14 ライラだけの魔法
ライラはまず薄めに二枚切り、小さめの皿にそれぞれ載せた。
ヴェルネリと、先ほど「わたくしも少しいただきますね」と言っていたヘルカの分だ。
「どうぞ」
「……もらいます」
「いただきます、ライラ様」
ユリウスの勧めで皆がソファに座ったので、ライラはソファの端と端ぎりぎりに離れて座ったヴェルネリとヘルカにケーキを差し出した。
ふと隣を見ると、膝の上に頬杖をついたユリウスが、目を輝かせてヴェルネリたちの様子を見ていた。早く食べたくて仕方がないといった様子だ。
(ここまで期待されているのは……嬉しいな)
だが、ヴェルネリによって却下判断が下されたらバターケーキはユリウスの手に渡ることなく、ライラの胃に全て押し込まれることになってしまう。
ヴェルネリとヘルカはそれぞれ、ケーキ生地にフォークを入れて一切れ刺し、口に運んだ。
ユリウスほどではないがその様も洗練されており、この屋敷で一番マナーがなっていないのは自分だろうとライラは確信した。
「……」
「……どう? おいしい?」
ライラ以上に、ユリウスがそわそわとしている。
ヴェルネリたちはしばし無言で咀嚼し、二切れ目を口に運んだ。ケーキは薄く切っていたので、それだけで二人の皿は空になる。
「……毒はありません」
「それは分かっている。味はどうなんだ?」
「……。……まあ、ユリウス様が召し上がる分には、悪くないかと」
「……。……そうですね。よろしいお味かと」
なにやら考え込んでいる様子のヴェルネリに続き、彼の横顔をちらっと見たヘルカも微妙な感想を述べてくれた。
ヴェルネリはまだしも、ヘルカなら具体的に褒めてくれると思っていたので、ほんの少しだけ落胆してしまう。
(うう……それって、すごくおいしいわけでもすごくまずいわけでもない、ってことだよね……)
しょんぼりしてしまうが、くいくいと袖を引かれてライラは顔を上げた。そこには、期待に目を輝かせたユリウスが。
「ほら、ヴェルネリたちの味見は終わったよ。僕も食べていいよね。あ、ヴェルネリ。茶を淹れてもらっていいかな?」
「もちろんです。……ほら、行くぞヘルカ」
「はいはい。……では仕度してきますので、先にケーキを召し上がっていてください」
思いの外あっさりヴェルネリの言葉に従ったヘルカも、さっさと部屋を出て行ってしまった。せめてヘルカはいてくれた方が心強かったのだが、今さら呼び止めることはできない。
(……よ、よし!)
「どれくらい切りましょうか?」
「切らなくていいよ。丸まるいただく」
「私の判断で切りますね?」
「……はい」
にっこり笑って圧を掛けると、ユリウスは苦笑しつつ素直に頷いてくれた。
彼はどちらかというと栄養分が足りていなさそうだが、だからといってバターも砂糖も使っているケーキを一度にたくさん食べていいわけではない。きっとヴェルネリなら、同じ反応をしたはずだ。
それでもライラはなるべく厚めにケーキを切り、皿に載せた。ヴェルネリたちはまだ戻ってこないのでフォークを添えて差し出すと、ユリウスは嬉しそうに皿を覗き込む。
「ああ、おいしそうだ。いただきます」
「はい、どうぞ」
ユリウスの骨張った指が丁寧にフォークを摘んでケーキを切り分ける様を、ライラは固唾を呑んで見守っていた。
(せ、せめて「普通においしい」くらいの反応をもらえたら……!)
膝の上に載せた拳は震え、耳元でドッドッドッと血潮の流れる音が脳天まで響いてくる。
ライラの緊張をよそに、ユリウスはゆったりした動作でケーキを口に運び、咀嚼する。
そして、待つこと五秒ほど。
「……甘くて、とてもおいしいよ」
「えっ……」
いつの間にか伏せていた顔を上げると、痩せた頬をほんのり色づかせ、嬉しそうに笑うユリウスが。
――不意打ちの満面の笑みに、ライラの呼吸が一瞬止まった。
「そうだ……昔ここにいたメイドが作ってくれたのも、こんなお菓子だった。焼きたてでほんのり温かくて、ふわっとしていて、甘くて……」
「……」
「君はすごいね。こんなにおいしいお菓子を作れるなんて、君も魔法が使えるのかもしれないよ」
「えっ、無理です。前に測定したじゃないですか」
「そういうものじゃないよ。おいしいお菓子を作って、僕を幸せにしてくれる……そんな力は、君だけが使える魔法だよ」
ユリウスの言葉に、ライラは目を瞬かせた。
確かに、奇跡的な能力のことを「魔法みたい」と喩えることはある。とはいえ、ライラも菓子作りはかなり得意な方だが、そのように言われたことはない。
「……私だけの、魔法……?」
「そう。……ああ、それだけじゃないね。君は夜は僕を幸せな眠りに導いて、昼はおいしいお菓子で嬉しい気持ちにさせてくれる。……すごいな。君はこんな素敵な魔法を二つも使えるんだよ」
「あ……」
――魔道士になりたい、と子どもの頃に思っていた。
だがその才能のないライラは、十八歳になった今もヘルカたちのように自在に魔法を使うことはできない。
(でも、私にも魔法が使えたんだ)
昼も夜もユリウスを助けられる、ライラだけの魔法が。
思わず鼻の奥がつんとしてしまい、ライラはさっと顔を背けてポケットから出したハンカチを鼻に当てた。
「す、すみません。えっと……くしゃみが」
「……そっちを向いたままでいいから、ライラ」
「……はい」
「これから、短くない時間を君と過ごすことになる。だから……君の魔法で、これからも僕を支えてほしい」
ハンカチで鼻を摘み、ライラはじっと黙る。
その沈黙を咎めることなく、ユリウスは穏やかな声で続けた。
「僕は魔法は得意だけれど体は弱いし、世間知らずな自覚もある。君みたいにしっかりしていないから、君を困らせることもあるだろう。でも……僕にできる形で、君を守りたい。そう思っている」
ライラは振り返った。
ユリウスは二切れ目を口にしており、「やっぱりおいしいね」と呟いている。
(……私は、ユリウス様を支えたい)
婚約者だからとか、いずれ結婚する相手だからとか、家を支援してくれるからとか、そういうのを抜きにしてでも。
少し寂しそうに笑うこの人を、支えたい。
もっと笑顔にしたい。そう思える。
「……はい。ユリウス様」
「ありがとう。……くしゃみは止まった?」
微笑むユリウスに問われたので、
「……ええ、おかげさまで」
ライラも笑顔で答えた。
「……素直じゃないわね」
「何がだ」
屋敷一階の厨房で、のんびりと茶の仕度をする男女の姿が。
「あのケーキ、とてもおいしかったわ。それなのに自分は素っ気ないことしか言わないし、わたくしにも無言で圧力を掛けてくるし」
「……おまえには関係な――」
「はいはい。……さしずめ、ライラ様の作られたケーキに最初に『おいしい』と言うのを、ユリウス様にしてあげたかったのでしょう?」
「……」
「わたくしから一つ助言を。……あなたの気遣いは遠回しすぎて、分かりにくいの。いつかライラ様に愛想を尽かされて、菓子を作っても『あ、ヴェルネリの分はないから』って言われるようになるわよ?」
「……うるさい」
「背中が悲しそうよ、ヴェルネリ」
「うるさいっ」
ヘルカは、こっそりと笑った。
まだ、茶の仕度はできそうにない。




