25 甘い理由②
朝っぱらからそんなスキンシップをし、起こしに来たヴェルネリを硬直させたユリウスはしかし今、子どものように目を輝かせてシュークリームをほおばっている。
それでもきちんとナイフとフォークを使って上品に食べているので、昔のようにクリームを頬に付けることはなさそうだ。
「すごくおいしい! ライラも食べてみてよ」
「はい、いただきます」
部屋の隅でヴェルネリとヘルカがもそもそとシュークリームを食べているのを横目に、ライラも自分の皿に載ったシュークリームにナイフを入れた。
水蒸気によって生地が膨らむ内部はさっくりとしており、蜂蜜色のクリームがとろりと零れる。
(んん……おいしい! 大成功だ!)
シュークリームはたびたび実家でも作っており、両親やお裾分けした従業員の皆にも好評だった。
(みんなも、元気にしてるかな……)
両親からの手紙は半月に一度ほどの頻度で届くが、キルッカ商会は順調らしく、着実に顧客を増やしているという。
名門バルトシェク家の後ろ盾を得たからといっていきなり調子に乗ると、他の商家の顰蹙を買う。
慎ましく、遠慮がちに、しかしよい商談は逃さず絡め取ることで、レンディア王国の商業会の一員としてうまくやっていけるのだ。
そんなことを考えながらシュークリームを食べていると、ふとこちらを見たユリウスが「あっ」と声を上げた。
「ライラ、唇の端に砂糖が付いているよ」
「えっ? やだ、どっちですか?」
「左の方。……ああ、違う、君から見たら右だね。いや、もうちょっと上で……」
慌ててライラはナプキンで拭おうとしたが、いまいち場所が分からない。
(は、恥ずかしい! 三年前のユリウス様の再現みたいじゃない!)
あわあわとするライラを、ユリウスは優しい眼差しで見ていた。
だがなかなかライラが砂糖を取れないからか、彼の腕が持ち上がり、細い人差し指がついっとライラの唇の横を掠めた。
「あっ」
「取れた」
ユリウスは嬉しそうに微笑むと、自分の指先に付いた白い砂糖をじっと見――ちろりと舌で舐め取った。
瞬間、凄まじい衝撃がライラの胸を襲う。
(な、舐め……!? 今、舐めた……!?)
砂糖の付いた指を舐めるなんて、はしたないことだ。少なくとも、よそでやれば間違いなく眉をひそめられる。
だが――どういうことなのだろう。
長い睫毛を軽く伏せて指を舐めたユリウスからは、ちっとも下品な感じがしなかった。
それどころか、そんな動作でさえ洗練された作法のひとつであるかのように思われ、一瞬覗いた赤い舌がえも言えず魅力的で――
「うん、甘い。もしかすると、ライラの口元に付いていたからいっそう甘く感じるのかもね」
ただでさえライラはいっぱいいっぱいなのに、隣に座る婚約者はさらなる爆弾発言を投下し、とうとうライラは顔を手で覆って伏せてしまった。
(む、無理……私の婚約者が色っぽすぎて、無理……!)
数ヶ月前は色っぽいどころか骨っぽかったユリウスは今や、相変わらず細身だが男らしい体躯を持つ青年に生まれ変わっていた。
彼の体を蝕んでいた魔力過多の及ぼす影響はそれほどのものだったようで、食事と睡眠、そして適度な運動を取るようになった今のユリウスを見て、「亡霊魔道士」などと呼ぶ者はいないだろう。
別に、ユリウスの見た目が変わったからといって、ライラの中での彼への愛情度が変わるわけではない。ユリウスがちょっと抜けていて優しい人だというのは、痩せていた頃と何ら変わりがないのだから。
だが、顔がよければ一挙一動がますます映えるようになるし、あまりにどきどきしすぎてライラの心臓が過労を訴えそうになる。
何も言わずにヴェルネリが差し出したフィンガーボウルで指を洗ったユリウスは、俯いて呻くライラを見て心配そうに顔を覗き込んできた。
「ライラ……どうかしたの? シュークリームがおいしすぎた?」
「ち、違います。ユリウス様が……」
「僕が?」
「……格好よすぎて。ちょっと直視できそうにないんです」
我ながら変な言い訳だと思うが、ライラの偽りのない本心である。
頭上で、ユリウスがふーん、と唸る声が聞こえる。
もしかして困らせてしまったのだろうかと、ライラがおそるおそる顔を上げると――
「捕まえた」
「ひゃっ!?」
その隙を逃さず、ユリウスの長い腕がライラの腰を捕らえてくいっと引き寄せ、気が付けばライラはユリウスの膝の上に半分乗り上がるようにして彼の顔を見上げていた。
楽しそうにきらめくヘーゼルの目が、ライラを見ている。思わず手を衝いた先のユリウスの太ももは硬くて、今ライラを拘束しているのが大人の男なのだと嫌でも知らされるようだ。
「僕のこと、格好いいと思ってくれるの?」
「うっ……! そ、そうです!」
「そっか、嬉しいな。……ほら、ライラ。恥ずかしがる君の顔、もっと見たいな」
(うわあああ! ユリウス様が攻めてくるー!)
