17 服をデザインしよう
「ライラ様。未来の女主人として、あなたに頼みたいことがございます」
ある日、自室で本を読んでいたライラのもとにヴェルネリがやって来た。
本日ヘルカは魔道研究所での仕事のため、屋敷を離れている。夜には帰ってくるそうだが彼女がいない間に散歩をしたり菓子を作ったりするのはよろしくないので、ライラは自室で大人しく時間を潰していたところだった。
(あれ? ヴェルネリ、夏物の衣類の整理をするって言ってなかったっけ?)
もうじき寒い時期になるので、真夏用の服は片づけて冬用の衣服の準備をしなければならない。衣替えの準備をするので忙しいはずなのだが。
「未来の女主人」と言われてライラがどきっとする傍ら、ドアの前に立つヴェルネリは心なしか嬉しそうに見える。
「……何かあったの?」
「ええ、ありました。とてもありましたとも」
ヴェルネリは、嬉しそうだ。
この屋敷での生活も一ヶ月ほど経ったので、ライラもヴェルネリの感情の起伏が少しずつ理解できるようになっていた。
「私は先ほど、夏物の衣類を片づけて冬物を出していたのですが……嬉しい誤算がありました」
「嬉しい誤算?」
「……先ほどユリウス様のサイズを測らせてもらったのですが、どうも去年までの衣服ではきつくなりそうなのです」
ヴェルネリの言葉の意図を考えるのに数秒要した後、はっとしてライラは立ち上がった。
「つ、つまり、ユリウス様の体型が変わったということ?」
「はい。これまでは腰回りや胸回りもかなり絞り、スラックスも極細のものを特注させていたのですが……このままでは! 去年の冬用のものが、きつくなりそうなのです!」
「なんてこと!」
ヴェルネリは、大喜びである。だがライラもそれは同じで、思わず手を叩いてしまった。
簡単に言うと、ユリウスの体重が増えた。それはつまり、「亡霊」と呼ばれるほどがりがりに痩せていた彼が標準体重に近づいたということだ。
「これまではライラ様の方が体重がありそうなくらいだったのですが、この調子でいけばいずれ、標準的な体格に近づくはずです!」
「地味に失礼なことを言っていない?」
確かにライラはスリム美人ではないしそれなりに肉が付いており、ヴェルネリの指摘があながち間違いではなさそうなのが悔しいところだ。
「真実を申したのみです。……そういうことで、ユリウス様の新しい冬物を仕立てるのですが、今年はライラ様がいらっしゃるので是非、女主人になる練習をしていただければと思っております」
むっとしていたライラは、ヴェルネリの言葉で頭を冷やした。
バルトシェク家は貴族ではないが魔道の名家であり、この屋敷も別邸で小振りだがユリウスと結婚するとなると、ライラは女主人になる。かといってやることが今より極端に増えるわけではないが、妻として夫のために動く必要はある。
その仕事の一つが、夫用の衣服の仕立てである。服飾店がなかった昔は妻が夫の衣類を手縫いで作っていたそうだが、さすがに今は仕立屋を呼んで作らせればいい。
だがレンディア王国において、仕立屋と打ち合わせをしてどのような衣服を作らせるかの注文をするのは、女主人の役目だった。もちろん、メイドが担う場合もあるが、「私はこんなに夫にふさわしい服を仕立てさせる才能があるのです」というアピールにもなるとか。
(正直、あまり服飾に詳しくはないけど……)
「……分かった。やるわ」
「それは光栄です。ちょうど、今日の午後から仕立屋を呼んでおりますので、商談の席に同席していただけたらと思います」
ということは、ヘルカは側にいないということだ。
(でも、ユリウス様に関することだからヴェルネリも要らないことは言わないだろうし……協力してくれるよね)
「分かった。よろしくお願いします、ヴェルネリ」
「……ライラ様の服飾センス、楽しみにしております」
ふふっと笑うヴェルネリに、ライラも不敵な笑みを返してやった。
改めて分かったのだが、これまでユリウスが着ていた服は本当に細い。どれくらい細いかというと、彼のスラックスにライラの太ももが通らなさそうなくらいだ。
午後に応接間にやってきた仕立屋はユリウスが十代の頃から世話になっているようで、彼の体型も熟知している。
そんな彼はヴェルネリが今日測ったユリウスのサイズを知らせると、目を丸くして驚いていた。
「なんと……随分肉が付かれたのですね。これまではかつてないほどサイズを詰めていたのですが、今ならやや細身くらいで十分対処できそうです」
「それを聞けて安心しました」
「ユリウスの婚約者」と自己紹介したライラが上品を心がけて微笑むと、仕立屋は丸眼鏡を押し上げてライラを見、にっこり笑った。
「私はユリウス様のお召し物をかれこれ八年近く仕立てておりますが……さては、あなたと婚約されたことがきっかけなのでしょうね」
仕立屋は、ユリウスが病弱だった理由を知らない。
だが彼の予想はかなり的を射ており、ライラは頷いた。
「はい。最近のユリウス様は食事もよく召し上がり、夜も十分な睡眠を取られております。肌の調子もよくなったようで、私も嬉しく思っております」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。恋は人を強くすると言いますが、まさにその通りですな」
(いや、ちょっと違うけれど……まあ、いいか)
彼は好意的に解釈してくれたので、余計なことは言わずに頷いておいた。
そうして早速、ユリウスの冬物についての相談が始まった。
