20 バルトシェク家のパーティーにて②
「お久しぶりです、伯母上、アンニーナ。ユリウス・バルトシェク、婚約者のライラ・キルッカと共に参りました。アンニーナのご懐妊を、心よりお祝い申し上げます」
「ライラ・キルッカです。アンニーナ様、おめでとうございます」
ライラも緊張しつつ挨拶すると、イザベラとアンニーナは顔を見合わせた後、くすくすと同じ仕草で笑い始めた。血の繋がった母娘であるのが一目瞭然の、非常によく似た二人である。
「あらまあ……久しぶりに会うけれど、随分男前になったじゃない、ユリウス」
「どうやらライラとうまくいっているようで、わたくしたちも安心できますね」
楽しそうに笑いながら言う母娘は他の親戚同様とても気さくな感じがするが、母の方はレンディア王国でも屈指の大魔道士、嫁いでいった娘も母ほどではないが凄腕の魔道士だという。
そこでイザベラがライラを見、豪奢な羽根飾りの付いた扇で口元を隠して微笑んだ。
「ああ、そうそう。キルッカ商会とは懇意にさせてもらっているわ。……ほら、このブレスレット。キルッカ商会伝手で購入したのだけれど、とても素敵ね。あなたのご両親もとても誠実な方々だし、話を持ちかけてよかったわ」
「あ、ありがとうございます! そう言っていただけて、嬉しく思います」
アクセサリーのどれかはキルッカ商会から買ったものかもしれない、とは思っていたが本当に身につけてくれていたとは。
恐縮するライラを、アンニーナがじっと見てくる。
「……ねえ、ライラさん」
「はいっ!」
「うふふ、そんなに緊張しなくてもいいのよ。……そこにいるユリウスだけど、普段ぼやっとしているくせに変なところで強気になること、ない?」
アンニーナに問われ、ライラは目を瞬かせる。
変なところで強気になる。
例えばいつぞや、体型を気にするライラに「いい子」と囁いた夜とか――
ぽん、と魔法を食らったかのように赤面するライラを、ユリウスは不思議そうに見てくる。
だがアンニーナたちは大体のことを察したようで、にやりと笑うと母娘でお互いに小突きあいを始めた。
「見てくださいまし、お母様。ユリウスったら、手の早いこと」
「あらあら何を言っているの、アン。婚前交渉はしないようにと念を押しているのだから、あなたの考えるようなことはないはずよ?」
「そうでしたね。でもユリウスも、可愛らしい婚約者と一緒に寝ているとのことだから、我慢できなくなったりすることがあるんじゃなくて?」
「ああ、はい。ありますね」
「ちょっ、ユリウス様!?」
はしたなくない程度に声を上げ、ライラは慌ててユリウスの腕を引っ張った。
「何をおっしゃっているのですか!?」
「えっ……あ、ごめん。実は君が寝ている時、我慢できなくなって頬に触れたりしていたんだ」
(あ、その程度なのね!)
