23 ヴェルネリの悩み
ヴェルネリには最近、疑問に思っていることがある。
早起きし、朝食の仕度を終えたヴェルネリが屋敷の三階にある寝室に向かうとたいてい、主人であるユリウスより彼の婚約者であるライラの方が先に起きている。
だがライラはユリウスを無理に起こさないので、朝の目覚めを促すのはヴェルネリの仕事だ。それは彼がここで働くようになった五年前から、ずっと変わっていない。
ただし、起こしに行く場所が以前は魔力の暴走を抑えられる離れだったのが、ここ二ヶ月ほどは寝室になっているという違いはあるが。
そしてユリウスは朝から低血圧気味で、それは婚約者と一緒に寝るようになってからも相変わらずだった。そのため、カーテンを開けても二度寝に洒落込もうとするので、彼を起こして着替えさせ、朝食を食べるように促す必要がある。
「ほら、ユリウス様。ヴェルネリが起こしに来ましたよ。起きましょう」
本日も二度寝しようと丸くなったユリウスだが、ライラに揺さぶられると目を開き、ふわっと花のように笑みをほころばせた。
「……おはよう、ライラ」
「おはようございます、ユリウス様。今日もよろしくお願いします」
「うん、よろしく」
体を起こしたユリウスはライラと向き合うと、限りない愛情を込めた眼差しで婚約者を見つめる。
それはそれで別にいいのだが、ヴェルネリはなんだかいたたまれない気持ちになってしまう。
間もなくヘルカがやってくるので、ライラは彼女に付き添われて着替えに降り、ヴェルネリの方はユリウスの着替えを手伝う。ユリウスはぼうっとしているので、彼に全て任せるとほぼ間違いなくシャツのボタンを掛け違えてしまうのだ。
だがそんな彼も次第に覚醒し、リビングに朝食を運んでライラと一緒に卓を囲む頃には貴公子然とした振る舞いを見せてくれる。
朝食の後はたいてい、ユリウスとライラは別行動になる。
ユリウスはバルトシェク家本邸や魔道研究所から送られてきた書類に目を通したり、故障した魔法仕掛けの器具を修理したりする。ライラは、ヘルカと一緒に本を読んだり菓子を作ったりするようだ。
……だが最近、午前中のそれぞれの行動を開始する前に、二人がきつく抱きあうことが増えてきた。
「ユリウス様、気分はいかがですか」
「ん、すごくいいよ。今日も頑張れそう」
「よかったです。ではまた、お昼ご飯の時に」
会話内容はわりと事務的だし、抱きあうその様子に艶めいたものは存在しない。
……存在しないはずだが、側で見ているヴェルネリの方はなんだか落ち着かない気持ちになってしまう。
昼食を挟み午後の茶の時間になると、ライラが菓子を焼いて持って上がってきた。
今日は熱々のところをすぐに食べなければならないスフレを作ったようで、ユリウスと二人並んで座り、今にもしぼみそうなスフレに急いでスプーンを入れている。
そこまでならまあ、日常の光景なのだが。
「前に伯母上から聞いたことがあるんだけど、お互いに食べさせあいっこするという風習があるらしいね」
「それ、風習じゃないと思います。……まあ、『あーん』というものですね。それならわりと、町中のカフェでも恋人同士がやっているところを見かけますよ」
「ふーん。それじゃあ僕たちがその『あーん』をしても、おかしいことじゃないよね?」
「そ、それはそうですが……あ、ああ! スフレがしぼんじゃいますので、今日はちょっとナシです!」
「わっ、そうだね。早く食べないと」
楽しそうに話をしながらスフレを口に運ぶ二人は、まさに幸せに満ちている。
だがその横で黙々と茶を淹れるヴェルネリは、なんだか胸の奥が痒くなるような気持ちになってしまう。
午後の活動を終え、ヴェルネリが栄養価までこだわって作った夕食を食べた後は、就寝となる。
ユリウスが湯浴みを終えた頃、同じく入浴してネグリジェに着替えたライラがヘルカに伴われて上がってくる。
ここから先がライラにとって一番大切な仕事をする時間なので、ヴェルネリやヘルカは就寝の挨拶をしたら、すぐに引っ込むのだが。
「ライラ、今日はちょっと寝る前に雑談をしたい気分なんだけど……いいかな?」
