16 タルトの秘密②
ヘルカが差し出したナイフで、それぞれのタルトを二つに切る。こうして菓子を切り分けてユリウスに差し出すのも、ライラの仕事になっていた。
「どうぞ」
「ありがとう。……さて、どれから食べるかな」
「どれでもいいですよ」
ライラがにっこり笑うとユリウスも微笑みを返し、まず一番色の鮮やかなイチゴのタルトにフォークを刺した。
一口サイズのタルトをあっという間に食べたユリウスは「甘酸っぱくておいしい」と頬を緩め、カスタード、ベリー、と次々に平らげていく。
そして、最後。
夕焼け色のジャム入りのタルトを食べる際、ユリウスはフォークに刺したそれをしげしげと見つめていたが、すぐに口に入れた。
「んっ……これは、リンゴ?」
「ふふっ……半分正解ですね。おいしいですか?」
「うん、おいしいよ」
ユリウスがタルトを飲み込んだ背後で、ヴェルネリがうんうん頷き、ヘルカがにっこり笑っている。
「……実はですね。今召し上がったタルトのジャムは、リンゴだけじゃなくてニンジンも入っていたのです」
「……。……え、嘘」
ネタばらしされたユリウスは呆然としており、ライラの皿に残っているタルトの片割れをさっと見やった。
そう、ユリウスは甘味と肉が好きな反面、野菜全般が苦手なのだ。
ユリウス自身も自分の野菜嫌いを克服しようとしているようだが、なかなかうまくいかない。料理に紛れ込ませても、独特の臭いで一気に食欲が落ちてしまうそうだ。
そのため、ヴェルネリが先日むっつりした顔で、「何かいい案はありませんか」とライラに相談してきたのだ。
あのヴェルネリに相談されたライラが、張り切らないわけがない。早速ライラは菓子の中に野菜も混ぜることを提案し、このリンゴとニンジンのジャムを作ったのだ。
ユリウスは今食べたばかりのタルトの味を反芻するように口元を手で覆った後、ライラをちらっと見た。
「……すまないけれど、君の分も食べていいかな?」
「ええ、ええ、もちろんです」
ユリウスはライラ用にしていた例のタルトを取り、今度はじっくり味わうように少しずつ食べた。彼の眉間には皺が寄っており、舌の上に広がる味を丹念に読み取ろうとしているようだ。
「……言われてみればあの味もしなくもないけれど……全然臭みがないし、甘い。これ本当に、ニンジンが入っているのか?」
「半分くらいはニンジンの色です」
色を誤魔化すためにリンゴの皮も入れたのだが、リンゴだけだとこれほど鮮やかな色は出ない。ニンジン特有の臭いを消すために色々工夫したのだが、成功だったようだ。
ユリウスは最後の欠片を食べた後、ふっと笑った。
「……これは参ったな。知らないうちに、苦手なニンジンを食べていたなんて」
「野菜嫌い、克服できそうですか?」
「う、うーん……どうだろう。さすがにニンジン丸ままは無理だろうけど、こうして何かに入れたものなら食べられそうだ」
ユリウスの背後では、ヴェルネリが刮目して主君の後頭部を見つめている。
きっと今の彼の頭の中では、いかにしてユリウスに野菜を食べさせようか、凄まじい速度で作戦が練られているのだろう。ライラのジャムという成功例を生かし、ヴェルネリの料理創作意欲にも火が付いたようで何よりだ。
ユリウスに促されてライラも残ったタルトを食べている間、ユリウスはヴェルネリが淹れた茶を啜って嘆息を漏らした。
「……健康のためには、嫌いなものでも食べないといけないとは分かっているんだけどね。どうも、野菜は苦手なんだ」
「味や臭いが独特ですものね」
「それもあるし……野菜にはあんまりいい思い出がないんだよね」
「……そうなのですか?」
「うん。国境戦でレンディア軍に保護されるまで……僕、肉は滅多に食べられなくて、木の根っこみたいなものや朽ちた葉っぱみたいなものぐらいしか食べさせられなかったんだ」
ユリウスの言葉に、和やかな雰囲気になっていたリビングに冷えた空気が流れる。