ユリウスは申し訳なさそうに告白するが、どこまでも健全だった「我慢できない」情報に毒気を抜かれてしまったライラは唖然とし、堪えきれなかったようにアンニーナとイザベラが笑いだした。
「ああ、本当に可愛らしい二人ね! おもしろい報告を聞けて、本当によかったわ!」
「アンニーナ、あまり笑いすぎるとお腹の子に障るのでは?」
「それをあなたが言うわけ? ……まあいいわ。ライラさん」
「はいっ!」
「……ユリウスをよろしくね。こうしてあなたたちを見ていると……本当に、あなたでよかった、って思うの」
そう呟くアンニーナの眼差しには限りない愛情が込められており、つきん、と少しだけライラの胸が痛む。
今ライラの胸に生じたのはきっと、嫉妬とか羨望とか、そんな名前を付けることすらはばかられるような感情だ。
ユリウスがアンニーナのことを異性として意識しているとは、微塵も感じられない。
それはアンニーナからユリウスに関しても同じことなのだが、ライラの知らない子ども時代のユリウスを知るアンニーナが羨ましいとか、あんなに愛情たっぷりの眼差しを向けられるアンニーナがすごいとか、色々な感情が胸に溢れる。
(……でも、くよくよする場面じゃない。アンニーナ様は、「あなたでよかった」と言ってくださった)
ライラはしゃんと背筋を伸ばし、膝を折ってお辞儀をした。
「ありがとうございます、アンニーナ様。……これからもユリウス様をお支えしますので、どうかよろしくお願いいたします」
ライラのしっかりした言葉に、アンニーナとイザベラはちらっと視線を交わしあい、そっくりの顔で微笑んだのだった。
やっとのことで主催者と女当主への挨拶が終わり、既にライラはくたくただ。
(つ、疲れた……パーティーでこんなに疲れたの、初めてだ……)
これまでにも父に連れられて貴族の邸宅に招かれたことはあるが、以前のライラはあくまでも父のおまけだったので、ここまで気を張ることはなかった。
「疲れた、ライラ?」
横からひょっこりユリウスが顔を覗かせてきた。
ライラは反射で「大丈夫です」と言いそうになった口を一旦閉じ、数秒の後に開く。
「……はい、少しだけ」
「うん、そうだろうと思った。この辺で休もう。何か、冷たい飲み物でももらおうね」
「はい」
「……あっ、ユリウスにいさま!」
ライラがソファに座ったところで、元気いっぱいの声が飛んでくる。そちらを見れば、子どもサイズの礼服をぱりっと着こなした少年が二人、ユリウスを見て目を輝かせてやって来ていた。
先ほど玄関で自己紹介した彼らは確かイザベラの孫たちで、六歳と四歳の兄弟。このパーティーの参加者では最年少にあたるはずだ。
「ねえ、ユリウスにいさま。ご挨拶がおわったのなら、まほうみせて、まほう!」
「ぼくたちまだ、ひかりをぱちぱちさせることしかできないの」
「ユリウスにいさまならおっきなぱちぱちができるって、とうさまがいってたの」
どうやら、バルトシェク家の中でもとりわけ魔力の強いユリウスに、魔法の披露をねだりに来たようだ。
慌てて彼らの父親らしき男性が駆けて謝ってきたが、ユリウスは柔和な笑みを彼に向けた。
「いえ、ではせっかくですし、二人の希望に応えてみますね」
そう言うとユリウスは右手を胸の高さに上げ、手の平を天井の方に向けた。
そして子どもたちとライラが見守る中、彼が何かを引っかけるような仕草でくいくいと人差し指を動かした途端――
ぱっと彼の手の中から光と花びらが溢れて七色の虹に包まれながら会場に広がり、光のシャワーを降らせた。
「わっ、すごい!」
「かっこいい!」
「き、きれい……!」
少年たちだけでなく、ライラもその光景に見入ってしまう。ホールにいた者たちも同じように顔を上げるとユリウスを見、次々に光と花の幻想を生み出すユリウスを穏やかな眼差しで見つめてきていた。
幻の花は床に落ちるとすうっと消えてしまうが、男の子たちは落ちてくる花びらを掴もうとぴょんぴょん跳び回り、父親に苦笑されている。
(素敵……これが、ユリウス様の魔法……)
天井から降ってくる光の幻にうっとりしていると、ちょんちょんと肩を叩かれた。
そちらを見ると、ユリウスがもう片方の手をひらめかせ、何もない空間から手品のように純白の薔薇を取り出してみせた。
「わ、すごい!」
「ありがとう。これは本物だよ」
「えっ? どうやって……?」
「うちの屋敷の廊下の花瓶にあったものを今、取ってきた」
(うちの……って、ユリウス様の屋敷の?)
ライラには魔法の理屈はよく分からないが、つまり、彼は一瞬にして馬車で半日の距離にある自邸から花を取り寄せてきたのだ。
ぽかんとするライラに微笑みかけ、ユリウスは薔薇をライラの髪に挿した。既に髪には造花を飾っているのだがそれも白い薔薇だったので、きっと髪に飾られても違和感はほとんどないだろう。
ユリウスはライラの髪を飾る花を見た後、視線を下げてライラの目を見つめた。
その目尻が嬉しそうに緩まったので、どきどきしていたライラも釣られて笑みをこぼす。
ユリウスが見せてくれた幸せな魔法は、なかなか解けそうにない。