「ユリウス様は黒や灰色を好まれています。私としても、ご本人の意向になるべく沿いたいと思っているのですが、その他の色の礼服を持っていてもよいのではと考えております」
「確かに……」
事前にヴェルネリにクローゼットを見せてもらったが、ものの見事に白黒灰色で染まっていた。それも、数少ない白は礼服のみで、私服はどれも暗い色合いだった。
(魔道研究所のローブも落ち着いた色合いのものが多いし、ユリウス様ご本人も派手な色は嫌われそうだな……)
普段のユリウスの立ち姿を頭の中に思い描きながら、ライラは仕立屋が見せてくれた色見本のカードを繰っていく。
「基本は、去年までの冬物と同じデザインのサイズ違いを作ってください。でも一着くらいは、別の色合いのものがほしいですよね」
「そうですね……もしこれから先、ユリウス様があちこちの社交界に出向くようになられるのなら、白黒以外の礼服があった方がよろしいでしょう」
ライラは頷き、いくつかの色見本カードを広げた。
「ユリウス様の御髪は明るい麦穂色なので、赤系統の方が合いそうです。このあたりの色はいかがでしょうか」
そう言うと、背後でヴェルネリが小さく唸る声が聞こえた。
(えっと、この唸り方は……悪い意味じゃないはず)
口も出さないので、おそらくライラの選択はヴェルネリにとってもそれなりに満足のいくものだったのだろう。
仕立屋もライラが広げた色見本をじっくり見、ふむと頷いた。
「ワインレッドですね。ユリウス様はどちらかというと落ち着いた雰囲気の方なので、これくらい暗めの方がよろしいでしょうね」
「ええ。でもこれだけだと暗すぎるから、差し色を入れてみたいです」
ライラの服飾センスは並程度だ。だが、「どの色とどの色が似合うか」「この室内にはどんな調度品が合っているか」ということは、商会で手伝いをしている際に自然と身についていた。
(今回は調度品じゃなくて礼服だけど、うまく生かせたら……)
「クラヴァットを白か灰色、ボタンを金にするのはどうでしょうか。ベストをもう少し暗めの赤色にして……ヴェルネリは、どう思う?」
それまでずっと黙っていたヴェルネリに振ってみると、彼はライラの手元のカードをちらっと見た後、なぜかライラの顔をじっくり見てきた。
(……何?)
「……おおかたは、今ライラ様がおっしゃったものでいいでしょう。その他、ジャケットの裾に生地より少し明るい色の糸で刺繍を入れると、明るい場所でのみ刺繍の色が際立つようになります」
「なるほど……」
「あとは……そうですね。一箇所だけ、紫を入れるのはいかがでしょうか」
「紫?」
ライラは聞き返す。確かに、ワインレッドに紫なら両方赤系統に近いので、色合いでそれほど喧嘩することはないだろう。
向かいの席で仕立屋が何かに気付いたようににっこりしているが、ライラにはヴェルネリの発言の意図が分からなくて迷いつつ色見本カードを繰った。
「紫、紫……これくらい?」
「いえ、こちらがよろしいでしょう」
そう言ってヴェルネリが選んだのは、ライラが予想していた葡萄色よりも明るめの、木立瑠璃草色だ。
(うーん……ワインレッドに合わせるにはちょっと明るすぎるくらいだけど、ヴェルネリが言うのならそれでいいのかな)
「分かったわ。それじゃあこれは……クラヴァットの留め金はどうでしょうか。あと、ユリウス様は御髪が長いので、リボンの色にするとか」
「ああ、それはいいですね。……かしこまりました」
そうして仕立屋はライラとヴェルネリの意見を取り入れ、色鉛筆を使ってざっくりとした礼服のデザインを描いてくれた。
それでも十分だが、「もう少しウエストを絞った方がスタイルのよさが際立つ」「ベストのボタンの数は、少なめがいい」という追加意見をいくつか加えると、三人とも納得のいくデザインに仕上がった。
「では、こちらで仕立てさせていただきます。その他ご注文いただいた品を含め、一ヶ月ほどお時間をいただけたらと思います」
「ええ、よろしくお願いします」
仕立屋はこの後ヴェルネリが見送るそうなので、ライラは挨拶をして部屋を出た。
そして自分の部屋に戻ってドアを閉め、ふーっと大きな息をつく。
(よ、よかった。なんとか切り抜けられた……!)
少し見栄を張って、訳知り顔でデザインの提案をしたり色見本カードを使ってみたりしたが、本当のところかなり緊張していた。
(でも、仕立屋さんもヴェルネリも納得がいったみたいだし……よかった)
先ほど仕立屋がデザインしてくれた最終案を、頭の中でユリウスに着せてみる。
確かに最近の彼は、以前より肉付きがよくなった気がする。それでも細身だし脚が長いので、ワインレッドのすらりとした礼服が彼の魅力を存分に引き立ててくれるだろう。
(あれを着たユリウス様と一緒にどこかに行く機会とか、あるのかな……?)
完成は一ヶ月後とのことだから、その頃にはユリウスも色々な夜会に出向くようになっているかもしれない。先日も、ユリウスはどこかの貴族の招待に参加の返事をしたと言っていた。
(どうしよう、絶対に格好いい!)
毎日ユリウスを見ているライラにはピンとこないところもあるが、十分な量の食事と睡眠は、彼が元来持っている美しさを目覚めさせていると、ヘルカが言っていた。
そんな彼の隣に立つ機会があるのなら、ライラだってきちんとしなければ。
色々考えていたライラは、知らなかった。
仕立屋がなかなか出て行かない上、こそこそと三階から下りてきたユリウスが応接間に入っていったことを。