バルトシェク家のパーティーでアンニーナが言っていた言葉が、頭の中に蘇る。
普段はぼやっとしているのに、変なところで強気になる。まさに今のユリウスの状態だ。
「ユリウス様っ! ヴェ、ヴェルネリたちも見ていますから!」
「あ、そうだね。それじゃあ続きは夜にしようか」
(続きって、何!? 何をされるの!?)
絶賛大混乱中のライラだが、ユリウスはあっさり拘束を解いてライラをソファに下ろすと、上機嫌で茶を飲み始めた。この切り替えの速さがすごいし、今晩のことを考えるとなんだか怖い。
これまでの間、ヴェルネリたちは物言わぬ彫像となって壁際に控えていた。だが二人が落ち着いた頃合いを見計らってか、ヴェルネリは咳払いをし、デスクに置いていた書簡を手に取った。
「失礼します、ユリウス様。……本日のお茶の時間に、ライラ様とご相談なさりたい案件があるとのことだったはずですが」
「ああ、そうそう。ヴェルネリ、手紙を持ってきてくれ」
ユリウスの指示を受け、ヴェルネリが書簡と中に入っていたらしい手紙を持ってくる。
ヘルカが簡単にテーブルの上を片づけてくれたのでそこに置かせ、ユリウスはライラを見た。
「これ、ヴェルネリが普段使う食材などを購入している地方都市からなんだけど。ここの領主にはとても世話になっていてね、体調が整っている日でいいから、町にいる若い魔道士の育成に手を貸してほしいって請われているんだ」
ユリウス曰く、その町には小さめの魔道士育成機関があるそうだ。
魔道士たちが十代半ばくらいまでの子どもたちに教育を施しているとのことだが、大魔道士であるユリウスにも出前講座みたいなものをしてほしいと言われているという。
「これまでは体調を理由に断っていたんだけど、日用品のほとんどはここで購入しているし、この前世話になった仕立屋もこの町で暮らしている。だから、僕にできる形で皆の期待に応えたいと思っているんだ」
そこで、とユリウスはライラを見つめる。
「今回も、ライラに同行を頼みたい。早朝に出発すれば夜には戻ってこられる距離だけど、これまでは『もしも』を考えるとなかなか頷けなかったんだ」
「……私が行っても邪魔になりませんか?」
「ならないよ。それに、この町の人々は僕が婚約者を迎えたことも知っている。この前のバルトシェク家の会ほどかっちりしなくていいからね」
春の日だまりのような柔らかい笑顔で言われると、ライラの胸もくすぐったくなってくる。
(そ、そっか。私たちが普段食べているものや使っているものもここで買っているのなら、私だって間接的にお世話になっているってことだし……)
「……分かりました。私もご一緒させてください」
「ありがとう。あ、ちなみに今回はヴェルネリとヘルカにも同行してもらう。その間、屋敷のことは魔道研究所の人に任せるつもりだ」
「あっ、そうなんですね」
「実は遠出するついでに、ヴェルネリと一緒に行きたい場所があって。その間ライラのことはヘルカに任せることになるんだけど、いいかな?」
具体的にどこに行くのか、までは言わないが、きっと仕事絡みのことだろう。最近は魔道研究所から届く手紙が増えている気がするので、何か頼まれたのかもしれない。
そう思ったライラが深く追及せずに頷くと、ユリウスはほっとしたように頬を緩めたのだった。




