慮った父が代わりに欠席の連絡をしてくれたっきりだ。
(……うん、カロリーナに聞けるわけがない。今度一旦実家に帰って、学院時代の友だちに連絡してみようかな)
損をしたツンデレ




