28 因縁の地で思う
学校での指導は昼食前に終わり、責任者に案内されたレストランに行って四人で食事を取った後、ユリウスはライラとは別行動を取ることになった。
「ごめんね、ライラ。用事が終わったらすぐに戻ってくるから、それまでヘルカと一緒に待っていてくれるかな」
ユリウスが言うと、ライラは頷いて町並みの方を手で示した。
「もちろんです。ヘルカと一緒に買い物をしていますので、ユリウス様こそお気を付けて行ってきてくださいね」
「うん、行ってきます」
そうして、ぎゅっとライラを抱きしめる。
人前なのでライラは慌て、通行人にはしげしげと見られ、ヴェルネリとヘルカには呆れられたように一瞥されるが、気にならない。
こうすることで体の中で溜まりつつあった魔力がすうっと吸い取られ、体も軽くなったような気がする。それだけでなく、ライラの甘い香りを胸いっぱいに吸うと、たまらなく幸せな気持ちになれるのだ。
ヘルカに手を取られて雑踏に消えていくライラを見送り、ユリウスはきびすを返した。ライラは非魔道士だが、側にはヘルカがいるし密かに魔道軍の者にも協力してもらい、護衛を付けている。
いつも屋敷に籠もりがちにさせてしまっているライラが、ゆっくり羽を伸ばして遊べる時間ができればいい。
ユリウスはそのまま人目を集めつつ、ヴェルネリと一緒に町の出口へ向かった。
番兵に挨拶をし、誰にも見られない城壁の陰に移動したところで、顔を上げて太陽の位置を確かめる。
「……北東は、あっちだな」
「はい。参りましょうか」
「うん、遅れずについてきてくれよ」
そう言った直後、ユリウスは笑顔を引っ込めてとんっと地を蹴り――そのままふわりと宙に浮くと、凄まじい速度で北東の方角へと飛び始めた。
間違いなく、ヴェルネリが操った馬車より速い。
ひゅんひゅんと眼下の光景が通り過ぎていき、船だと渡りきるのに十数分かかりそうな河川をも瞬く間に飛び越えていく。
振り返らないが、少し遅れてヴェルネリがついてきているのを気配で確認し、ユリウスは飛行を続ける。
魔法で制御しているので髪や服はほとんど乱れず、もし地上から偶然その姿を見る者がいたとしても一瞬のことで、それが空を飛ぶ人であると認識することもできないだろう。
野原を越え、川を越え、しばらく飛んだ先。
それまでに越えてきた川よりもずっと幅のある、レンディア王国の南の海から続く巨大な河川が見えてきたところでユリウスは速度を緩め、そのまま空中で停止した。
ジャケットの裾と結んだ髪の房を軽く揺らしながら、ユリウスは腕を組んで眼下の光景を睨み付けた。おおよそ屋敷では見せることのない、険しい眼差しである。
ところどころに白い波の立つ大河。
これを越えた先は、隣国オルーヴァだ。
「……この様子を見てどう思う、ヴェルネリ」
自分より十秒ほど遅れて到着したヴェルネリに問うと、少し息を切らせた様子のヴェルネリはあたりを見回し、唸った。
「……魔道軍からの報告で予想していたよりは、穏やかなものかと」
「一応、国境沿いに確認しておこう。……ヴェルネリは、ここから南を」
「……。……かしこまりました」
ヴェルネリが言葉に詰まったのは一瞬のことだった。
そうして一旦二人は北と南に別れ、レンディアとオルーヴァを隔てる川沿いに周囲を確認していく。
北へ飛びながら、ユリウスは遠くに広がる対岸をじっと見ていた。
あれは、オルーヴァ王国。
昔からレンディア王国と張りあい、何かあればいちゃもんをつけて戦争を吹っかける、ろくでもない国。
レンディアと同じくらいの割合で魔道士が生まれるが、まともな育成をする力もない国。
ぎゅっとジャケットの胸元を握り、足下が青々とした草地から砂利と石の転がる大地に変わった頃、ユリウスは少しずつ高度を下げた。
何もない、荒れた土地。
ゆっくり降下し、ブーツの先が砂地を蹴る。踏みしめた大地は生き物の気配に乏しく、砂の色で埋め尽くされた向こうに伸びる大河、そしてその向こうのオルーヴァ王国の領土を見つめるユリウスの眼差しは、厳しい。
ここは、ミアシス地方。
十五年前、突然侵略してきたオルーヴァ軍と迎撃したレンディア魔道軍が衝突した場所。
ユリウスにとって、因縁の地。
「……」
視線を落とし、ブーツの先で砂を蹴る。さあっと舞い上がった砂は乾燥しており、ユリウスのズボンの裾を少し汚した。