「あっ、私もちょうど、お話ししたいなって思っていたのです。もちろんいいですよ」
「ありがとう。この前届いた手紙なんだけど……」
そこでヘルカが無情にドアを閉めたので、ほのぼのとした二人の声は遮断された。
ベッドに並んで座ってお喋りする主人とその婚約者の後ろ姿はとても微笑ましいが、それを廊下で見ていたヴェルネリはなんだか胸の奥がもやもやするような気持ちになってしまう。
「さ、お二人は眠くなったら寝るでしょうし……わたくしたちも解散しましょうか」
「ちょっと待て、ヘルカ」
「あら、夜のお誘い?」
「たわけたことを抜かすな。もっと深刻な用件だ」
ヘルカは黙って微笑めば十分美しいのに、ヴェルネリにだけ辛辣で何かと突っかかってくるのが非常に残念である。
そんな彼女を廊下の隅に呼び、ヴェルネリは真剣な顔で相談する。
曰く、朝から夜までのユリウスとライラの様子を見ていると、不思議な気持ちになってくる。
それは先日、バルトシェク家でのパーティーから戻ってきた日くらいから始まった症状で、この違和感の正体を知りたい、と。
ユリウスとライラ絡みだということで最初は真剣そうに話を聞いていたヘルカはすぐに真顔になり、自分の髪を弄りだし、最後まで聞き終えるとはあっとため息をついた。
「あなた……ここまで鈍感だと本当に、お二人に鬱陶しがられるわよ」
「なっ、失礼な! そういうおまえは、何か分かっているのか!?」
「そうね、直接そういうところを見たわけじゃないけれど……多分お二人は、心を通わせているわ」
「こっ……こ?」
「……バルトシェク家で滞在中に何が起きたのかは分からないけれど、少なくともユリウス様は以前より『攻める』ようになっているし、ライラ様もそれを受け入れている感じじゃない?」
「せめっ……?」
「もしかすると、求婚理由とかのお話をされたのかもしれないわ。……あと、これはわたくしの勘だけど……もうキスは済まされているんじゃないかと」
「き……!」
「お二人が仲睦まじく過ごされるのなら、それが一番よね。まあ、婚前交渉はイザベラ様に禁じられているみたいだから、さすがにユリウス様もそこまで飛ばないだろうけど……」
「とば……」
すらすら喋るヘルカと、意味の為さない音節しか発せないヴェルネリ。
学院では秀才として評価され、魔道研究所でも冷徹な実力主義者として知られていたヴェルネリの頭は今、未知の情報でいっぱいいっぱいになっていた。
「わたくしたちはただ、お二人がゆっくり愛情を育まれるところを見守ればいいのよ。余計な口出しはせず、お二人のペースで歩めるよう支援する……それくらいのこと、あなたなら分かっているわよね、ヴェルネリ?」
「……。……わ、分かっているとも! 私を誰だと思っているのだ!」
絶対分かっていなかったな、と言わんばかりの白い目で睨まれる中、ヴェルネリはふふんと笑った。
「ああ、そうだ、そうだとも! あのお二人の仲が進展している。それは我々にとっても喜ばしいことなのだ! もちろん、私は分かっていた!」
「嘘ばっか」
「何か言ったか」
「いいえ? ……さ、それでは明日に向けてわたくしたちも休みましょう。あなたのご飯、とてもおいしいから、わたくしも毎日期待しているのよ」
「はっ、『無』しか作れないおまえだから、当然のことだろう」
「鈍感な恥ずかしがり屋君のくせに」
「うるさい。さっさと部屋に戻れ」
「はいはい」
ヴェルネリの悩みも解消されたようだし、これ以上廊下で立ち話をするのも時間の無駄だ。
ヘルカは長い髪をさっと靡かせて、ヴェルネリの脇を通った。
「……ありがとう」
ぼそっと呟かれた声に、ヘルカは振り返る。
だが既にヴェルネリは歩きだしており、黒いローブで包まれたその後ろ姿はあっという間に廊下の角を曲がって見えなくなった。
ヘルカは目を細め、ほっそりした指を口元に添える。
「……そういうところ、本当に腹が立つわ。だから、嫌いになれないのよ」
ヘルカの声は、既に去ったヴェルネリにも寝室で仲よくお喋りするユリウスとライラにも届かず、夜の屋敷の空気に溶けていった。