口元をナプキンで拭いていたライラはその格好のまま停止し、ユリウスの横顔をそっと横目で見た。
(……それって、つまり)
ユリウスはただ単に戦災で家族を亡くしたのではなく、もっとひどい境遇の中で生きていたということか。
「……もちろん、ヴェルネリが作ってくれる料理に入っているのはきちんとした野菜だし、食べれば栄養になるのも分かっている。僕も、一応努力はしているし……それにもう、十五年以上前のことだからね。いつまでも昔のことを理由にするな、っていうのが当然だ」
「……」
「あ、ごめん。暗い話になっちゃった」
「……いえ。その、何と言えばいいのか分からないのですが……」
ライラは逡巡した後、体を捻ってユリウスと向き直った。
半月前よりも少しだけ健康そうな顔つきになってきた婚約者が、少し困ったような目でライラを見ている。
「……私、ユリウス様のことをほとんど何も知らないので。そういうことを教えてくださってよかったと思っています」
「……」
「あの、もちろん、ご幼少の頃に大変な思いをされたのがよいこと、というわけではなくて……」
「……ふふ、大丈夫。分かっているよ」
戸惑うように揺れていたヘーゼルの目が優しげに細められ、ユリウスの左手がライラの肩口で揺れる髪に触れてきた。
ほとんど癖のないダークブロンドがユリウスの指に絡められ、その感触を楽しむように指先ですり合わせられているのが目の端に映る。
「僕の幼少期は、とてもじゃないけど楽しいものじゃなかった。でも……養父に引き取られてからは人の温かさを知り、世の中にはおいしいものがあるのだと分かり、魔法の訓練をする楽しさを経験した。もちろん、魔力過多で悩むこともあるし、養父が病死した際には生きるのも辛くなるくらい悲しかった。頑張って表舞台に出ても、『亡霊魔道士』なんて呼ばれるしね」
「……」
「でも僕は今、幸せなんだ」
幸せ。
ユリウスは今、幸せ。
「伯母上たちは厄介な体質持ちの僕のことを気遣ってくれて、ヴェルネリとヘルカが僕の面倒を見てくれる。それに……素敵な婚約者が側にいてくれる」
髪を弄んでいたユリウスの指先が滑り、ライラの頬に遠慮がちに触れる。
長くて細い指がライラの頬骨のラインを辿り、あごの下の柔らかい肉の感触を楽しむように小指が添えられ、きゅうっとライラの胸の奥が甘く苦しくなった。
「だから、僕は強くなれるし、色々なことを頑張ろうと思える。……きっと皆がいてくれたらいつか、ニンジンをそのままぼりぼり食べられるようになるだろうし?」
少し茶目っ気を含めて言われるので、ライラはぷっと噴き出してしまった。
「そ、それはいつか是非見てみたいですね。レタスもトマトも、全部もりもり食べちゃいます?」
「何年掛かるか分からないけど、努力するよ。……それまで、君は側で僕を見ていてくれる?」
小首を傾げて問われたので、ライラはふふっと笑って手を伸ばした。
ユリウスがしてくれるように彼の頬に触れ、以前より少しは肉の付いたそこを優しく撫でる。
「それまで、じゃないでしょう?」
「……。……うん、そうだね」
柔らかく微笑んだユリウスが、ライラの頬を触れていた手をすうっと下に滑らせ、肩を抱き寄せた。
何かを促すように軽く引かれたので、その力に抗うことなくライラは体を倒し、ユリウスの肩にそっと身を預ける。
夜、後ろから抱きしめられて寝ている。日中も、魔力過多にならないよう手を握って放出させることもしている。
それらに比べれば、肩に寄り掛かるくらいなんともないスキンシップだが、抱きしめられる時と同じくらいライラの胸はどきどきしているし――身を預けたユリウスの胸元からも同じくらい速い鼓動が感じられ、笑みをこぼしてしまった。
いつの間にかヴェルネリとヘルカは姿を消していたのだがそんなことには気付かず、二人は寄り添い、暖かな昼下がりの時間を楽しんでいた。




