32 負けた女①
カロリーナ視点の話です
内容はお察しください
カロリーナ・カントラは、自信満々の笑みを浮かべていた。
先月ヨアキムと結婚したカロリーナは、カントラ男爵家の者としてリスト将軍の誕生日会に招かれていた。
大きく膨らんだ腹は、もうすぐ待望の第一子が生まれるという証し。
所詮平民に毛が生えた程度である準男爵家出身のカロリーナにとって、貴族の血を継ぐ子を生めるというのは、圧倒的な優越感を抱けることだ。
この姿を見て、ライラは何と言うだろうか。
今晩、「亡霊魔道士」と共にライラが参加すると知ったカロリーナは、何日も前から期待で胸を膨らませていたのだ。
「カロリーナ、嬉しそうだね」
隣に立つヨアキムに言われたカロリーナは少し鼻白みつつ、すぐに笑顔を取り繕って頷いた。
「ええ、もちろん。だって……ライラに会えるのよ?」
「ああ、そうみたいだな。……まさかあのライラが『亡霊魔道士』と婚約するとは思っていなかったが、まあ、元気にやっているのかな?」
ヨアキムはのんきに言う。彼はライラのことを好いてはいないが嫌ってもいない様子なので、ライラに関してはわりと無関心だ。
だが、カロリーナはそうも言っていられない。
キルッカ商会の娘で、カロリーナと同い年のライラ。
彼女との出会いは八年前の、学院の入学式だ。
ダークブロンドの髪に紫の目のライラは、とても地味な少女だった。金髪に緑の目、両親に蝶よ花よと可愛がられて育ったカロリーナと身分は近いが、似通った点の全くない同級生。
だがライラは優秀で、すぐに同級生や教師からの信頼を集めた。
男慣れしていないようなので友人は女子生徒ばかりだが、はきはきものを言い上級生にも可愛がられやすい。頼みごとをされたら快く引き受ける彼女は、密かに皆から慕われていた。
地味なくせに。
そう思ったが、ライラと友人でいると何かと便利だと気付いた。頼めば宿題も手伝ってくれるし、雑用なども二つ返事で受けてくれる。
だからカロリーナは、ライラと行動を共にすることが多くなった。
利用するだけ利用し、学院を卒業したらさっさと手を切ろう。どうせキルッカ家程度ではろくな結婚相手を見つけられないだろうから、卒業した後も付き合うメリットはない。
だが、カロリーナたちが十五歳になり、卒業を間近に控えたところでライラとヨアキムの婚約話が持ち上がった。
キルッカ家は爵位を、カントラ男爵家は金を得るための、完全な政略結婚。
それでも一応「親友」なのだからとお祝いを言い、ライラの紹介でヨアキムに会った時、カロリーナは激しい敗北感を味わった。
自分より容姿で劣るライラは男爵家の次男と結婚できるのに、自分の結婚相手はまだ見つからず。
両親にねだっているのだが、なぜかあまりいい返事をもらえなかった。
それならば――奪えばいいのだ。
ライラに勝ち、爵位持ちの子を生むためなら手段は選ばない。
そう、実際にカロリーナは選ばなかった。
ヨアキムに接近し、彼の兄にも紹介され――
妊娠したことをヨアキムに伝えると、とても喜んだ。彼の兄や父も喜び、もしこのまま兄嫁に子ができなければ、カロリーナが生んだ子を兄の養子にするとまで言ってくれたのだ。
そう、それがカロリーナの望んだ未来。
ライラの悔しそうな顔が見られるし、自分はいずれ――
だが三ヶ月前、ヨアキムに婚約予定を破棄された時のライラは思いの外冷静で、しかも去り際に周りの者たちに会釈をしていくものだから、後でカロリーナたちの方が「バルトシェク家の夜会で、痴話喧嘩をした」ということで責められてしまった。
それについては非常に腹立たしい。だがあのライラはあろうことか、「亡霊魔道士」に見初められたというではないか。
「亡霊魔道士」はバルトシェク家の者だが、所詮は養子。しかも病弱のため衰えた容姿はまさに亡霊のごときで、カロリーナでは直視することもできないくらい醜いものだった。
そんな亡霊に求婚され、受けるなんて。
かわいそう、かわいそうなライラ。
カロリーナが元気な子を生む一方でライラは亡霊の花嫁にさせられ、あのおぞましい顔の男と添い遂げなければならないなんて。
そんなかわいそうなライラはあろうことかカロリーナたちの結婚式の招待状にも、父親の代筆で返事してきた。
彼女の父は「娘はユリウス殿の側にいたいそうなので」と書いていたが、そんな言葉さえキルッカ家の苦し紛れに感じられ、乾いた笑いが出た。
さあ、今晩はそのかわいそうなライラと久しぶりの再会だ。
なぜだか社交界の一部では、「『亡霊魔道士』が亡霊でなくなった」とかいう妙な噂が流れているようだが、そんなはずがない。「亡霊魔道士」から亡霊を取れば、ただの魔道士しか残らないではないか。
……そう思っていたのに。
「おっ、あれがライラかな……って。あの美男子、本当に『亡霊魔道士』なのか?」
ヨアキムがしげしげと見つめる視線の先。
そこには会場の壁際にあるソファに腰掛ける女性と、彼女に飲み物入りのグラスを差し出す男性の姿があった。
女性は、ライラだ。
濃い青色のドレスは仕立てはよいのかもしれないが、カロリーナからするとあまりに地味すぎる。あんなものをデザインした者は、センスがないのではないか。
だが――ライラにグラスを渡し、愛おしげな眼差しを彼女に注ぐ男を見、カロリーナは自分の世界にひびが入ったのを感じた。
艶のある金髪に、ヘーゼルの目。ワインレッドの礼服を着こなす背の高い男は、そこらの貴族の男性がかすむほどの美青年だった。やや線は細そうだが不健康というほどではなく、脚の長さも相まって非常に魅力的だ。
顔つきは、全然違う。
だがあの髪の色や身長は、カロリーナが以前見た「亡霊魔道士」と同じ。
「……まあ、見て。あちらにいらっしゃるの、ユリウス・バルトシェク様よ」
「えっ、本当に? ちょっと前までは、あんなに痩せていらっしゃったのに」
「どうやら、隣にお座りになっている婚約者の献身的な看護で健康を取り戻されたそうよ。ほら、あんなに大切そうに見つめてらっしゃって」
「まあ……あんなに素敵な方になるのなら、わたくしも声を掛けておけばよかったわ」
「そうだとしても、わたくしたちで同じことができたか分からないわよ? 悔しいけれど、お似合いの二人よね」
カロリーナの近くにいた貴族の令嬢たちが、そんなことを言っている。
お似合い?
あんなに麗しい貴公子と、たかが商家の娘で地味なライラが、お似合いだというのか?
「ふーん……いつの間に亡霊じゃなくなってたんだろうな。それにライラって、こうして見ると案外可愛――」
ヨアキムの声は、途中からうまく聞こえなくなった。
どうして。
どうしてライラが、あんなに幸せそうに笑えるのか。
少し頭がいいだけが取り柄なのに、どうしてあんな素晴らしい貴公子の愛情を一身に受けているのか。
バルトシェク家は貴族ではないしユリウスは養子だが、彼と結婚すれば彼女も魔道の名家の一員になる。
そうなると、男爵家次男の妻であるカロリーナよりずっと高みに立つことになり、生まれる子が優秀な魔道士である可能性も高く――