ズボンの汚れを魔法で落としたユリウスは目を閉じてしばし沈黙し、周囲に魔力の手を伸ばす。ざわざわと彼の長い髪が揺れ、目には見えない魔力がミアシス地方へ広がっていく。
やがて目を開けたユリウスはたんっと地を蹴り、再び空中に舞い上がった。そのまま来た道を戻ると間もなく、空中で浮くヴェルネリの姿が見えてくる。
「待たせた」
「……こちらは異常なしです。そちらは……?」
「特に、ない。魔力の気配も、対岸の方から感じられるくらいだ」
「そうですか……」
ユリウスはもう一度、河の先を見やる。
「……あのオルーヴァがいつまでも大人しくしているとは思えない。もし叶うことなら乗り込んで、一網打尽にするところだが……」
「ユリウス様」
「分かっている。……どのような事情であろうと、使節団以外の王城関係者が国境を越えることは許されない。僕も、喧嘩を売りに行くつもりはないよ」
だが、とヘーゼルの目に炎を灯し、腕を組んだユリウスは低く言う。
「もし、乗り込んでくるようなら容赦はしない」
「……はい」
「分かってくれ、ヴェルネリ。僕だって無謀な戦いはしない。……ライラに二度と会えなくなるのは、嫌だから」
ユリウスの言葉に、ヴェルネリが顔を上げる。
だがユリウスは彼には視線をくれず、胸の前でぐっと拳を固めた。
「それでも……もう、あの悲劇は起こさせたくない。これ以上『兵器』を作らせては……ならないんだ」
ヴェルネリと一緒に仕事に行ったユリウスとは、夕方頃に合流できた。
ライラはヘルカと一緒に町の散策に出て、小遣いで菓子や服、本など、さまざまなものを買って馬車に積んでいたところだった。
「す、すみません! これ、全部自分で部屋まで運びますので!」
「はは、いいよ、気にしなくて。町の散策は、楽しめた?」
「はい! ……あ、ユリウス様。ジャケットが少し汚れていますよ」
「ん?」
ユリウス本人からは見えない位置、ジャケットの尻部分に白っぽい砂が付いているようなのだ。
(仕事中に、どこかに座ったりされたのかな?)
そう思ってライラはハンカチを出したのだが、はっとした様子のユリウスが自らジャケットを脱いでぱんぱんと手で叩いたため、ハンカチを手にした手が宙ぶらりんになってしまう。
「まったく。……あ、ごめん。ハンカチ、ありがとう」
「あ、いえ……」
すごすごとハンカチを戻し、ライラは黙って彼の手に引かれて馬車に乗った。
先ほど彼がヴェルネリと一緒にどこに行っていたのか、ライラは知らない。彼が言わない限り、聞くつもりもない。
だが――先ほどジャケットの砂を落とした時のユリウスは、まるでその砂粒が因縁の相手であるかのようなきつい眼差しをしていたのだ。
(いつか、教えてくださる日が来れば……いいな……)
帰りの馬車はヘルカが操縦するとのことで、車内にはヴェルネリがいる。
だがついついライラはあくびをしてしまい、慌てて先ほどのハンカチで口元を覆った。
「ライラ、眠いのかな?」
「え、ええと……たくさん歩いたので、少し疲れたかも、です」
「実は僕もなんだ。……屋敷に着くまで、一緒に寝よう。ヴェルネリ、いいよね?」
「……お好きになさってください」
許可したというよりもう面倒だから勝手にしてくれと放っておかれた気分だが、一応承諾はもらえた。
ユリウスは座席の下の荷物入れから大きめのブランケットを取り出すと、ふわりと自分とライラを包むように広げる。
「わっ……」
「もうちょっとこっちに寄って。君は僕の肩にいい感じにもたれかかればいいから」
「で、でもそれだとユリウス様が窮屈ですよ?」
「そんなことないよ。可愛い君を抱きしめられるんだから、ぐっすり眠れるに決まっている」
……向かいの席でヴェルネリがげほごほ咳き込む声が聞こえたが、気にしたら負けだろう。
結局ライラはユリウスの厚意に甘え、彼の肩にもたれかかるようにして身を預けた。
「……重くないですか?」
「ちょうどいい重みだよ。……おやすみ、ライラ」
「はい……おやすみなさいませ、ユリウス様……」
屋敷に着くまで、三十分程度だ。
それまで少し休もうと、ライラは目を閉じた。
ユリウスの首筋から砂の匂いがしていたからか、夢の中でライラはなぜか、少し幼い顔つきの彼が広漠とした大地に立ち尽くしている姿を見た。




